峠のオボー


モンゴルでは、広い大地の至る所に「オボー(ovo, ovoo, oboo)」と呼ばれる石積みの場所がある。古来からの「シャーマニズム(1)」の影響を色濃く残し、天の神様や地の神様へ生けにえを捧げる場所として、各地で信仰の対象とされている。その中でも、峠に造られたオボーは、言わば登山のときのケルンのようなもので、一種の道しるべとしての役割も果たしている。

2004年7月24日、ダルハディン湿地の調査を終えた私たちは、朝食後の午前9時30分から荷造りを始め、午前11時にはテントの撤収をおこなった。午前11時45分から昼食が始まり、その途中途中で荷物をトラックへと積み込む作業をおこなった。こうして午後0時50分、漸くキャンプ地をムルンへ向けて出発することが出来た。その途中の川を渡るとき、ロシアンジープが立ち往生したことは、既に述べてある。

ロシアンジープやトラックには、ドライバーがベテランであるかどうかによって運転技術に優劣があるので、どうしても「編隊を組んで走行する」ということには、ならないようである。行きは最後尾のジープに乗っていた私も、帰りは出世して、先頭を走るジープに乗ることを許されていた。午後3時40分に、先頭のジープが峠のオボーに到着したが、その後が続かず、私たちには長い長い休憩になってしまった。到着から40分後の午後4時20分、1台のトラックの姿を漸く視界に捉えることが出来、徐々に残りのジープとトラックも姿を現した。彼らの無事を確認し、更に午後4時45分の出発まで、この峠で休憩することとなった次第である。

この峠を通過する旅人は、オボーの周りを時計まわりに3回まわり、その正面で1回毎にオボーの上に石を置いて積み上げ、願いごとをする。一番大きいオボー以外にも、この場所には道を挟んで「十二支のオボー」があり、自分の生まれた年のオボーをまわって、特別な願いごとをすることになっている。

私は子年(ねどし)生まれで、ちょうどズラが一回り下の子年生まれだったので、彼女と一緒に子年のオボーをまわっていた。すると「プパ(Pupa)さん(2)」も一緒になって同じオボーをまわっていたので「おっ、この3人は、ちょうど一回りずつ歳が違うのか?」と、ちょっと感慨深かった。調査隊長の○○さんに、その話をすると「プパは違うんじゃないか?」と懸念するので、ズラに確かめてみた。すると、即座に「プパ先生は、ブタ年よ」という彼女の答えが返って来た。その一言で、次のような色んな想いが、私の頭の中を一瞬にして駆け巡った。

「ブタ年? モンゴルにイノシシがいないから、ブタなのか? それとも、ズラが『イノシシ』という日本語を知らないだけなのか? そもそも、モンゴルの十二支で『辰』は、どうなるんだ? どうしてプパさんは、子年のオボーをまわっていたんだ? だいたいズラは、プパさんが子年生まれでないことを知っていながら、なぜ注意しなかったんだ?」

これらをひとつひとつ確かめるべく、ズラに尋ねてみたのだが、なぜか今度は全部が全部「分からないですねえ」の一言で片付けられてしまった。「あれっ、もしかして、ズラを怒らせてしまったのかなあ?」とも思ったのだが、彼女が怒っている風には見えなかった。ズラは賢いから「プパ先生は、ブタ年よ」と言った瞬間に自分の落ち度を悟り、必死になって誤魔化そうとしている。そんな印象が、ありありの出来事であった。

[脚注]
(1) アルヒ(Arkhi)と呼ばれるウオッカの飲み方ひとつ取ってみても、そこにはシャーマニズムの影響が及んでいるようである。モンゴル人にアルヒを勧められたら、まず右手の薬指を液面に浸し、親指と合わせて天に向けて一回はじく。これは、天の神様への捧げものである。次に同じようにして、今度は地に向けて一回はじく。これは、地の神様への捧げものである。最後に、液面に浸した薬指を自分の額に付け、いただいたアルヒを一気に飲み干す。これをやると、モンゴル人に仲間として認められること、請け合いである。その儀式の後は、自由にアルヒを飲んで構わないことになっている。
(2) プパさんは、植物の花粉分析が専門の女性研究者で、モンゴル教育大学生物学部の教授である。11月2日のズラのメールには、日本語で「Pupa先生わYunden先生の変わりに学長なりました」と書いてあった。


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