それでも現地への道のりが悪路であることに変わりはなく、あたかも草原でラリーをしているかのようである。走行中は、シートに沈めた身体が四六時中、上下し、前後左右に揺れることはもとより「一歩間違えれば崖下か?」と思えるような場所が少なくない。ジープと供に雇うことになるドライバーは、自らの命運を託す相手でもある(2)。
「その途中途中で立ち塞がる川をロシアンジープで渡る」というルーティンワークも何回か必要になってくるのだが、行きは渡れた川も、帰りには増水で渡るのが困難な状況になっていることも少なくない(逆もまた然り)。そんなときは、なんとかして川の浅瀬を見つけようと、近くのゲルに暮らす遊牧民と交渉して、まず最初に馬で川を渡ってもらうことになる。この馬という動物は賢いもので、浅瀬を選ぶようにして川を渡っていくのだが、その後に続くジープのドライバーは馬の軌跡を正確に辿ることが出来ず、得てして深みにハマることになる。
2004年7月24日12時50分にキャンプ地(ダルハディン湿地の第1調査地)を出発したロシアンジープ3台とトラック2台の「2次隊(3)」は、このようにして増水した川を途中で渡ることになったのだが、2台目に渡ったジープのエンジンルームに水が入り込み、エンストを起こしてしまった。そこで、このジープに乗っていた4人は別の2台に分乗し、へまをしたドライバーを置き去りにして出立することとなった。「当のドライバーはエンジンをばらして乾かし、また組み立ててからガソリンを入れ、後で追い付いて合流する(4)」という段取りである。
私たち日本人が忘れてしまった、なんとも逞しい(たくましい)現実が、そこにある。
[脚注]
(1) ムルンからダルハディン湿地まで、ロシアンジープやトラックでは平常期に2日間を要するのだが「キタサンショウウオの繁殖期(6月上旬?)に調査をおこなうのなら、馬で1週間ほど掛けて現地入りするしかない」という、両生類の研究者には、なんとも厳しい現実がある。だからこそ、キタサンショウウオの卵嚢も見つかっていないのに(キタサンショウウオがいるかどうかも分からないのに)、昨年、両生類の生息調査には季節外れとも思える非繁殖期の7月中旬〜下旬にキタサンショウウオの個体が倒木で発見されたことは、まさにミラクルと言ってもよい。
(2) ムルンからダルハディン湿地までは、確かに凸凹道の連続ではあったが、走行するロシアンジープに驚いて巣穴に駆け込むタラバガン(プレーリードッグに似た動物)を飽きるほど見ることが出来たし、草原を飛行するカモメというものも初めて目にすることが出来た。ヒツジはもとより、ヤク(yak)やフタコブラクダの群れにも、幾度となく遭遇した。特にラクダは、モンゴル南部のゴビ砂漠にしかいないものだとばかり思っていたので、出合えたときは単純に嬉しかった。また、モンゴル大草原の風を感じることが出来た。ちなみに、ジープの走行中、私は酔い止めの薬を飲むこともなく、それでいて顔色も変えずにケロッとしているので、他の人たちからは不思議がられていた。
(3) これとは別に、7月21日9時15分に1次隊のロシアンジープ3台が、先に帰路に付いている。このとき帰ったのは、日本人10名とモンゴル人の通訳1名・ドライバー3名である。ちなみに、彼らが帰った後の現地は、晴天続きであった。彼らの中に、雨男や雨女がいることは、もはや疑いようがない事実である。
(4) 現地でロシア車が重宝される理由は、この点にある。日本車は性能は良いが、構造が複雑で「壊れると自分で修理することが出来ない」という欠点がある。ちなみに、ウランバートルでは、日本製の中古車をたくさん見かけた。トヨタのランドクルーザーが、人気の車種のようである。また、クロネコヤマトや佐川急便のトラックが、そのまま走っているのには笑ってしまった。