ゴムボート


モンゴル・ダルハディン湿地の第1調査地は、私たちのキャンプ地からシシヘデ川を挟んだ対岸にある。従って、この調査地を対象とするチームは、行きと帰りに、必ず川を渡らなければならない(実は、キャンプ地に到着するまで、川を渡ることは知らされていなかった。戸惑っている人が、少なくなかったようである)

ムルンから途中のキャンプ地を経由し、ダルハディン湿地までの道のりを比較的スムーズに走行することの出来た私たちは、2004年7月17日の午後1時頃、予定よりも早く、目的のキャンプ地へと到着した。ロシアンジープやトラックから荷物を降ろし、テントを張っている最中、中川雅博さん(近畿大学)が胴長を履いて川に入り、浅瀬を探り始めた。試行錯誤の末、川を徒歩で横断するためのルートを決定し、流木で目印を付けてくれた。このルートを通って、午後2時10分、私を含めた数人が川を渡り、第1調査地の下見をおこなった。それから徐々に他の人たちも川を渡り始め、午後5時5分、サンショウウオ・チームのメンバーと補助の学生を合わせた9名で「予備調査(1)」の開始となったわけである。

ところが、昨年の調査でキタサンショウウオの個体を発見したモンゴル人の教員や学生は、肝心の倒木の場所が思い出せず、うろうろするうちに雨が降り出してしまった。「これは通り雨に過ぎず、このまま調査を続けても大丈夫だ」というのが、これまでの野外調査の経験で培った私の判断であったが、午後6時、同行していた日本人古参者の「雨で川が増水して対岸に戻れなくなる可能性がある」という判断で中止し、引き返すことになった。諦め切れない私は、他のモンゴル人3名と相談し、雨をやり過ごしてから調査を続けることにした(この3名こそが、サンショウウオ・チームで最後まで調査に参加したメンバーであった)。但し、その時点では倒木の場所さえも分からない状況なので、予備調査以前の「倒木のあるところまで、標識テープで道しるべをつける」という作業であった。これは午後8時に完了したが、もはや予備調査を敢行するだけの時間的余裕は残されていなかった。ちなみに、この時点で川は全く増水していなかった。

また、ちゃんとした胴長を持っているのが私と中川さんだけで、わずかに1足だけ「膝上までの胴長(2)」を、モンゴル側の誰かが所有しているに過ぎなかったのである。「他の人は?」と言えば、ズボンの裾をまくり上げ、サンダル履きや裸足といった格好で川を渡り、対岸に着いてから長靴やスニーカーに履き替えるのであった。この段階で既に、相当の時間的ロスを覚悟しなければならなかった。

そんなこんなで、予備調査は翌18日にずれ込むことになるし、川を渡るのにも無駄な時間を取られ、第1調査地の林床内にある最初の倒木にサンショウウオ・チームが到着するまで、40分を要するのであった。往復で、およそ1時間半である。こんなに掛かっていたんじゃ、他のチームのように、お昼ご飯を食べにキャンプ地へ戻る余裕はない。パンと缶詰めを持参し、昼食に充てることにした。また、一日に調べる倒木の本数も、当初、予定していた50本から40本に減らすことにした。「キタサンショウウオが隠れている倒木で、細々とした物理的パラメータのデータを採る」という研究の性質上、4〜5人で1時間に調べられる倒木の本数は5本が限度であり「10時間を超える調査に、他の人たちは耐えられないだろう」という判断が働いたからである(3)。

この一日のズレが降雨状況のズレになり、今回の湿度データの欠如へと繋がるのだが、まあ、この点は悔しいが諦めて、来年に期待することにしよう。結局、降雨で川が増水し、徒歩で渡るのが困難な状況になったのは、7月21日の朝になってからであった。このとき以来、3人乗りのゴムボートが出現し、それを利用して川を往復することとなった次第である(このときまで、私はボートの存在すら知らされていなかった)。しかし、幾ら「膨らますのが面倒臭い」とはいえ、最初からボートを出していれば、そのとき確保できた9名の人数で、その日のうちに予備調査を完了させることは充分に可能であった。なにしろ、この調査地の日没は、午後11時過ぎなのだから......。そうすれば、予備調査が翌日にずれ込むことは、なかったのかもしれない。

[脚注]
(1) ここで私が予備調査として設定した項目は「キタサンショウウオの個体が隠れるのに適した倒木の、林縁からの距離、一番近い水たまりからの距離、一番近い倒木からの距離」の3点で、これに倒木のサイズといった項目が加わることになる。キタサンショウウオが隠れていそうな倒木40本(当初の予定では50本)を選び出し、それぞれにタッカ−でナンバーテープを打ち込んでから、これらの距離を測る。全部の倒木を順序よく回るためには、標識テープで道しるべをつけることも必要である。そういった作業である。
(2) これを「胴長」と言うんだろうか? モンゴル人の教員や学生は、これを長靴の上から履いていた。しかも1足しかないので、これを使い回しすることになるのだが、水に濡れるのが嫌な教員は、これをわざわざ対岸から裸足の学生に持って来させて、川渡りを繰り返していたのである。その時間的ロスに対する私の苛立ちは、とても言葉では語れないし、語るつもりもない。
(3) 他のチームとの決定的な違いは「サンプルを採るか、データを採るか」といったことである。サンショウウオ・チームの場合は、生態学の王道とも言える定点観測のデータを採ることが目的なので、場所を移動しないで同じことを毎日、繰り返す必要があった。特に今回は、共同研究者や補助として確保できる学生の数が見込めたため「私ひとりでは、一日あたり10数時間あっても絶対に採り切れないようなデータを、皆で手分けして採る」という、短期間で最大の成果をあげるための手法で臨んだ調査であった。そのため、どうしても他の人たちのコンディションに合わせる必要があり「現場を見てから、調査対象となる倒木の本数を変更しよう」と考えていた(これが本当の「臨機応変」である。他のチームの「別の調査地にも行ってみたい」とかいった勝手な都合で、当初の計画をコロコロと変えることを「臨機応変」とは言わない。そういうのは「計画性がない」と言う)。


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