ダルハディン湿地シンポジウム


2005年1月6日(木曜日)の午前9時から午後5時まで、モンゴル教育大学本校3階の講堂で、ダルハディン湿地シンポジウムが開催された。これに先立って、1月5日(水曜日)には、モンゴル教育大学生物学部の一室で、日本人のシンポジウム発表者がひとりずつ通訳のウンドラさんに応対し、本番へ向けての専門用語の説明とモンゴル語への翻訳が可能かどうかの確認をおこなった。それが終了すると建物の外に出て14分間ほど歩き、今度は会場となる本校2階のビデオ室(=最高会議室)で、発表時間の調整と、パワーポイントのファイルを投影するプロジェクターのチェックをおこなった(1)。

ところが、試験的に部屋の白壁に投影してみると、プロジェクターの三原色のうち「Red」が死んでいて、赤い色が全く出ないため、全体として黒っぽい配色になっていた。2時間近くもの試行錯誤の結果「立ち上がりのときは『Red』に依存する色が出ているので、おそらくPCとプロジェクターをつなぐケーブルの問題だろう」という見当は付いたのだが、いかんせん予備のケーブルがない。使えるプロジェクターも、これ一台という話であった。このままでは、滅茶苦茶な発表になってしまう。シンポジウムの発表者全員が、不安を覚えながら迎えた、本番当日であった(不安に思っているのは、日本人だけかもしれないが......)

本番当日、午前8時39分に会場に到着してみると、プロジェクターの赤が出ていた。なんでも、どこからか調達して来た他のケーブルに替えてみたら直ったそうで、これで一安心である。午前8時55分、プロジェクターにつながったPC(Dell, Windows XP)に、佐野智行さん(姫路獨協大学)のPCから日本人発表者の分のファイルを移した。これで準備万端である。午前9時になって漸くシンポジウムのプログラムが配付され(私も、このとき初めて手にした)、5分遅れでシンポジウム開始が宣言された(2)。

会場には、150人くらいの聴衆が詰め掛けていた。シンポジウムの主旨説明、シンポジストの紹介、学長挨拶と進み、午前9時22分の佐野さんの発表を皮切りに、発表が続いた。質問は「適当なところで受け付ける」という大らかさで、発表時間も、体調を崩して入院中のジャムスランさん(モンゴル国立大学)の代読による3分間から、藤則雄さん(金沢学院大学)の52分間まで多岐にわたっていた。私は午後2時10分からの発表であったが、モンゴル語の通訳に要する時間を見誤り、40分間の持ち時間を5分間ほどオーバーしてしまった。にもかかわらず受け付けた質問で、更に5分間の超過であった。それでも私より上手(うわて)がいて、モンゴル科学アカデミーの「ドゥガルジャブ(Chultem Dugarjav)(3)」は、15分間の持ち時間を発表だけで12分間もオーバーしていた。

シンポジウム発表は全部で15題で、そのうちモンゴル人の発表は9題あったが、全員が全員モンゴル語でやるので、聞いていても何を言っているのか、さっぱり分からなかった。しかも、スクリーンに投影したパワーポイントのファイルが、モンゴル語で書かれている発表が大部分で「いったい何が、国際会議なんだろう?」と思ってしまった(プログラムもモンゴル語で書かれていた)。日本人の発表は、日本語ではあってもモンゴル語の通訳が入るし、曲がりなりにもファイルは英語で書かれているから、まだ許せるのだが......(というより、英語で話しても、今度は英語からモンゴル語への通訳が必要になってしまう)

中でも驚いたのは、パワーポイントを使わずに、ワードのファイルをそのまま映した発表が何題かあったことである。「へぇー、そういうのも出来るんだなあ」という感動と「パワーポイントのファイルくらい作れよなあ」という叱責にも似た感情が、私の心の中に浮かんだ瞬間であった。しかし、それにしても「モンゴル人発表者の多くは、本番当日のギリギリまで掛かって、発表用のファイルを作っていた」というから、大らかというか、強心臓というか......。皆んな、心根(こころね)の良い奴らばかりなのだが、共同研究をすることを考えると、ちょっと、否、かなり辛いものがある。

[脚注]
(1) これは「Multimedia LCD Projector」という日立の製品で、この部屋には他にソニー製のビデオも設置されていた。ちなみに、このプロジェクターでは当初、写真のコントラストが全く出ていなかったので、調整目盛の位置を確かめてみた。すると目盛は全部が全部、右側にあり、どうも思い込みで使用しているように思われた。その証拠に、私が「これは左側だよ」と言った上で、コントラストの調整目盛を目一杯左側に持って行っても、モンゴル側の誰かが勝手に元に戻し、またコントラストが出なくなっているのに気付いて、愕然とすることの繰り返しであった。
(2) モンゴル人には、日本人のように「事前に準備を整えて本番に臨む」という意識はないようで、シンポジウム開催中の不備が目立っていた。例えば「マイクの調子が悪く、キーンというハウリングを何度も起こし、講演中に調整している」とか「プロジェクターを投影するためのスクリーンが歪んでいる」とか「スクリーンの映像が背後の垂れ幕に一部(上方1/7くらい)重なっている」とか「スクリーンの画面が暗く、文字が見難い」とか「携帯電話が会場のあちこちでピーピー鳴っている」とかいった不備である。
(3) 今回、新たに分かったのは、モンゴル人の名前の付け方である。モンゴル人が姓を持たない民族であることは理解していたが、どのような名前の付け方をしているのかは分からなかった。「ズラ(Tsagaan Hongorzul)」を例に採ると、前が「父親の名前」で、後が「本人の名前」である(ズラは愛称)。この本人の名前が、日本人の姓に相当するものである(英語の論文を書くとき、私の「Hasumi, M.」に相当するのが、ズラの「Hongorzul, T.」ということになる)。聞くところによると、モンゴルでは離婚率が高く、子供は母親が引き取って育てるそうである。モンゴル人の名前に、父親の名前が付いて母親の名前が付かないのは、モンゴルの家族構成が、母親中心の母系社会で成り立っていることに理由がありそうである。


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