昨夏のダルハディン湿地調査の最終日である2005年8月25日(木曜日)の午後7時から、エーデルワイスホテルで、調査に参加した教員と研究者を集めたお別れパーティーが開催された。そのパーティーの最中に、サンショウウオ・チームのメンバーであるタイワンとムーギーが私を訪ねて来て、それぞれシミンアルヒ(500mlの使い古しのペットボトル入り)とブルガリア産の赤ワイン(750mlのガラス瓶入り)をお土産にくれたのである。どちらの酒もシャーマル、及びダルハディン湿地の調査期間中に飲んでいて、私が「意外と美味しいね」と言ったものであった。
この時点で、赤ちゃんのお尻ふき、虫よけスプレー、洗濯用洗剤などの余計な荷物は他人にあげるなどして処分し、モンゴル航空の預ける荷物と機内持ち込みの荷物のパッキングは、とっくに済んでいた。残念ながら、彼女たちのお土産を入れるスペースは無かったのである。しかし「私に喜んでもらいたい」という彼女たちの気持ちは痛いほど分かったので、無下に断わることも出来ず「有り難う。嬉しいよ」と言って、お土産を受け取ったのであった。こうして何とか騙し騙し、荷物を再度パッキングし直したのである(1)。
このように、かなり重い思いをして日本までお土産を持ち帰ったことを、まずは心に留めていただきたい。山形の実家に戻り、タイワンから貰ったシミンアルヒを妹の旦那と一緒に飲もうとしたのだが「匂いのしない酒だねえ」と言いながら、この酒を口に含んだ途端、彼がプッと吐き出した。「何だ、これは水か?」と言うので、私も飲んでみた。水であった。しかも、浮遊物の混じった、得体の知れない水であった。複雑な気持ちを抱きながら、すぐに捨てたことは言うまでもない。
タイワンはモンゴル教育大学のマスターコースの大学院生で、助教授であるズラさんと私の2人が、彼女の指導教員を任されていた。昨夏、モンゴル滞在中の私の世話をズラさんが彼女に厳命していたこともあり、彼女が不満を感じていたことも薄々は承知していた。だから「彼女が冗談のつもりで、ペットボトルに水を入れて、私に報復したのだろう」と思った。今回のシンポジウムでは、そのことをタイワンに尋ねてみたかったのである。
ところが、サンショウウオ・チームの他のメンバーは私のところに挨拶に来てくれるのに、タイワンの姿はシンポジウム会場に見当たらなかった。漸く顔を出したと思っても、彼女は私を避けているようで、近づこうとはしなかった。彼女への疑惑が、確信へと変わる瞬間であった。仕様が無いので、ズラさんとムーギーを呼んで、シミンアルヒが水だった件をここで初めて告げ、タイワンに伝えるように頼んだ。
2006年1月8日(日曜日)、帰国前日の食事会の席に、タイワンが私を訪ねて来た。「シミンアルヒが水だったお詫びの印に」と言って、今度は1.25リットルの使い古しのペットボトルに入ったシミンアルヒを持って来たのである。このときも既に荷物のパッキングは完了していて、ペットボトルを入れるスペースが無かったので、今回こそは断わろうと思った。ところが、通訳のウンドラさんに「モンゴルでは、お土産を受け取らないのは失礼に当たる」と言われたこともあり、ビニールの買い物袋に入れて持ち帰ることにした。もちろん、今回は、ペットボトルのキャップを取って、中身がシミンアルヒであることを忘れずに確かめた。
昨夏、私が持ち帰ったシミンアルヒが水だったのは、おそらくタイワンが仕掛けたことだろう。タイワンは「騙されて買った」と釈明していたが、彼女自身が真実を語るとは思えないので、結局のところ、真相は薮の中である。しかし、たとえ冗談でも、人の心を踏みにじるような冗談は好きではない。
[脚注]
(1) これには後日談がある。翌朝は搭乗便の関係で午前3時にホテルを出なければならず、一足先に帰国の途に就く藤則雄さん、森田孝さん、佐野智行さん、早坂英介さん、それと私の5人は、散会後、すぐに寝られるものだとばかり思っていた。ところが、寝る間際(午後9時30分を回った頃)になって、調査隊長の○○さんから「荷物を10kg以内に減らせ」と指示されたのである。モンゴル航空の預ける荷物は各自20kgまでOKで「浮かせた5人分、50kgの分量をエンジン付きパラグライダーの搬送に回そう」という意図であった。皆さん、ぶつぶつ文句を言いながらも、何とかして荷物を減らそうと試みていた。ところが、私の場合、預ける荷物(リュックサック)の中身はそのほとんどが精密機械で、衝撃を和らげるためのクッションが必要だった。そのクッションを入れると、どうしても重量が13kgを超えてしまい、○○さんには、これ以上減らせない旨、伝えた。そのとき○○さんから「少しは協力しろよ。他の人は皆、減らしてるんだぞ」と頭ごなしに怒鳴られてしまった。私が「他の人とは荷物の中身が違う」ということを幾ら主張しても、彼には通じなかった。仕様が無いので、リュックサックからクッションを全部取り出し、重さを10kg以内に減らすことに成功したのだが、空港で荷物を預けるときは「機械が壊れやしないか?」と冷や冷やものだった。そんなこんなで、クッションなしに衝撃を和らげるためのパッキングを何度も何度も繰り返し、その日は結局、寝たのが午前0時20分を回った頃だった。ちなみに、モンゴルでは、エアークッションのような気の利いた梱包材は見たことがない。