ダルハディン湿地シンポジウム(2006)


モンゴルの首都、ウランバートルにあるモンゴル教育大学で、2006年1月5日〜6日にダルハディン湿地シンポジウムが開催された(1)。

今回は、2005年8月に遂行されたダルハディン湿地調査の参加者を反映して、シンポジウムの発表者も多種多様であった。モンゴル国内からは、モンゴル教育大学の他に、モンゴル国立大学、モンゴル科学アカデミー、モンゴル自然史博物館に所属する教員・研究者の発表があった。ロシアからはブリアート大学の教員が、また日本からは金沢学院大学を初めとして、姫路獨協大学、近畿大学、東北大学、新潟大学に所属する、お馴染みの面々が顔を揃えた(2)。

今回は「市民対象のシンポジウム」がテーマで、調査隊長の○○さん(金沢学院大学)からは「難しい話をしないように」と厳命されていた。これを受けて私が用意したのは、細かな数値を載せた表などは一切使用せず、写真とグラフだけで作成したパワーポイントのファイルであった。また、○○さんからは「2005年10月末〆切りの中間報告書は、1題に付き4ページ以内」とする通達を受けていた。ページ数の制限は、ロシア語や日本語で書かれた中間報告書をモンゴル語に翻訳する際に、翻訳者への負担を軽減する措置のようであった。「これをそのまま、シンポジウムの予稿集にしてしまおう」とする試みであった。こうして全編モンゴル語のプログラム、及び予稿集が出来上がった。

シンポジウムに先立ち、これを一般市民に宣伝する必要があった。1月3日(火曜日)午後9時53分〜午後10時8分の15分間番組(TV9チャンネル)を借り切って、ダルハディン湿地調査の模様を描いたビデオが流された。料金は、日本円に換算して45,000円ほどであった(野帳には「宣伝費を明らかにしてはいけない」という注意書きが見当たらなかったので、書いてしまったが、別に書いても問題ないですよね?)。聞くところによると、○○さん、ズラさん(モンゴル教育大学)、オトゴンさん(通訳)の3人でテレビ局に缶詰めになって、放送時刻ぎりぎりまで掛かって編集していたそうである。マネージメントの仕事、お疲れ様である。

こういった努力が功を奏したのか、シンポジウムの当日は、少数ではあるが、明らかに一般市民と分かる人々が会場に足を運んでくれていた。しかも、その中の何人かは質問にも立ち、休憩時間帯には発表者の席にまで来て質問を繰り返す熱心なお年寄りもいた。60年ほど前にダルハディン湿地の周辺(ツァガンノール?)に暮らしていたが、現在はウランバートルに居住している方のようであった。

1月5日(木曜日)は午前9時36分にシンポジウムが開始され、来賓の挨拶の後、8人の研究者をステージに上げて、○○さんの司会でパネルディスカッションが始まった。私もパネリストのひとりとして発言したが、○○さんから突然の指名を受けたのは、前日の夕方に開催された事前会議の席上であった。他のパネリストは、藤則雄さん(金沢大学名誉教授)、中川雅博さん(近畿大学)、ドルチーユさん(ブリアート大学)、ドウガルジャブさん(モンゴル科学アカデミー)、プパーさん(モンゴル教育大学)、ジャブツマさん(モンゴル自然史博物館)、それとロシア隊の植生屋であるマリーナさん(ブリアート大学)のボス(2005年8月の調査には参加していなかった人で、名前は聞きそびれた)の7人であった。

パネルディスカッションは午後0時20分に終了し、昼食休憩の後、午後1時49分の佐野智行さん(姫路獨協大学)のシンポジウム発表を皮切りに、午後の部が開始された。藤さん、ナランツォグトさん(モンゴル教育大学)、ツォクトさん(モンゴル科学アカデミー)、プパーさんの順に発表が続き、これが終わるとポスターセッションであった。幾つかあるポスターのうちのひとつを「なんか見たことのある写真があるなあ」と思って眺めていたら、サンショウウオ・チームのメンバーであるフルッレとオーグナが作製したポスターであった。

1月6日(金曜日)は、午前9時45分から「マリーナさんの発表(3)」を皮切りにシンポジウムが開始された。その後、早坂英介さん(東北大学)、モンゴさん(モンゴル教育大学)、ズラさん、ジャブツマさん、ドルチーユさん、ツェベンさん(モンゴル科学アカデミー)、ジャムスランさん(モンゴル国立大学)、中川さん、私、アルタントウヤさん(モンゴル自然史博物館)、ビャンバーさんとドチカさん(モンゴル教育大学)の順に発表が続き、午後6時8分に閉会となった。

当然のことながら、通訳の必要なロシア人や日本人の発表には多くの時間配分が為され、発表内容とも相まった各自の持ち時間は、アルタントウヤさんの10分間から藤さんの50分間まで多岐にわたっていた。シンポジウムの発表者が初めてプログラムを手にしたのは、5日のシンポジウム開始直前のことである。見ると、プログラム編成の間違いで私の発表が1題だけになっていて、持ち時間が40分間しか配分されていなかった(予稿集には2題の発表演目が掲載されている)

さて、これは困ったぞ。ここに来て、発表内容を簡素化する必要に迫られていた。臨機応変さが、試されているようでもあった。発表までは、まだ一日の猶予がある。「試すんなら、試してみたらいい」という気概を持って臨んだ当日は、この少ない持ち時間で2題を連続して発表し、なんとか時間内に無事に済ますことが出来た。その後の質疑応答でも活発な意見が交わされ、私にとっても有意義な発表であった。

シンポジウムの様子は、1月5日の午後9時から約3分間にわたって、モンゴル国営放送(TV17チャンネル)のトップニュースで取り上げられ、関心の高さが伺われた。しかも「これと全く同じ内容のニュースが、翌6日の午前8時30分にもトップで放映される」という、おまけ付きであった。

[脚注]
(1) ちなみに、1月5日の午後9時35分に放映されたTVニュースによると、6日のウランバートルの最高気温は氷点下19℃、最低気温は氷点下31℃の予報であった。
(2) ロシアのバイカル湖周辺に暮らすブリアート族は、元々がモンゴルからの移住者であるらしく、顔立ちはモンゴル人そのものであった。ちなみに、ロシア語もモンゴル語もキリル文字を使用しているので、一見したところ同じような印象を受けると思うが、両者は似て非なる言語であることをお忘れなく。
(3) 彼女のロシア語は、ステージに上がったプパーさんが、彼女の隣でモンゴル語に翻訳して来場者に伝えていた。モンゴル語に関しては、私たち日本人が陣取っている席の近くに座った3人の通訳(ウンドラさん、オトゴンさん、ガンツモーロさん)が日本語に翻訳し、それぞれ小声で伝えていた。


Copyright 2006 Masato Hasumi, Dr. Sci. All rights reserved.
| Top Page |