公開 融通念仏宗大念仏寺(大阪市平野区) の末寺 河内西国第19番霊場 建築年代: 天保年間(1830−43年)に再建 ■浄谷寺秘蔵石仏■ |
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所在: 西筋・南会所町 (じないまち散策地図) 寺内町の西縁部に位置する。 |
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由来: 当寺は、正式には半偈山(はんけいさん)三仏院(さんぶついん)浄谷寺といい、寺内町の一画、南会所町にある。融通念仏宗を唱え大阪市平野区にある総本山大念仏寺の末寺となっている。弘安9年(1286年)済戒真證上人によって毛人谷村に開かれ、天正2年(1574年)に当地に移転し、今日に至ったとされている。また、史料には慶長13年(1608年)に「大念仏道場」とあり、寛文6年(1666年)に総門徒の寄進により再興された記述が残っている。境内右手に二尊堂があり、その中に応長元年(1311年)銘の石像地蔵菩薩立像が安置されているが、大阪府下でもたいへんめずらしい古い年号の地蔵像として、昭和45年2月20日に大阪府指定文化財となっている。石像の両側に刻まれた文字によると、小比丘尼と真證という2人の報恩供養のために建てられたことがわかる。また、庭のすみに永仁元年(1293年)の年号がある笠塔婆があり、当寺の歴史の古さをうかがわせている。 |
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建物の特徴: |
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屋根瓦の葺き替えや改築工事を終えた山門 (2005年2月) |
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本堂 | |
本堂 |
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本堂 | |
本堂に掲げられた山号「半偈山」(はんけいさん)の額 | |
龍の彫刻 | |
庫裏 | |
二尊堂 ■浄谷寺秘蔵石仏■ |
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山門・鬼瓦(右) | |
山門・鬼瓦(左) | |
弁財天池 (通称 亀の池) | |
弁財天池 | |
鐘楼 吹き放し鐘楼 4本柱だけで壁のない鐘楼。柱は四方転びとし、腰の高さに貫を通した架構。 |
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鐘楼 | |
梵鐘 「河内石川郡 富田林 浄谷寺什物 月山代 宝暦五乙亥歳三月吉日」 「大塚屋弥兵衛 鋳工大坂住」 現在も大晦日に除夜の鐘としても使われています。 |
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浄谷寺口の坂道 (手前から弁天堂、鐘楼、本堂) | |
浄谷寺口の坂道 (手前:本堂、右手奥:鐘楼) |
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浄谷寺・薬師堂 (南会所町) 天保10年(1830年)建立 安置されている乾漆座像の薬師如来像は信者の若い男女の恋文を漆で貼り重ねて作られたと伝えられています。 毎年6月6日、16日、26日には南会所町・薬師堂界隈で夜店が並ぶ縁日が開かれています。(富田林寺内町をまもりそだてる会会報・じないまち瓦版28号、2004年7月16日号より) |
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ロマンチックな由来が残る恋文薬師 「恋愛成就にご利益があるデートスポット」 としてお勧めかもしれません。歴史的町並み散策の機会にぜひお立ち寄り下さい。 薬師如来由来 (浄谷寺) 浄谷寺境外地(南会所町)に安置される薬師如来は、乾漆座像で胸に赤い卍が描かれ、特に衣などの美しい曲線は芸術的です。聞き伝えによれば、仏像は信者の若い男女の恋文で貼り重ね、その上に漆を塗り固め、金箔を押した像であるとのことです。 慈悲深いお顔に村人の悩みや願い事をかなえていただき、また子供が産まれれば母乳が多く出るように最初の母乳をお供えし、子供の元気な成長を祈るなど多くの人々の厚い信仰を集めています。 明治以前の大祭には、初夏の風情あふれる水饅頭、植木市、時代人形の出店をとりまいて、詠歌踊りなどにより連日盛んな催しが行われ近郷近在の人々から無病息災、身体堅固の守護仏と崇められました。しかし、明治の廃仏毀釈にあい、その管理が一時、庄屋(本葛原家)に移管され、また名前を煙草屋薬師とも云われ、世に慕われてきました。(富田林教育委員会) |
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