霊山と霊山神社 ▼
伊達郡霊山町大石字霊山・相馬市玉野 相馬への道を東に約23キロ、峠の行合道(ゆきあいどう)から霊山(国史跡・国名勝)に、胸つき八丁の急坂、峨峨(がが)たる奇岩をよじ登ると、晴天の日には遠く太平洋を望むことができます。 霊山は、阿武隈山地の北部に位置し、標高805メートル。基盤の花崗岩のうえを第三紀中新世の霊山層が覆い、山頂付近では火山角礫岩が断崖をつくり、岩頸 (がんけい)が突き立ち、その西麓には断層線が走っており、その底を広瀬川が北流しています。かっては美しい赤石が産出しました。ここを中心とした一帯は県立自然公園となっています。 もっとも歴史的に脚光を浴びたのは、1337(建武4)年正月、南北朝の動乱に、北畠顕家が、この要害の地を南朝勢力の南奥羽における拠点としたときで、ここに霊山城を築きました。この後、顕家は伊達行朝らを従えて西上し、翌年5月和泉国の石津の露ときえました。霊山城もまた、相馬親胤に攻められ、1347(貞和3)年に落城し霊山寺もともに焼亡しました。山頂には国司館の遺跡があり、1894(明治27)年の碑がたっています。 |