白 河 の 関                       

                                    ▼ 白河市旗宿                                     
                                    ▼ 東北本線白河駅、バス旗宿行終点下車

 奥州3古関(他に勿来・鼠)の1つ。古代大和政権の北方辺境基地、のちに交通観察基地白河関は、5世紀に創設されたという資料がありますが、明らかではありません。関の廃絶後は、平兼盛の「便りあらばいかで都へ告げやらんけふ白河の関は越えぬと」や能因法師の「都をば霞とともにたちしかど秋風ぞふく白河の関」など歌枕としても有名となりました。
 
 バス発着所のむかい側の独立丘陵、関の森が白河関跡(国史跡)で、1959(昭和三四)年から五年間にわたり関の森の発掘調査が行われ、柵列跡、建物・住居跡、鍛冶場跡などのほか土師器(はじき)・須恵(すえ)器・鉄製品・砥石・円面硯などの遺物が発見されました。

 白河関跡(史跡)のある森の中には、能因・兼盛・梶原景季の歌碑、「奥の細道」白河関の章の文学碑、歌人藤原家隆の植えたという樹齢800年ほどの従2位の杉や、義経伝説を伝える樹樹があります。白河藩主松平定信は種々の考証の結果、それまで判然としなかった関所の場所をこの関の森に確定しました。入り口近くにある古関蹟碑は1800(寛政十二)年、定信によって建てられたものです。

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