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遠藤賢司特殊資産
エンケン実使用ハーモニカ
 エンケンさんのいつもながら壮絶なライヴを見ている時、特にエンケンさんがアンコールで「夢よ叫べ」を両の足を踏んと張り、絶唱している時、何故かいつも、自分のことをぼんやりと考えてしまっている自分に気付く時がある。

 ああ、いかんいかん、集中して聴かなきゃ、エンケンに負けてしまう。最初はそう思って曲に集中しようとしていたのだが、だんだん最近は、「自分のことを考えててもいいんじゃないか」と思えるようになってきた。

 一瞬にして終わってしまったようでいて、長い曲が多いエンケンの(特にエンケンバンドの)ライヴは、まるで一人の男(三人の男たちの)人生の一大大河ドラマを見ているかのようで、そしてそういう本物のドラマを見たときだけ、無意識に自分の人生を思い起こすのだろう。

 チャボのMy R&Rに対する早川義夫のコメント「僕たちは、ビートルズを知りたくてビートルズを聴いたのではない。自分が何物なのかを知るために音楽を聴いたり創ったりしているのだ」という意味が、やっとわかったような気がしたのだ。
 エンケン保存会のスタンプサービスが先日3回目の満点になっていたのだが、その景品が届いた。その景品を見たときに、その感覚をふと思い出した。

 エンケン保存会は本当に少数の手作り的な運営なので、事務所が忙しい時はなかなかカードが帰ってこなかったり、色々あるのだが、そういうところも含めて好きなのだが、この満点になった時の景品が、その時々によって全然違うのがまた実にいい。たまたまカードを提出した時のエンケンの状態、事務所の事情が、そのまま伝わってくるようなのだ。

 3回目に届いた今回の賞品にはぶっ飛んだ。何と、エンケンさん実使用のハーモニカであった。とんでもない大当たりであった。しかも、この渾身の絶妙サインまで(笑)。これは、たまたまライヴやレコーディングで使用していたハーモニカの音が出なくなったりして使えないものがあった時に満点になると、貰えるものらしい。

 当然タイミングが悪いと(特に何人もまとめて満点になっていたりすると?)、こういう当たりでない時もあるのだが、それを不平等とか不公平とか言っては通ではない。通はこう言う当たり外れまでを楽しむようでなければいけないのだ。

 そもそも、人生とは不平等なものなのだ、と思った時に気がついた。だいたい、私自身が不平等だよね、その日その時の体調や精神状態によって、他人に、友達に、親兄弟に、その一人一人に対して今までずーっと不平等に接してきたんだよね。で、時には大切な友人さえ、傷つけたりしてきたんだよね、、。

 エンケンの曲が今日は心に染みる、、。ああ、また自分のことを考えちゃったね。