諸々のこと 3

   エッセイスト・高峰秀子

 「わたしの渡世日記」に見るように高峰は文章もよくし、日本エッセイストクラブ賞を受賞している文筆家でもある。以下に主な書名を記す。

 『人情話松太郎』(90年)人生の師、川口松太郎の人間像を描く
 『おいしい人間』(92年)一流人物との交遊を語り人間観察が光る
 『旅は道づれガンダーラ』(92年)夫・松山善三との共著で旅の話
 『旅は道づれアロハ・ハワイ』(93年)同共著で、ハワイのお話
 『忍ばずの女』(94年)高峰の女優人生をつづる。初シナリオ収録
 『にんげん蚤の市』(97年)鑑定は辛口ながら見る目は温かい
 『台所のオーケストラ』(00年)和洋中129種類の高峰流レシピ
 『にんげん住所録』(02年)とっておきの人々との出会いと別れ

 初シナリオ『忍ばずの女』は、親しかった新派俳優・伊志井寛夫人の小唄・三升延(みます・のぶ)の若き日(下谷花柳界の売れっ子芸者だった)をモデルに書いた。99年6月、高峰の舞台脚本、伊志井の娘・石井ふく子の演出、竹下景子の主役で舞台化されて明治座で初公演。翌年6月には名鉄ホールで再演されている。

  「幻のモノクロ版」について

 当時の我が国のカラー技術は未熟で不安があったため、「もし、日本のカラー映画として発表するに足りぬものであれば破棄する」という取り決めが、松竹と富士フイルムの間で交わされた。このため、万が一に備えてモノクロ版の撮影も同時進行で行われ、カラーのシーンを撮った後、同じシーンをすぐに白黒で撮影したという。幸い、カラー版は破棄さ
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れることなく公開されたため、モノクロ版はその後、幻のフィルムとして関係者に語り継がれてきた。その幻のフィルムが実は木下監督の自宅に保存されており、複製の上映会が行われたという。1999年5月1日付大阪読売の記事抜粋を以下に記す。

 …30日、京都市中京区の京都文化博物館で2回上映され、映画ファンら約140人が、鮮明なモノトーンに収まった名優たちの演技に胸を躍らせた。…関係者も「木下監督らごく一部の目に触れただけ」というほどの貴重品。1日も午後1時半からと同5時からの2回、上映される。`
 撮影に立ち会った関係者の話によると、カラーで3−5分間の各シーンを撮った後、黒白フィルムで撮影。俳優にはカラー撮影の時と同じ演技をしてもらったという。2本分の映画を撮っている状態のため、撮影には約2か月かかったとしている。
 高峰さんは「同じ場面を二度撮影するので、微妙に表情が変わってしまい、アフレコが大変でした。黒白の完成作品は見てないが、スタッフが『とてもきれいに撮れた』と話していたことを覚えています」と振り返る。
 …こうしたリスクを避けるため撮影されたモノクロ版は、木下監督が自宅に保存し続けてきたが、「名作を残そう」と71年から邦画を集める府が78年、同監督に複製を依頼。資料として保管していたものを今回、公開に踏み切った。
 この日、山形から来たという映画ファンの男性は「人工的な色彩に目が向いてしまうカラー版に比べ、俳優の表情に集中できる」と感心。ある女性客も「派手だと思っていた主人公の衣装が、しっとりとなじんでいた」と感想を話した。

   「パンパン」という言葉について
 主に占領軍兵士を相手にした売春婦をこう呼んだ。米兵の使う隠語だとか、南洋の現地語を日本兵が持ち帰って使ったとか言われるが、語源ははっきりしない。さげすみと軽蔑を込めて「パン助」とも呼ばれ、棲家を「パンパン宿」、彼女たちの使う英語を「パングリッシュ」、外人しか相手にしない街娼を「洋パン」などと言った。

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