ほしたびの旅

日本一周2001 九州・沖縄編

旅日記11~20日目: 八重山・九州西岸

11日目: 4月16日(金) 米原キャンプ場の周辺

米原キャンプ場から撤収しようと思っていたところに大雨が降り出し、あきらめた。しばらくテント内で横になる。昼食がてらに周りを歩いてみることにする。もともと店は少ないのだが、ほとんどの店は月曜から水曜の間で何日か休みを取っているようだ。昼食は昨日も食べた知花食堂でとうふチャンプル(600円)を食べた。まずまずの味。

午後、少し天気が回復したので海パンに着替えてキャンプ場前の浜に出て浅瀬を歩いてみた。少し温度が低いが、入ってしまえば平気だ。海から上がって、気合で水シャワーを浴びた。

早く閉まるので夕方5時頃に知花食堂へ行き、焼そば(550円)を食べた。ここのおばちゃんは感じがいい。近所のおばちゃんらしい人がやってきて話をしていたが、外国語みたいでまったく理解不可能

夜はまた豪雨になった。テントから顔をのぞかせると、雨水が川のように流れている。

  • 今日の天気:曇時々雨、夜豪雨
  • 走行距離:0km
  • 宿泊地:沖縄県石垣市米原キャンプ場
  • 入浴地:キャンプ場の水シャワー

12日目: 4月17日(火) 米原ビーチでシュノーケル初体験

朝方は雨が降っていたが、次第に回復し昼前には少し日差しが出るようになってきた。昼食は近くの海人倶楽部(うみんちゅくらぶ)で八重山ラーメン(600円)を食べた。自家製麺ということだが、これがうまい。

午後、また海に入ってみた。長期滞在のライダーからシュノーケーリング用マスクを借りて初めて使ってみた。こわごわながら、何とか使えそうなのでとれあえず足のつく浅瀬でやってみた。そして、海中を見ながら進んでいくのに感激。さらに小さな魚を間近に見られてまた感激。岩場のすきまから出たり入ったりしている。ただ、昨晩からの豪雨で水の透明度が悪くなっているのが残念だった。これで透明度が高く天気がすっきりしていればどんなにすばらしいことか。

夕方から石垣市街に買出しに出る。夕食は再びあさひ食堂でゴーヤいため(税込525円)を食べた。すぐそばで千円定食を注文したおばちゃんがいたが、出てきた料理の多さにびっくりして、私にとんかつとエビフライが乗った1皿を食べてほしいと言ってきた。もち、ごちになりました。そりゃ、税別550円のあさひ定食でも腹がふくれるのに千円定食になるとすごくなるよね。

晩には名古屋からきた28歳のBMWライダーが買ってきた泡盛を少し頂いて飲んでみた。うー、度がきつい。

  • 今日の天気:雨のち曇、時々晴れ
  • 走行距離:57.2km
  • 宿泊地:沖縄県石垣市米原キャンプ場
  • 入浴地:キャンプ場の水シャワー

13日目: 4月18日(水) 与那国島で南十字を見る

今日はバイクとともにフェリーで与那国島に向かう日だ。テントを撤収し、翌日の朝食用にパンを買って港に向かった。静岡のスケッチ青年も与那国に行くという。フェリーに乗り込み出港。しばらくして船が大きく揺れだす。これがうわさの揺れか。すごいもんだ。はじめは島々を見ていたが、しまいには気分が悪くなってきた。なんとかもちこたえ、与那国久部良港に入港したが、ちょっとだけ小雨がぱらついている。海の透明度はすばらしく良い。

まずは、日本最西端之碑に行き記念写真。それから島の南の海岸沿いに東へ走っていった。牧場付近は道のいたるところに馬や牛のふんが転がっている。途中いくつかの観光地を回って2時間ほどで東崎へ。ここには馬・牛がいっぱいいる。

祖納の町のマルキ食堂で早めの夕食をとった。しょうが焼き定食(700円)にしたが、ちょっと貧弱な感じがした。野菜のキャベツも少しだし。島だからしかたがないのかな。物足りないので祖納の町のスーパーフクヤマで、今日の船で届いたばかりのパンを買った。

テントは、町役場で確認を取った比川浜で張った。ここにはトイレがあり、南に面しているので私には都合が良かった。そう、南十字を見るために。夕方は曇っていたが、少し天頂や北の方の星が見え始めている。南十字が良く見える頃の時刻にアラームをセットして一眠りした。23時過ぎにテントからはいだしてみると!!!。おお、南の空低くに南十字が見える。すごい、はっきりわかる。すぐにカメラを準備し、明るいうちに確認しておいた地点に移動したが、ちょうど南の空の低いところは雲の通り道になってしまい、結局その後は南十字を見ることはできなかった。うー、もう少し早く起きるようにしておけばよかった。残念。西の方を見ると、西崎の灯台の明かりがくるくる回っている。西崎付近では明るすぎて天体写真撮影は不向きだろう。

  • 今日の天気:曇一時雨、夜晴
  • 走行距離:56.6km
  • 宿泊地:沖縄県八重山郡与那国町比川浜

14日目: 4月19日(木) 与那国島から石垣島へ戻る


日本最西端

朝起き、朝食用のパンを食べてテント撤収。もう今日はフェリーで石垣に戻るのだ。砂浜なので心配していたが、風も弱く助かった。比川から北へ向かい、島の残り1/4周を走った。まだ時間はあったのでもう一度西崎へ行ってからフェリーに乗り込んだ。静岡のスケッチ青年は昨晩、港の近くのナーマ浜にテントを張ったという。出港後まもなく、海から飛び出てしばらく海上を飛んで再び海に入る魚の姿が見られた。帰りの船もよくゆれた。船外に出る人はほとんど無く、中で横になっている。でも船内はゲロのような臭いで気持ち悪い。

石垣に戻った後、港湾福祉センターでシャワー(300円)を浴び、コインランドリーで洗濯をした。買出し後、米原キャンプ場に戻って同じ場所にテントを設営した。

  • 今日の天気:曇のち晴
  • 走行距離:53.2km
  • 宿泊地:沖縄県石垣市米原キャンプ場
  • 入浴地:石垣港湾センター(300円)

15日目: 4月20日(金) 波照間島

朝起きて天気を確認した。午前中は何とか持ちそうだ。今日は日帰りで波照間島へ向かうのだ。港にバイクを夜の間置いておくのは危険だが、日帰りなので離島桟橋の安栄観光前の何台かバイクが置かれている所にバイクを置いた。安栄観光で往復の乗船券を買い、ヘルメットを置かせてもらった。

波照間行きの高速船は水しぶきをあげ、いくらかゆれながら進んでいった。海の色や島々がきれいだ。船は途中、西表島の大原港に立ち寄り、そこでツアー客などのほとんどが降りた。数人だけ残り、船は再び波照間島に向けて出港。少しして船は大きく揺れ始めた。波のうねりが大きく、船が高速で進むものだから揺れる揺れる。こりゃすごい。必殺ライディングフォームで応戦する。石垣から1時間20分ほどで波照間港に到着した。

波照間島の最南端
日本最南端(有人島で)

みのる荘の車に送迎してもらって自転車をレンタルする。2時間分の500円を支払って出発。まずは日本最南端の碑へ。そこでは、他の観光客とお互い写真の撮りあい。その後しばらくは、千葉から飛行機で来て西表島でキャンプしてから回ってきたという青年と行動を共にする。

星空観測タワーへ行ってみたが、昼間で曇っていて何も見えなくても入場料300円かかるというので上がらずに出た。島内周回道路を反時計回りに進み、西浜に行った。東屋にはどこかの宿の滞在者なのか、何をするでもなく数人がじっとたたずんでいる。監視されているみたいでちょっと嫌な感じ。と、そこに小雨が降り出したのでモンパの木へ移動。少し雨宿りしてレンタル自転車を返しに行った。千葉キャンプ青年は釣りをするというのでそこで別れ、私は港に向かった。港には案内がなく、どうすればよいのかよくわからなかったが、とりあえず出港5分前に安栄観光の船のそばに行ってみた。そして船員らしき人に帰りの乗船券を渡して船に乗り込み、石垣へ戻った。

  • 今日の天気:曇のち一時雨
  • 走行距離:88.7km
  • 宿泊地:沖縄県石垣市米原キャンプ場
  • 入浴地:キャンプ場の水シャワー

16日目: 4月21日(土) 竹富島

竹富島民家の屋根
赤い瓦とシーサ

今日は石垣を去る日。天気予報は曇昼過ぎ雨だが、なんとなく良くなりそうな雰囲気。キャンプ場を9時過ぎに出発。手軽に行ける竹富島に行ってみることにする。安栄観光の船で竹富島に到着。レンタサイクル等の案内をくぐり抜け、徒歩で歩いて行った。天気はすっかり良くなっている。暑い日ざしに赤い瓦とシーサが印象的だ。

透明度の良い、遠浅の浜
竹富島コンドイビーチ

コンドイビーチにたどり着いた。すばらしい青空に透きとおった水と砂浜。これは入るしかない。持ってきた水着に着替え、ビーチサンダルを履いて海水に入っていった。底には「なまこ」がうようよしている。干潮の時間に近づいているため、遠浅の浜は浅瀬の状態が遠くまで続いた状態になっていて、泳ぐことは難しい。ひざくらいの水深の中を歩いていくと、透明のような白っぽい魚が泳いでいるのが見えた。なんとこんな浅いところにと感激してしまった。ただ、ここの魚はすぐ逃げる。それにしても八重山最後の日にこんな天気のいい状態できれいな浜の体験が得られるとは。

浜を後にして、そば処竹の子で八重山そば(500円)を食べた。雨が降り出したが、やみそうにないので雨が降る中、港まで歩いていき、石垣に戻った。

いよいよ石垣ともお別れ。17時30分に琉球海運のかりゆしおきなわは那覇に向けて石垣港を出港した。

船内の同室には、米原キャンプ場にもいた、大阪のバイク青年もいた。彼はこれから沖縄本島を回ってから奄美大島を経て鹿児島に渡るという。

  • 今日の天気:晴のち曇、一時雨
  • 走行距離:30.6km
  • 宿泊地:琉球海運 かりゆしおきなわ船内
  • 入浴地:船内のシャワー

17日目: 4月22日(日) 那覇で鹿児島行きフェリー乗継

朝7時頃にフェリーは那覇新港に到着した。小雨がぱらついていたがすぐにやんだ。とりあえず市内中心部に走っていき、コインランドリーで洗濯、朝食を済ませた。てびち汁を食べてみたが、どうも口には合わない感じ。

波の上ビーチに寄ってみた。小さなビーチで、那覇市民の手軽なビーチといった感じ。水もあまりきれいではない。ビーチ近くの公園には、与那国島から石垣に戻る船に大型スクーターだけ載せて自分は空からの景色を眺めるために飛行機で戻ったおじさんがいて、ゆったりしていた。

鹿児島行きの琉球海運の船に乗るために再び那覇新港に向かう。船は石垣から那覇にくるときに乗ったのと同じかりゆしおきなわ。

12時に出港。これで沖縄ともお別れだ。乗客は少なかった。私は2等寝台を利用したが、私が入った部屋には、結局私一人だけで貸切状態。ゆとりの船旅と行きたかったが、波は高く船は大揺れ。気分は良くない。

  • 今日の天気:晴、朝のうち曇
  • 走行距離:27.0km
  • 宿泊地:琉球海運 かりゆしおきなわ船内
  • 入浴地:船内のシャワー

18日目: 4月23日(月) 知覧特攻平和会館

朝起きると気分は良くなっていた。船はちょうど鹿児島湾に入ったところで、開聞岳が見える。波も穏やかになっている。

薩摩富士
開聞岳

8時に鹿児島本港到着。まず、郊外の吉野公園に行った。逆光気味に桜島が大きく見える。次に市街地にある西郷隆盛像の前で記念写真。それから指宿方面に向かった。途中、鹿児島市の南端にある平川付近で何やらロケットの形をした構造物が丘の上に建っているのが見えたが、どこから入っていけばいいのかわからなかったので、そのまま通り過ぎた。長崎鼻で開聞岳を眺めた後、知覧町に向かった。知覧は想像していたのより開けた町だった。知覧特攻平和会館に入ってみた。多くの遺品や隊員の写真などが展示されている。中でも出撃前の隊員が書いた遺書には見入った。多くの遺書には、「特攻の命を受けたことをお喜びください」といったようなことが書かれている。あまりにも悲しい。

その後、加世田市まで出て国道270号、3号を北上していった。翌日は天気が悪そうなので距離をかせぐ。熊本県八代市の県道で見慣れた赤い看板のコンビニ発見。ポプラだ。熊本にも進出していたのね。

結局、宇土半島の付け根にあたる不知火町で宿をとった。どこから中に入っていいのかわからず、ちょっとあやしい感じの宿だったが入ってみればまあまあ。

  • 今日の天気:晴、夕方から曇
  • 走行距離:345.2km
  • 宿泊地:熊本県宇土郡不知火町(嫁坂バス停前) 旅館つかはら荘

19日目: 4月24日(火) 天草経由、長崎

朝は小雨がぱらついていたが、出発してまもなくやんだ。三角町からいくつかの橋を渡って天草諸島を走る。途中、松島のような光景もあった。本渡市の天草切支丹館に寄った。そこには天草四郎時貞を総大将にした天草・島原の乱のときに使われたという陣中旗(レプリカ)が展示されていた(普段はレプリカを展示し、特定期間のみ実物を展示とのこと)。まるで西洋の宗教画の美術品のようだ。

鬼池港からはフェリーで長崎県島原半島の口之津港へ移動。フェリーでは、明石から屋久島に旅して帰る途中のライダーと話をした。深江町にある道の駅で土石流災害時のまま保存されている家屋を見た後、山のほうに向かい、仁多峠循環道路を上っていった。空は曇っていて、上のほうはぽつりぽつりと小さな雨粒がぱらつきかけていたが、眺めはすばらしい。しかし上のほうは寒い。下っていくと雲仙温泉、さらに下って小浜温泉がある。それぞれ、湯けむりが上がり、いい感じの温泉街だ。


眼鏡橋

長崎市内に入り、めがね橋を見た。ちょうど川を流れる水の反射でなるほどめがねに見える。夕方のラッシュと重なり、長崎市内は渋滞している。広島と同じで路面電車が走っていることもあり、道路幅は狭く、すりぬけもやりにくい。雨も降ってきた。まだ先にも進みたいので佐世保に宿をとることにし、電話で宿の手配をした。宿の近くまで行ってみると、そこは飲み屋街。タクシーもたくさん停まっていて、宿を探してバイクを置くのに手間取ってしまった。宿の中まで飲み屋のカラオケ音がうるさいが、宿の人たちは家庭的だ。疲れもあり、カラオケの音も何のそので寝ることができた。

  • 今日の天気:曇時々雨
  • 走行距離:307.7km
  • 宿泊地:長崎県佐世保市山県町 美好旅館

20日目: 4月25日(水) 本土最西端から佐賀経由、広島帰着

朝起きると天気はすっかり良くなっている。今日は広島まで帰らなければならない。朝8時過ぎに出発。九十九島が展望できるところを寄り道した後、日本本土最西端となる、小佐々町の神崎鼻公園に行った。最西端の碑はまさに端に近い海岸べりにたっている。その後、平戸大橋を渡って平戸に行ってみた。観光地付近の道路は狭い。オランダ商館跡には商館の模型が展示しているだけで広場のようになっている。

佐世保市石岳の近くから望む
九十九島
神崎鼻
日本本土最西端

吉野ケ里遺跡

佐賀県に入り、国営の公園になったばかりの吉野ヶ里歴史公園に行った。7年前にきたときは駐車料金は取っていなかったはずだが有料(2輪100円)になっていた。さらに入場料400円かかった。公園として広くなっていて、復元されている建物の種類も多くなっている。発掘作業をしているところも見ることができた。その分遅くなってしまい、出る頃には17時になってしまった。

時間短縮のため太宰府ICから門司ICまで九州道を利用。途中、PAで博多ラーメンを食べた。門司はレトロの町。JR門司駅に行ってみると、レトロな駅舎がライトアップされている。駅構内の案内表示もレトロだ。

さて、これで九州は終了だ。夜景のきれいな関門大橋を渡り、ひたすら中国道、山陽道を広島に向けて走る。今晩は冷え込む。トレーナーとジャンパーの間にセーターを着たが、それでも寒い。日付が変わって0時30分、やっと自宅にたどり着いた。

  • 今日の天気:晴
  • 走行距離:515.6km
  • 総走行距離:3495.8km