[ 410] THE FREEWHEELIN' BOB DYLAN 記入日時 2003/11/12 (水) 6:55 2002

このアルバムジャケットどうですか?
いいでしょう!

これはボブ・ディランが1963年に発表したセカンドアルバム「フリーホイーリン」で、ディランが当時の恋人スージー・ロトロと冬のグリニッジビレッジを歩く姿を撮影したものです。

僕は3枚のLPアルバムを持っていて、よくを聞いていました。ただこのアルバムは、友だちに借りて聞いてはいたのですが、手元になかったのです。
そして、このジャケットがもう1度見たくなり、先日買いました。

そしていま再びディラン節を聞いてますが、30年たった今でも色あせる事なく心に響いてきます。

BLOWIN' IN THE WIND 風に吹かれて
MASTERS OF WAR 戦争の親玉
A HARD RAIN'S A-GONNA FALL はげしい雨が降る
DON'T THINK TWICE, IT'S ALL RIGHT くよくよするなよ


そこで長くなりますが、ボブ・ディランについて書いてみます。


1962年、デビュー・アルバム『Bob Dylan 』発売。
これが僕がディランに触れた(買った)初めてのアルバムです。
HOUSE OF THE RISIN' SUN 朝日のあたる家
SONG TO WOODY ウディに捧げる歌

この歌のように、当初はプロテスト・フォーク・シンガーとして売り出します。
1941年5月25日ミネソタ州で生まれた彼は、始めユダヤ教徒として育てられ、70年代の終わに熱心なクリスチャンになるのですが、その事が彼の作詞が聖書からの引用の多い要因になるようです。
61年、ニューヨークの出てきたディラン(本名はロバート・アレン・ジンママン)は、入院中のウディ・ガスリーにさっそく会いに行きます。
ウディは元祖プロテスト・フォーク・シンガーで、放浪の吟遊詩人だったのです。
そして62年にこのファーストアルバムを出しますが、自作の曲は2曲だけで、あまり売れませんでした。

1963年、セカンドアルバム『
THE FREEWHEELIN' 』が発売されます。
これは上に書いたようにフォークシンガー時代のディランの代表作が納められ、公民権運動、ベトナム戦争など、大きく揺れ動いていたアメリカの若者の心情を歌にし、ディランは世界じゅうに知られるようになっていきます。

そして1964年『
The Times They Are A-Changin' 時代は変わる』が発売され、プロテスト・フォークシンガーとしてのディラン像が確立します。
このアルバムも僕はよく聞きました。写真のようにこのディランらしくない顔も、当時としては非常に魅力的で、この髪型も真似したものです。

そして同じ64年に『
Another Side Of Bob Dylan 』を発売します。
これはサウンドこそアコースティックですが、詩の内容はプロテストフォークではなくラブソングが中心となっていて、彼の変化の兆しを見せていたのです。

1965年、問題のアルバム『Bringing It All Back Home』が発売されます。
いまこのLPジャケットを、目の前にして書いています。LPレコードって大きくて収納に困りますが、アルバム写真の大きさはなんとも素晴らしいですね。
話がそれました。
このアルバムはフォークロックの誕生を告げる革命的アルバムであり、60年代ロックの出発点ともなった重要作品です。
前作で新しい方向を示し始めたディランに対して、賛否両論の渦の中このアルバムが発売されたのです。そして事件が起きました。
1965年7月25日ニュー・ポート・フォーク・フェスティバルで、フォークの基本でもあったギター一本の弾き語りスタイルを、ディランはアル・クーパー、マイク・ブルームフィールドといったその後、ブルース・ロックで世界を席巻するコンビを従え、エレキギターやドラムのロックバンドのスタイルで登場し「マギーズファーム」を歌い出したのです。
ディランは、言葉でメッセージを伝える「フォーク・ソング」というスタイルに限界を感じ、サウンドそのものが自由な「ロック」の新しい魅力に気づいてたのですね。
ところがその夜の聴衆の多くは頭の固いフォークマニアでした。彼らはディランを野次り倒し、ついにディランはギターをフォークギターに変え「イッツ・オール・オーバー・ナウ・ベイビー・ブルー」(憂うつなベイビー、すべては終わったよ)を歌って舞台を降りたのです。
その後、同じ65年に発売された『
Highway 61 Revisited追憶のハイウェイ61』では完全にロックアルバムになり、これに納められシングルカットされた「LIKE A ROLLING STONE ライク・ア・ローリング・ストーン」は、全米チャート2位まで上昇したのです。時代は彼の変化を必要とし、やっと時代が彼に追いついた瞬間でした。

そして彼は1966年にバイク事故を起こし、デビュー以来猛烈なスピード(4年間に7枚のアルバム)で突っ走るような人生を、この事故を境に人間が生まれ変わったかのように、活動のペースと方向を変えてしまいます。そしてその後、彼はまさに「ライク・ア・ローリングストーン」のように、前身と変身を繰り返しながら、20世紀を代表するアーティストとしての活躍してゆくことになるのです。

以上ざっと、ディランの歴史を振り返りながら書いてみました。ぜひボブ・ディランの歌声にいつか耳を傾けてください。素朴な中に響くものを感じるはずです。
なお左は2000年に発売された『The Essential BOB DYLAN』(日本未発売)で、数多くある彼のアルバムの中で、若い頃の一番ディランらしい写真なので、ここにアップしました。かっこ良いでしょ!?
冒頭にある「フリーホイーリン」の恋人スージー・ロトロが、寄り添いたくなる気持ち分かりますよね(笑)


[ 409] イントゥリーグ(フロリバンダ) 記入日時 2003/11/11 (火) 6:55 2002

昨日の村山由佳「海を抱く」の中に、確か「ハイブリッドティーのバラが…」という行(くだり)がありました。

本を読んでいると、知らない事が多くその度に電子辞書の広辞苑で調べるのですが、それでも分からない事があります。
この「ハイブリッドティー」もその一つで、広辞苑でも出てきません。そこでネット検索するとたちどころに分かりました。

ところが、バラの種類を調べると大変な事が分かりました。
バラの種類は星の数ほどあるのです。

そして、バラ固有の名前の他に分類の名前を持っています。
イングリッシュローズとオールドローズ。これは分類名でこれは育成方法が由来のようです。この分類の他にモダンローズという呼び方があり、これはオールドローズと区別して呼ぶようです。

そして枝の付き方の違い(樹型)で別れ、ハイブリッド・ティー系、フロリバンダ系、ミニチュアローズ系、つるバラ系、そしてスプレイ系に別れます。つまりハイブリッド・ティーというのはバラの種類の名前だったのです。バラの名前は星の数ほどあるので、名前そのものを言い表さなくても、その種類を言う事で伝わるわけだったのですね。

写真はわが家で咲いていた、フロリバンダ系のイントゥリーグという名前のバラです。名前の意味は「はかりごと」。「不倫」なんていう意味もあるそうです。
バラを調べてみたら、あまりに奥が深いので驚きましたが、バラの名前を1つくらい知ってるといいですね。


[ 408] 村山由佳「海を抱く BAD KIDS」
記入日時 2003/11/10 (月) 6:20 2002

昨日は充実した休日を過ごせました。
ピアノは、付点を克服するためメトロノームを多用しました。
以前はメトロノームが入ると途中から弾けなくなったのですが、昨日は練習が進んでいるせいか、最後まで弾き通せました。
We're All Alone に関してはもう大丈夫だと思います。
またStardustは片手ずつの暗譜は困難です。しかし片手だけ弾く練習をした甲斐があって、以前のレベルに戻った気がします。
今日は忙しいので無理かも知れませんが、今週もこの調子で頑張ります。

ピアノの他、総選挙ですが、これはBBSに書きます。

そして、午後は読みかけの村山由佳「海を抱く BAD KIDS」を読んで読み終えました。

さすが村山由佳ですね。興味を起こさせ、ぐいぐい読者を引き込みます。これが村山ワールドです。
まず前半の女性の性欲に関する部分ですが、やはり男性として非常に興味深く読ませてもらいました。僕も幼い頃から性欲がある方だと思っていたので、女性と言えどもそうなのだと納得しました。そして尊厳死のテーマは、僕にない考え方を見せられ考えさせられました。
ただ1つ、間違っている事があります。それはマリファナの事を書いているのですが、マリファナの幻覚作用はどんな精製がよいものでも、あんな視覚をゆがめるような幻覚作用はありません。(どうでもいい事だが)
とにかく、文庫本(600円+税)で安いので、若い人にもぜひ読んで欲しいと思いました。


[ 407] 今日はゆっくり休日を楽しみます。
記入日時 2003/11/09 (日) 5:55 2002

昨日はピアノのレッスンがありました。
PM4からだったのですが、10分くらい遅れてbubuさんの教室に行きました。
いつものように少し雑談して。いや、いつもの30分くらい雑談するのが普通なのですが、昨日は10分くらいですぐレッスンに入りました。
そして気がつけば終わったのは、PM5:30。
たしか1時間以上レッスンして頂きました。
bubuさんに本当に感謝です。
夕方の時間だと、まだ体力と集中力が残ってるので、1時間のレッスンも大丈夫でした。
本当は帰ってからピアノ練習するのが一番いいと思うのですがやはりお酒の誘惑に負けて、お風呂して、レッスンの充実感で美味しくお酒を頂きましたー(^_^)

さて、今日は大きな用事はありません。

だから、ゆっくり出来るので、何をしようかといまからワクワクしてます。まずは、ピアノ!付点の長さを克服します。
そして、選挙。皆さんも行ってくださいね。あとは、映画を1本は見ます。そしてまたピアノ。
ここの映画の記録も書きたいです。今日はゆっくり休日を楽しみます。

ところで写真は何だと思いますか?チョコレートなんですよ。今日使う画像がないので、撮りダメしたものです。(^_^)


[ 406] 「勇しいちびの仕立屋」Das tapfere Schneiderlein 記入日時 2003/11/08 (土) 6:40 2002

最近、思い出す事があります。
それは昔話なのですが、内容をよく覚えてなく「七匹のハエをいっぺんに殺した男」という部分だけが印象的な話でした。

そこで調べたら、やはりグリム童話でした。
題名は訳によっていろいろありますが、「勇しいちびの仕立屋」

小柄な仕立屋がある朝、行商からジャムを買うのです。
ところが買ったばかりのジャムにハエがたかったので、布きれで叩くと、なんといっぺんに7匹
のハエが死んでしまうのです。

ちびの仕立屋は自分でも驚いて「一撃七匹」と帯に縫い付け、その帯を腰に巻いて「世界中にふれまわってやるんだ」と町に出て行くのです。
物語は、このちびの仕立屋が難問を次々に解決し、(グリム童話独特にオドロオドロしく展開するのだが)、最後は王様の領地をもらうのです。

ところで、僕は子供の頃この話を読み、子供心にどうも釈然とせず、この物語の意味するところが分からなかったのです。
そう、ハエを7匹いっぺんに捕まえた事が、なんでそんな自慢なのか不思議な感じを抱いてたのです。

ところが最近若い人たちと接するにつけ、「もっと自分に自信を持てば、そんなに悩まなくてすむのに。」と思う事が多く、その時ふとこの話を思い出したのです。そして、分かったのです。「ハエ七匹なんだ!」と。

たかがハエ七匹ですが「
どんなことでも、それをアピールする事で自分の自信とする事が出来る。
そして「
自分の長所や才能は必ず人に備わっていて、それを発見しアピールし続ける事で自信となり、力になる。
そういう事じゃないかと思ったのです。
ハエ七匹は実際には大変かも知れません。しかし、人によっては気にも留めない事だと思うのです。人がどう思うかではなく、自分で自分を奮い立たせる事であれば、どんな些細な事でもいいという事が「ハエ七匹」だったのです。

グリム童話は最近になって、いろいろ変な解釈が生まれています。ただ、この話を思い出すと、これは大人へのメッセージのような気がします。子供にはこの話は分からないですよね。
そして、いま自分に自信がなくて悩む事があるのなら、ぜひ「自分のハエ七匹」を見つけて欲しいと思うのです。


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