(1,406m、 静岡県)
Aシャクナゲ紀行・・・2017年5月21日
@降雪の天城山・・・1996年3月2日
1996年3月2日(土)
相模原−箱根ターンパイク−天城高原ゴルフ場〜万二郎岳〜万三郎岳〜天城高原ゴルフ場 |
今年になってまだ何処へも行っていないので、早く山へ行きたくてうずいていた。
3月になるのを待って「さて、どこへ行こうか」、と思いめぐらした時、天城山が浮かんできだ。伊豆なら雪もないだろうと思い、日帰りで行って来ることにした。
箱根のターンパイクはチェーン規制がされていた。チェーンを着けて雪のない道を登って行くと、やがて完全な雪道になった。この時、まさかここで死ぬ思いをするとは夢にも思わなかった。
車が前輪駆動なのでチェーンを前輪に着けていた。左手が山で右手が谷になった坂道を登り切って、左カーブの下り坂になった瞬間、後輪がスピンして反対車線へ飛び出した。もうダメかと思った。一瞬、目を閉じた。何が起きたのか分からなかった。車は半回転以上もして後部を左側の崖にぶつかって止まった。
幸い身体も車も損傷がなくて助かった。しかし、もし反対車線から車が来たら、と思うとゾッとした。もし左側が崖でなく谷側だったら、一瞬のうちに天国へ行っていただろう。それに左側の崖が岩やコンクリートでなく、赤土だったのも幸運だった。
神に感謝しつつ、気を取り直して、予定通り天城山へ行くことにした。
スカイラインを走りながら、天城連峰の写真を撮りたいと思ったが、どんよりした黒い雲に覆われて見えなかった。
天城高原ゴルフ場の駐車場に車を止めた。周りは2、3センチの新雪が積もっていた。昨夜雪が降ったらしい。その新雪を踏んで万二郎岳(1294m)を目指して登って行った。
山道に入ると雪がが然多くなった。しかも今日はまだ誰も歩いた気配がなく、登山道は雪に埋もれていた(写真左)。しかし、登山道は少し窪んでいるので、それを頼りに登って行った。真っ白いカーペットのような雪面に足跡を着けながら歩くのも、なかなか気分がいいものだ。
この辺は姫シャラ(写真右)やツツジの木が多かった。シャラは背丈があって落葉しているので見通しが利いた。
登るにしたがって積雪量か多くなった。時々立ち止まっては道を探さねばならなくなった。
万二郎の手前で小雪が降ってきた。アイゼンもピッケルも持って来なかったので、万二郎の下りでは苦戦した。
天城山とは、万二郎岳や万三郎岳などの総称で、最高峰は万三郎岳である。私がその万三郎岳へ着いた時、標識の所に若い女性2人が立っていた。私の前には誰もいなかったはずなのに、どうして山頂に人がいるのだろうと疑問に思いながら荷物を置いて水を飲もうとした時、待ってましたとばかりに私に近づいて来て、「写真を撮ってくれませんか」とカメラを差し出した。
私は喉がカラカラだったので、「ちょっと待ってくれ。水を飲ませてくれ」と言って水を一口飲んでから写真を撮ってやった。しかし、山を登る者ならば、せめて水を飲むぐらいは待ってほしいものだ、と思った。
彼女達は反対側の修善寺の方から登って来たらしく、写真を撮るとすぐに下って行った。
雪が本降りになった山頂で一人タバコをふかしていると、続々と登ってきた。その中の一人に、「どちらへ下るんですか」と聞かれたので、「巻き道を通ってゴルフ場まで」と答えると、ホッとした表情を浮かべながら、「よかった……。私達も巻き道を下るつもりだったんですが、道が無いんでどうしょうかと思っていたんですよ……。先に行って足跡を付けてくださいよ……。その足跡を頼りに後から行きますから……」と言った。
私は足跡一つない登山道を歩きながら、雪道で他人がラッセルした後を歩くのを「ラッセル泥棒」というが、この程度の雪ではラッセルとは言わない。ただ足跡を付けるだけで後から来る人が助かるなら、これも人助けのうちかも知れないな、と思った。
(平成8年)