(3,013m、 静岡県・長野県)
1996年8月8日(木)
百間洞山ノ家〜大沢岳〜中盛丸山〜小兎岳〜兎岳〜聖岳〜(奥聖岳往復)〜聖平小屋(泊) |
今日は聖岳へ行く日である。聖岳の山頂から朝日が昇ったようだが、雲があるせいかボンヤリとしか見えなかった。
今日はとにかくロングコースである。まずは大沢岳を登り詰めて尾根沿いに中盛丸山、小兎岳、兎岳を越えて、最後に天王山ともいえる聖岳の登りが待っている。「今日は絶対にバテない」と思いながらも、
もしバテて動けなくなったら兎岳の避難小屋へ泊まるつもりで水を余分に持った。
百間洞山ノ家からは尾根を登って大沢岳へ出るコースと、沢沿いに登って大沢岳と中盛丸山の鞍部へ出るコースがあるが、小屋の人から「沢沿いは荒れているから尾根道を行くように!」と言われたので、尾根道を行くことにした。
小屋からはすぐ急登になった。ハイマツとお花畑の急登である。しかし、ここを登らないと今日の縦走が始まらない。
大沢岳は、右に北峰、左に本峰と二つのピークを持った山であるが、別々の山のように見えた。登山道はその二つの山の鞍部へ出た。稜線は陽に当たって白いガレた岩肌が光っていた。しかし、聖岳は逆光のため、まだ眠りからさめない。
(稜線分岐から大沢岳本峰と中盛丸山) |
(左正面に見える聖岳が大きい) |
(写真は大沢本峰の下りから見た中盛丸山と兎岳方面) 大沢岳からはグーンと下らされ、下った分だけ登り返す。 中盛丸山の山頂に立ち、急斜面を下り、再び登り返すと小兎岳へ着いた。下りの途中に水場の標識があったが、水はタップリ持っているので素通りした。 |
もし途中でへばったら泊まろうと思っていた避難小屋が、2、30メートル下に見えた。コンクリート造りの小屋だった。私は迷わず聖岳まで行く決心をした。心配していたほど疲れてはいなかった。「こんな所でバテてたまるか」という気持ちの方が勝っていた。
(写真左:聖岳の登りはヤセ尾根でガレている)
いよいよ聖岳への登りである。山頂部にはガスがかかっていたが、雨の心配はなさそうだった。 時々、道が崩れ、左手のハイマツの中を迂回させられた。腰まで潜るハイマツを漕ぐのも一苦労だ。枝や根をまたいだり潜ったり、エネルギーの消耗が激しい。 |
この道は、雨が降ったらいやらしい。昨日、聖平から13時間かかったと言う3人組を思い出した。このガレた道を下るのは、やはり難儀だろう。ハイマツの中を迂回するにも、若い女性がいては大変だと思った。私はこんな所を下りにとらなくてよかったと思った。
ついに聖岳の山頂へ立った。ヘトヘトになってしまったが、とにかく一度は立ちたかった聖岳である。思わず万歳をしてしまった。山頂には2、30人もいた。近くにいた人にシャッターを押してもらった。 山頂で最後まで残しておいた水ようかんを食べた。本当にうまかった。ここで湯を沸かし、ラーメンを食べ、コーヒーを飲んでくつろいだ。 とにかく聖岳の山頂に立てたという満足感でいっぱいだった。 |
ここからは、今日一日歩いて来た山々が見えた。少しガスがかかってしまったが、時々、昨夜泊まった百間洞の小屋も見えた。 |
しばらくしてから、カメラだけを持って奧聖へ向かった。ほとんどの人が山頂にザックを置いて往復している。
奧聖にはコンクリート製のケルンが立っていた。そこで交代で写真を撮った。
このケルンから先は行き止まりになっていた。尾根が崖のようになって谷へ落ち込んでいた。
(山頂からの奥聖岳・・・ガスっているピーク)) |
(奥聖岳からの聖岳) |
ついに念願だった奧聖岳にも立てて本当に嬉しかった。「これで今回の山行は、全て登頂した。後は下るだけだ」と思った瞬間、急に疲労を覚える。聖岳からこの奥聖へ来る時は元気に跳ねるように下って来たが、聖岳までの登り返しは足が鉛のようだった。
聖岳から聖平小屋へ下る途中で20人ほどのツアーに会った。胸にワッペンを付けた20代から60代の混成パーティーだった。最近はアルプス登山もツアーで来る時代になったのかと驚いた。
聖平の小屋は、ログハウスの立派な小屋だった。さっそく缶ビールを買い、無事に縦走できたことを祝って一人で乾杯した。
ここは水場が遠いのが唯一の難点だった。今年は雨が少なく水場が涸れてしまったそうで、200メートル以上も下らないと水場がなかった。今回泊まった小屋で、この小屋だけが自炊だった。(現在は食事付きになっています)
8月9日(金)
聖平小屋〜椹島−(バス)−新静岡−(新幹線)−新横浜 |
今日は下山するだけなので、ゆっくり起きた。外へ出ると、昨日私の隣で夕食をしていた2人組が昨日と同じ場所で朝食の準備を始めていた。その2人組からコーヒーをご馳走になった。2人は50代前半で、今日は光岳まで行くと言う。
ここからは、正面に2人が向かう縦走路が見えた。南岳か上河内岳かよく分からないが、三角錐の山だった。あの山を越えて光岳まで行くと聞いて、私も無性に行きたくなった。いつの日か必ず行こうと思った。
ここからは一気に下ったが、かなりシンドイ下りだった。こんな所は絶対に登りたくないと思った。やっと林道へ出たが、椹(さわら)島までが遠かった。
椹島へ着くと、11時からお風呂に入れるというので、その間にラーメンを作って食べた。 (平成8年)
最後に、この縦走の7年後に上河内岳から撮った聖岳をご覧下さい。(左が聖岳、右が奥聖岳)
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