飯豊山−2/2

10月11日(金)
梅花皮小屋〜御西小屋〜大日岳往復〜飯豊山〜飯豊本山小屋(泊)

 まだ暗いうちに小屋を出た。梅花皮岳の山頂の手前で朝日が昇った。背後にある北股岳が、朝の光の洗礼を受けてオレンジ色に輝いていた(写真左)。

 北の空には、昨日見た鳥海山や月山などが、まるで海に浮かぶ小島のように雲海の上に浮かび上がっていた。

 ここは実に気持ちいい稜線だ。正面に烏帽子岳、右手の谷をはさんで大日岳がドーンと横たわっている。大日岳はどうしても登りたくなる山だ。

 烏帽子岳まで来ると、本山がよく見えた。昨日は雲がかかっていたが、今日は雲一つないスッキリした空に、シルエットになって浮かび上がっていた。写真を撮るには逆光になるが、そんなことはお構いなしに何枚も写真を撮った。

 途中で本山と大日岳がよく見える所で休憩した。登山道に座り込んで休んでいると、アゴにヒゲを生やした30歳位の男性が、「私も休憩しよう」と隣に座り込んできた。こんなすばらしい展望の中を、スタスタと歩いてしまってはもったいない。


(烏帽子岳の下りから見た大日岳)

(烏帽子岳と御西小屋の間で見た飯豊本山)

 この辺は全くと言っていいほど紅葉はなかった。紅葉する樹木がなくハイマツなど緑の樹木が多いので驚いた。

 御手洗池まで来ると、わずかに紅葉があった。少し遅すぎたようで、池の周りにナナカマドが数本真っ赤に色づいていた。池の水に映る紅葉と、そのバックに見える烏帽子岳とカイラギ岳の構図が絵になった。ハイマツの緑と、所々に見える残雪が、いかにも東北の山という感じがした。山に残雪があるというだけで、山が蘇り、引き立って見えた。

(写真は御手洗ノ池の紅葉、背後は烏帽子とカイラギ岳)

 御西小屋近くまで来ると、左側(北側)の斜面に、緑のハイマツの中に紅葉が見られるようになってきた。こうでなくていけない。せっかく紅葉を見に来たのだから……。

 御西小屋の周りには、大日岳を往復する人達のザックがいっぽいデポしてあった。私は荷物を小屋の中に置かせてもらおうと中に入っていくと、板の間にビニールシートを広々と広げ、真ん中にザックが置いてあった。わずか5、6個のザックが、20人分ほどのスペースを占領しており、ザックを置く場所がない。仕方がなく土間に荷物を置いたが、あまりにも非常識な連中に怒りを覚える。まだお昼にもなっていないのに、広々と寝床を確保してどうするつもりなんだろう。これから来る人には別の小屋へ行けと言うのだろうか。

 さっき会ったアゴヒゲの若者は、土間でラーメンを作っていた。私はサブザックで大日岳へ向かった。ここから見る大日岳は、昨日から見て来た山容と一変した。実に格好いい。

(写真:右が大日岳、左が牛首山←拡大できます)

 牛首山もすばらしい。大日岳は2,128メートルで、飯豊本山が2,105メートル、つまり飯豊本山より23メートルほど高い。大日岳は飯豊連峰の最高峰なのである。この最高峰に登らずして飯豊は語れまい。ここから往復約3時間のアルバイト。



(大日岳からの本山)

(大日岳から御西小屋へ戻る途中から見た三国岳方面)

 再び御西小屋へ戻る。ここからはいよいよ念願の飯豊本山である。疲れなんか全く感じなかった。天気がいいうちに山頂へ立たなくてはいけない。一気に本山をかけ登った。

 そして、ついにやった。長年の憧れだった飯豊本山の山頂へ立った。まさに感無量だった。早速この時のために用意してきた「日本百名山、50座登頂」と書いた紙を広げ、近くにいた2人連れの若者にシャッターを押してもらった。若者は「50座ですか……。すごいですね……」と言ってから、「おめでとう」と言ってくれた。この若者は昨日カイラギ小屋で、私の隣へ入れてやった若者だった。

 50座登頂の記念写真を撮って、今度は缶ビールで乾杯したいと思ったが、まだ小屋までしばらく歩かなくてはならないので我慢した。


(本山と小屋)

(本山からの展望)

(日本百名山 50座登頂)

 小屋は、山頂から東側に少し下って登り返した所にあった。(山頂から15分程度)。さっそく荷物を置いて、すぐに缶ビールで乾杯した。この時のために、わざわざ缶ビールを持って来たのである。

 ここは水場が少し遠い。3分ほど一ノ王子方面へ行って左側の斜面を下った所にあった。水は細くチョロチョロと流れていた。水をくむために順番待ちだった。
 小屋へ戻る途中、ヒゲの若者がテントを張っていたので、テントの前に座り込んでしばし山談義。

 小屋はかなり混んできた。次から次へと人が入って来る。その人達を20代の若い管理人が隙間を見つけて入れさせる。ここは夏期以外は無人と聞いていたが、紅葉の季節は土曜、日曜だけ入るらしい。そして管理費(2,000円)を、きっちりと取り立てる。
 ここは缶ビールを売っていた。すぐに飛びついたが、小さい缶ビールが1,000円と聞いて諦め、持って来た日本酒で我慢した。

 夕食後に周りの人達と雑談している時、相模原から来るのに10時間以上もかかってしまったことを話すと、帰りは新発田へ出て、新潟から関越で帰った方が遙かに早いと言われ、帰りは関越回りで帰ろうと思った。


10月12日(土)
飯豊本山小屋〜ダイグラ尾根〜飯豊山荘−新発田−(関越道)−相模原

 朝6時前に再び本山へ立った。ここからダイグラ尾根を一気に下らなくてはならない。登り返しが幾つかある7時間のロングコースである。途中に水場がないので、ポリタンを満タンにしてある。

 朝焼けに染まるダイグラの峰々を見下ろしながら下り始める。この尾根は紅葉が見事だった。宝珠山のピークあたりの紅葉は、私が知っている穂高の涸沢や日光の紅葉よりもすばらしかった。尾根全体が紅く色づき、今まで見た紅葉の中で一番すばらしいと思った。

 途中でクマのフンを踏んづけて驚いた。踏んだ時は人のウンチかと思ったが、人のウンチにしてはパサパサしている。近くにいた人が「クマのフンだ」と言っていたのでビックリした。クマのフンがあるということは、この辺にクマが出没するということだ。その辺にクマがひそんでいないかとビグビグした。

 途中で、私が道ばたに座り込んでお菓子を食べていると、後ろから来た単独行が、「ガサガサするのでクマが出たかと思いましたよ」、と緊張した顔で言った。よく見ると顔が蒼白で引きつっていた。「ごめん、ごめん」と詫びたが、その後、私も同じような経験を何回かすることになった。

 前の登山者がザックを開けてガサガサしていると、「クマが出たか!」と立ち止まる。そして、恐る恐る近づき、登山者の姿が見えるとホッとした。そして、その後に「クソー、脅かしやがって!」という気になった。こういう時は、なるべく後ろの人から姿が見やすい場所で休憩しなくてはいけない。それが登山者のマナーだと思った。

 ここの下りは実に長い。紅葉はすばらしいが、登り返しがあり、クマが出るかも知れないという緊張感もあって、吊り橋の所まで来た時はもうメロメロだった。なりふり構わず沢の水をゴクゴク飲んだ。ここまで来ればもうクマの心配も無いだろうと思うと、ド−と疲れが出た。足を引きずるようにして再び歩き出した。

 やっとの思いで駐車場へ着いた。飯豊山荘へ行くと、ちょうどヒゲの若者がお風呂から上がって来たところだった。私もゆっくりと風呂に浸かった。
 帰りは新発田へ出て、関越道を回って帰って来た。行く時よりもはるかに早く約6時間で家に着いた。

 飯豊山はもう一度行ってみたいと思った。川入からも登ってみたいし、えぶり差岳の方へも行ってみたい。
 今度は高山植物が咲く初夏の頃に行ってみたいと思っている。     (平成8年)

   (イイデリンドウが咲く丸森尾根から杁差岳は→こちら