@残雪の石鎚山

夜明け峠から見た石鎚山。

2000年4月30日(日)
成就から石鎚山往復


多度津530−伊予西条−840ロープウェイ〜成就930〜弥山〜天狗岳〜弥山1418〜1640成就(泊)

 昨日、剣山を登って多度津駅前の宿へ泊まり、今朝5時半の伊予西条行きの電車に乗った。空はどんよりとしている。天気予報も午後から雨と報じている。せめて今日一日だけは何とか持ってほしいと願った。

 伊予西条へ近づくと、左前方に石鎚山が見えた。上部には残雪があったが、想像していたよりも少なかった。

 実は石鎚山を見るのは30年ぶりだった。仕事で伊予西条へ来た時にタクシーの中から見て驚いた。四国にアルプスのような山があるとは知らなかったからだ。タクシーの運転手にあれが石鎚山だと教えられ、それ以来ずっといつかは登ってやろうと思っていた山だった。

 ロープウエイはすでに動いており、8時40分発に乗ることが出来た。このロープウエイは、標高差720メートルを約8分で登る。こんな急勾配を下から歩いては大変だ。

 山頂駅からは石鎚山こそ見えないが、瓶ケ森方面が良く見えた。成就まではよく整備された道を30分ほど登って行く。成就は、山の中にどうしてこんな土産屋が並んでいるのだろうと思うような所だった。

 成就とは、今から1300年前、役の行者が石鎚を開山したとき、修業を終えて下山のおりに、ここから山を振り返って『我が願い成就せり』と言われたことからこの名が付いたという。
 一番手前にあった日の出屋旅館が今日の宿である。玄関をくぐって、必要のない荷物を預かってもらった。


 成就発9時30分。
 宿を出るとすぐに右手に立派な石鎚神社本殿があった。そして樹木の間から石鎚山が見えた。上部は切り立った岩稜で谷筋には残雪が見えた。

 神門(入山門)をくぐって八丁坂といわれる道を下って行くと、樹木の間から砦のように立ちはだかった弥山、天狗岳などの岩稜が見えた。ぜひ写真に収めたいと思ったが、樹木が多すぎてシャッターチャンスがない。

 八丁坂を下ると、今度は急登で一気に絞られた。うねりながら長々と続く木の階段。さっき成就の宿で飲んだお茶とコーヒーが、もう汗になって流れ出した。

 試し鎖(写真)の下まで来ると、一人の中年男性が鎖に掴まりながら登っていた。「この鎖場はなめてはいけない」とインターネットに載っていたので、気合いを入れて登り始める。この鎖は74メートルあるという。ここは北アルプスなどの岩場と違い岩が逆層なので足場が少ない。どこも滑るような気がして、二本の鎖を両手で持って腕力で登って行った。

(写真を拡大してご覧下さい)

 やっと登りきると、そこは切り立った崖の上だった。眼下に小屋が見えた。鎖はぶら下がっていたが「本当にここを下るのだろうか」と不安になった。その時、小屋の近くに人がいたので、大きな声で、
「下るコースはここですか−」
 と聞くと、
「そうですよ−。そこさえ下ちゃえば、あとはへノカッパですよ−」
 という言葉が返ってきた。

 とにかくオーバーハングのような所を鎖にぶら下がって必死に下り、小屋の前で座り込んでしまった。何といやらしい鎖場だったことか。緊張感と全身の力で登ったのでガックリときた。こんな鎖場があと三箇所もあると思うとウンザリした。実は四十肩でまだ少し右肩が痛いのと、出かけて来る前に右手の指を挫いてしまい体調は最悪だったのである。

 途中で昨日剣山で会った人とすれ違った。その人は、今朝5時にロープウエイの下から歩いて登ったという。実に元気な人だっだ。雪の状況を聞くと「二ノ鎖からは雪になるがアイゼンは使わなかった」と言った。

 私は、今日は成就泊まりなのでのんびり行こうと思いながらも、午後から雨になるというので少しあせる気持ちもあった。

 夜明け峠まで来ると、パッと正面の視界が広がった。樹木も背丈の低いダケカンバが数本あるだけで、上部に二ノ鎖小屋が見え、弥山や天狗岳の岩肌がはっきりと見えた。ヤッターとばがりに写真を撮り、ここで昼食にした。

 一ノ鎖(33メートル)は、試し鎖で覚悟が出来たせいか、簡単に登れたような気かする。(実際は必死だったせいかよく覚えていない)。
 この鎖場を過ぎた時、ついに雨が降ってきた。急いで雨具を着込む。

 二ノ鎖の取付点には雪がたっぷりあった。鳥居をくぐって65メートルの鎖に取り付いた。右手には迂回路があり、そこを行く人達を見て、私も迂回路を行こうかと思ったが、やはり鎖を全部登らないと後で悔いが残ると思い気合いを入れた。取付点には雪があったが鎖場にはなかった。ただ雨の中の鎖場は、鎖も岩も滑るような気がして不安だった。それに雨具を着ていると、膝が高く上がらないので苦戦した。

 三ノ鎖はいつの間にか過ぎてしまった感じで、山頂小屋の改修工事現場へ出た。風が強く、視界は全く利かなかった。私の最初の計画では、この小屋へ泊まって、翌日のんびりと面河へ下るつもりだったが、小屋が使用できないと知って成就へ泊まることにしたのである。

 工事現場から数メートル上部に、「御神像」と書かれたコンクリ製の神殿があった。ここが弥山の頂上のようである。ここで雨宿りをしていると、次から次ぎと登山者が登って来た。

 一服した後、周りの人に天狗岳について尋ねると、
「そこですよ、そこ! 晴れていれば目の前にあるんですがね……。私は今登って来たところですよ」
 と言われ、さらに、
「行くなら岩が滑るから注意した方がいいですよ」
 とのアドバイスを受けた。私は空身で行くことにした。

 しかし、視界が利かず降り口が分からなくてウロウロした。やっとコースを見つけて下り出すと、二人の青年もついてきた。岩が滑りそうで怖かった。今日は視界が悪くて高度感はなかったが、晴天の時はもっと怖いだろうと思った。

 天狗の山頂には小さな祠があった。カメラを持って来ればよかったと思った。それよりも晴れた天狗に立ってみたかった。「バツグンの高度感」を味わってみたかったが、今は一面ガスに覆われて何も見えない。
 雨がみぞれになった。一服する暇もなく、いそいで引き返した。

  (写真左:晴れていればこんな風に見えた天狗岳)

 再び弥山に戻り、下山にかかる。(2時18分発)。下りは巻き道を下った。

 二ノ鎖の取付点まで来た時、これから登るという単独行がいたので驚いた。立ち話しをすると、
「今朝、剣山を登って来たのでこの時間になってしまい、今日は成就の玉屋旅館へ泊まるので、懐中電灯を持ってきた」という。

 私は、「百名山ねらいですね。でもガンバリ過ぎですよ!」と言ってやった。年格好からすると私と同年代だと思うが、世の中には元気な人がいるものだ。

 私はメロメロだった。念願だった石鎚山へ登ったという満足感と、朝からの緊張の連続でフラフラだった。木の階段が足幅と合わず、昨日舗装道路を歩いたため足のひらが痛く、足を引きずるようにして宿へ辿り着いた。(4時40分着)。

 宿のオバちゃんが、あまりにも遅いので道を間違えて下ってしまったのではないか、と心配していたそうだ。


5月1日(月)

成就(宿)〜ロープウェイ−伊予西条−松山−道後温泉−松山空港−羽田空港

 昨日の天気予報では今日一日中雨と報じていたが、5時半に外へ出てみると、上空の白い雲の間から青空が広がっていくのが見えた。ちょっぴり悔しい気もしたが、これも仕方がない。

 隣の宿から2、30人の白装束がホラ貝を吹いて出かけるところだった。少し異様に見えたが、さすがに信仰の山だと思った。
 ロープウエイで降りてバスを待っていると、昨日、私が下ってくる時にすれ違いに登って行った単独行と会った。彼は川崎から車で来たといい、伊予西条駅まで送ってくれた。

 帰りは松山へ出て、道後温泉で汗を流してから松山空港へ向かった。 (平成12年5月)

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