【真田丸ゆかりの地】
岩櫃山(いわびつやま)・・1/2

(802m、群馬県)


大河ドラマ「真田丸」のオ−プニングで登場する岩櫃山


2016年12月3日(土)

平沢登山口〜尾根通り〜赤岩通り〜密岩通り〜山頂〜沢通り〜平沢登山口

自宅−615相模原IC−(圏央・関越)−渋川伊香保IC−(R17・R353・R145)−827平沢登山口835〜905本丸跡〜935赤岩通り分岐940〜旧赤岩通り分岐〜1018密岩登山口〜1045稜線鞍部1050〜1118山頂1130〜1220平沢登山口

【1.プロローグ】
 今年(2016年)のNHK大河ドラマ「真田丸」で、オープニングで登場する奇岩の山が岩櫃山で、この山の中腹に岩櫃城があったという。(オープニング画像の城と滝はCGだそうだ)

 その岩櫃山が上州(群馬県)にあることを数日前に知った。この山は標高は低いが、200mほどの絶壁をクサリやハシゴで攀じ登るスリリングな山で、しかも3時間程度で往復できるという。そんな良い山をなぜ知らなかったのだろう。

 今年は「真田丸」人気で登山者や観光客が多いという。私も毎週観ている「真田丸」のファンの一人として、「何が何んでも登らねば!」と、鼻息荒く出掛けて行った。


【2.アクセス】
 今日は普通の山行とは違い、のんびりした出発である。
 関越道からは榛名山や赤城山、妙義山などがクッキリと見え、胸が高鳴る。遠くには雪を抱いた谷川や浅間山も見えた。

 渋川伊香保ICで降り、草津、長野原方面へ向かって行く。右手に恰好いい山が見えた。「あれ何だろう?」と横眼でチラチラと観察すると、子持山だった。子持とは地名のようだ。
 
 さて、肝心な岩櫃山への入り口であるが、群馬原町駅を過ぎて次の信号の右手に、岩櫃城温泉(写真)が見える。

 ここから100mか150m先で左折する。小さな案内板があるが、非常に分かりにくいので要注意。あとは案内板に従って行けば平沢登山口へ着く。

 駐車場は70台置けるそうだが、今日は先客の車が3台。まだ時間が早いせいだろう。

 ここから岩櫃山は見えない。

【3.岩櫃城跡、戦国時代を偲ぶ】

 身支度を整え、いざ出陣!野山は霜で真っ白だ。

 車道を登って行くと、すぐにトイレと案内所があった。六文銭が入った真田丸の旗に気合が入る。

 ここから「尾根通り」と「沢通り」に分かれるが、私は左手の「尾根通り」を選択。山頂を往復するだけなら山頂へ立ってから城跡めぐりの方が良いかも知れないが、私は別のコースから山頂へ登ちたいので、まずは岩櫃城跡へ向かって杉林の中を登って行った。

 登山道を歩きながら、ここは空堀の跡ではないか?と思った時、正面に土塁が立ち塞がった。道は左へ巻いてその上部へ出た。そこが「中城跡」だった。

 こんな山の中に、これほどの平地があろうとは・・・。いかに戦略的で強固な山城だったかが伺える。

 この平地の先からわずかに下り、本丸跡へ急坂を登って行く。左手に人工的な空堀が見える。
 本丸跡には東屋や祠などもあった。

 この岩櫃城は、『天正三年(1575)に真田昌幸が相続し、その後、長男の信幸が支配し、弟の幸村も少年時代を過ごしたという』(登山口でもらった東吾妻町のパンフによる)

 ここは、まさに天然の要塞だ。尾根のテッペンに城が建ち、後ろ(北)は崖になった涸れ沢である。何ん人といえども登っては来れまい。難攻不落といわれたのが頷ける。

 さて、次は山頂へ行こう。

 やっと尾根のピークへ立った時、樹木の間から山頂の岩峰が見えた。思わず「お〜!」と歓声を上げた。いや、「トキの声」だ!

 途中に変な岩があった。たぶん天狗岩だろう。

 この先に「←岩場・迂回→」の標識があった。当然、岩場を行く。
 この岩場は「真田信幸、信繁兄弟も歩いたかも知れない」と思うと、ロマンがあった。

 標識がすべて「山頂・城跡」なので、このまま山頂へ行ってしまうのでは、と不安になった時、「赤岩通り」の分岐があってホッとした。
 ここでヤッケを脱いだ。

 ここから4、5分で十二様通り(旧赤岩通り)との分岐へ着いた。赤岩通りは通行止めと訊いていたが、通れるようだ。

 しかし、分岐から一気の下りだ。気合を入れてクサリにがぶら下がって下って行った。

(写真は下ってから分岐を見上げたモノ)

 クサリを過ぎると階段になった。木材ではなくプラ製なので滑りそうで怖い。それに落ち葉で階段が埋もれて見えない。落ち葉を蹴散らしながら慎重に下って行った。

 左手には奇岩・巨岩が並ぶ。

 やっと枯れ沢へ出てホッとした。もう山を1つ登り終えた感じだ。

 突然、左手に平地が広がった。そこが「潜龍(せんりゅう)院跡」だった。

 ここは、天正十年(1582)武田軍が織田・徳川連合軍に攻められた時、真田昌幸が勝頼をここへ迎えようと3日で建てたといわれる御殿跡。

 勝頼は、小山田信茂にそそのかされ、小山田信茂の居城・岩殿城へ向かったが、裏切られ、天目山で自刃した。

 もし、勝頼がここへ来て、再挙を図ったら歴史が変わっていたかも知れない。
 あの石垣にさえ、むなしさを感じる。

 勝頼が自刃した天目山は、山梨県の大菩薩嶺の近くにある。大菩薩へ行った帰りに自販機があったので、たまたま車を止めた所が、景徳院(天目山)の入り口だった。

 ちなみに景徳院は、武田軍が敗走し、勝頼が自害して果てた地で、「徳川家康が入国した際に勝頼を弔うためにそこへ景徳院を建てた」という。