武尊山(ほたかやま)    40座目

(2,158m、 群馬県)


武尊山頂(左)と中ノ岳(右)

登頂歴
 B2018.6.2 武尊神社〜武尊山〜剣ケ峰山〜武尊神社【シャクナゲ紀行】
 A1999. 5.1 武尊スキー場〜武尊山往復
 @1995.11.4 川場キャンプ場〜武尊山往復

A武尊スキー場〜武尊山往復

1999年5月1日(土)

相模原−川越IC−沼田IC−武尊スキー場林道終点750〜1015前武尊〜1230山頂(沖武尊)1310〜1520武尊スキー場林道終点

 この山は武尊と書いてホタカと読み、北アルプスの穂高岳と区別するため、一般に上州ホタカと呼ばれている。山名は、日本武尊の伝説に由来しているという。
 この山へ初めて登ったのは、4年前(95年)の11月だった。その時は川場キャンプ場から登ったが、前武尊の手前で雪に降られ山頂の沖武尊へ着いた時は吹雪で立っていることも出来ないほどだった。

 その山頂へ天気のいい時にもう一度登って見ようと思った。コースは前武尊へ最短距離で登れるという武尊スキー場から登ることにして、家を4時に出た。

 関越道を走っていると、正面に赤城山が立ちはだかるように見えて来た。雪は思ったより少なく、「これならピッケルは必要なさそうだ」と思っていると、赤城山の後方に、残雪をたっぷり抱いた谷川岳が見えて来た。思わず歓声を上げた。

 その谷川岳が、次第に左側に見えるようになると、今度は右手に武尊連峰が見えて来た。たっぷり被った残雪が朝日に照らされて眩しく光っていた。運転しながら一人で歓声を上げていた。

 沼田インターを降りて、国道120号線を日光方面へ向かっていると、左手に武尊連峰が、朝の澄んだ空にくっきりと浮かび上がって見えた。急いで車を止めて写真を撮った。

 最初は武尊オリンピアスキー場を目指して走って行った。このオリンピアスキー場の奧に、武尊スキー場がある。先日、片品村役場へ電話で聞いた時、「車は武尊スキー場の駐車場までしか入れない」と言われたが、特に通行止めの表示もゲートもなかったので、「行ける所まで行ってみよう」と、スキー場の中を走って行った。

 車はロッジの前を通り過ぎ、林道の終点まで入ることが出来た。先客の車が一台あったので、その脇へ止めた。

 7時50分発。
 ここからは、正面に雪をたっぷり被った前武尊が見えた。登山道が分からず、「正面の沢を登ってしまおうか」と思ったが、ガイドブックに「登山道が分からなかったら、ゲレンデを登って尾根に出ればよい」と書いてあったのを思い出して、右手のゲレンデを登って行った。

 しかし、ここは雪はないが斜面がきつく、踏み跡が無いので歩きにくいこと極まりない。ピッケルを杖がわりにして、ひたすら急斜面を登って行った。

 尾根に出ても登山道らしいものはなかったが、10分も歩くと反対側の斜面に雪が付いたゲレンデが現れた。雪のゲレンデには、昨日歩いたと思われる足跡があったので、それを頼りに登って行った。雪の斜面がキラキラと光って眩しい。

 振り向けば、右手後方(東)に日光白根山がひときわ高く聳え、その右手に皇海山が見えた。さらに登って行くと、今度は右手前方に、二つのピークを持った尾瀬の燧ヶ岳と、至仏山が向かい合うように並び立って見えた。燧ヶ岳は雪が多く立派な山容なので、最初は谷川岳かと思ったほどだった。

 登山口から見た時は、正面のボッテリした山が前武尊だろうと思っていたが、前武尊ではなかった。ボッテリした山の奧に、さらに、ボッテリした台地があり、そこに日本武尊の銅像が立っていた。前武尊着、10時15分。
 前に来た時は、この像の頭にも雪が降りそそいでいたが、今は立派な屋根が付いていた。


ゲレンデから見た前武尊

前武尊にある屋根がついた日本武尊像

 この前武尊からは、正面(北)に川場剣ケ峰と、左手(西)に剣ケ峰山が見えた。実は前回来た時も、あの左手に見える軍艦のような剣ケ峰山を見て感動したのを覚えている。しかし、あの時は、ここから先は風雪で視界が利かなくなったこともあって、あれが最高峰の沖武尊だと思った。今の今まで山頂だと思い込んでいたが、どうもそうではないようだ。

 山頂はこの前武尊から川場剣ケ峰、家の串、中ノ岳と続く稜線と、あの軍艦のような山容から延びる尾根が合流する所にあるはずだった。とにかく今まで山頂だと思っていたピークが実は山頂ではなかったと知っただけで、今日は来た甲斐があった。


前武尊からの剣ケ峰山

前武尊からの川場剣ケ峰。右奥が家ノ串、その奥が中岳

 川場剣ケ峰は、急斜面の岩場なので登れない。前回は左側をトラバースしたような気がするが、今日は右側にトレースがついていたので、そのトレースにしたがってトラバース。

(写真は川場剣ケ峰のトラバース中に正面に見えた家ノ串、左奥が中岳)

 私はピッケルをしっかり持って歩いて行ったが、さっき前武尊で一緒だった連中は、ステッキやストックを持っている人が多く、何も持っていない人もいた。「最近の登山者は、雪山を少しナメてるんじゃないか」と思った。

 もし、この斜面で足を滑らせたら、アッという間に50メートルや100メートルは滑り落ちてしまうだろう。ピッケルならすぐに止めることが出来ても、ステッキやストックでは止められない。特に雪の表面が凍っていたら、なおさら止められないだろう。やはり雪山にはピッケルが絶対に必要なのだ。アイゼンもピッケルも持たずに雪山を登るとは本当に驚いた。せめて滑落しないことを祈るしかない。

 川場剣ケ峰のトラバースを過ぎて、家の串山という変わった名前の山との鞍部へ出ると、10人ほどのパーティーが休んでいた。
 前回はこの家の串山を左側から巻いたが、今日は山頂に向かって一直線にトレースがついていた。そのトレースをたどりながら急斜面を登って行った。

 家の串山の山頂に立つと、中ノ岳の左奧に武尊連峰の最高峰である沖武尊(2,158m)があった。どっしりとした山で、残雪もひときわ多く、見るからに風格と貫禄があった。私は思わず、「あった!あった!武尊の山頂があった! あれが武尊の山頂だ!」、と一人で大声を張り上げた。


家ノ串から見た中岳(右)と最高峰の沖武尊(左)

 とにかく来て良かった。前に来た時は山頂にこそ立ったものの、その山容を見ることが出来なかった。今、その山容を見ることが出来て本当に嬉しい。今回来なかったら、沖武尊の山容を見ることもなく、しかも剣ケ峰山を武尊山の山頂だと思い続けてしまうところだった。大げさに言えば、一生、剣ケ峰山を山頂だと思い込んでしまうところだった。

 初めて見た山頂(沖武尊)の写真を撮っただけでもう大満足だった。もう下ってもいいとさえ思ったが、ここで下ってしまってはもったいない。気を抜かずに山頂まで行こう。吹雪かれたあの山頂へもう一度立ってみようと思った。

 中ノ岳は、山頂を踏まずに左側をトラバースした。三ツ池がある窪地は通らずに、日本武尊の像が立った稜線へ直接登り詰めた。もっとも三ツ池は雪に埋もれてしまい、どこが池なのか分からなかったのだが。

(写真は途中で見えた燧ヶ岳、中央奥)

 20人ほどが休んでいた山頂(沖武尊)へ、12時30分着。山頂には雪はなかったが、地面が濡れていて座れなかった。ビニールシートや新聞紙を敷いて座っているパーティーがいたが、私は立ったまま湯を沸かしてラーメンを食べた。

 ここからは燧ヶ岳や至仏山、日光白根山、皇海山、赤城山など日本百名山が見えた。やはり、ひときわ目を惹く山は、どれも百名山だった。

 反対側には上信越の山々が重なって見えた。近くのパーティーが、仲間に「あれが苗場、あれが巻機ですよ」と説明していたが、私はどれが苗場でどれが巻機か分からなかった。


(沖武尊から見た剣ケ峰山)

 私は、ここから見る剣ケ峰山が気に入った。今まで武尊の最高峰だと思い込んでいた剣ケ峰山のピョコンとしたした山頂がたまらない。是非あのテッペンに立ってみたいと思った。今度は武尊神社の方から登って、あのテッペンでゆっくりとコーヒーでも飲んでみたいと思った。


(左端が中岳、家ノ串、川場剣ケ峰)

 13時10分下山、15時20分着。 (平成11年)

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