岳沢〜前穂高〜奥穂高〜涸沢〜パノラマコース〜徳沢・・・2/3

1日目:上高地〜岳沢小屋(泊)
2日目:岳沢小屋〜前穂高〜奥穂高〜穂高岳山荘(泊)
3日目:穂高岳山荘〜涸沢〜パノラマコース〜徳沢

2日目:2019年9月26日(木)

岳沢小屋〜前穂高〜奥穂高〜穂高岳山荘(泊)


(紀美子平からの奥穂、西穂の稜線)

岳沢小屋602〜732カモシカの立場740〜935雷鳥広場940〜1015紀美子平1030〜1130前穂高1140〜1235紀美子平(昼食)1255〜1520南稜ノ頭〜1532奥穂高1540〜1635穂高岳山荘(泊)

 4時半起床。昨夜は満点の星だった。

 今日は重太郎新道を登るというプレシャーもあって、寝不足で頭が重い。

 重太郎新道は、20代のころ3回下っているが、登るのは初めてである。ここを下った時は、いつも「こんな急登は登りたくない!」と思ったものだ。

 そもそも重太郎新道は、穂高岳山荘の創設者、今田重太郎さんが、あの急峻な岩場をシカが通るのを見て、シカが歩けるなら人間だって歩けるだろう、と道を切り開いたという。

 その重太郎新道を登ろうというのである。ここから前穂の山頂まで標高差920mを一気に登る。私は這ってでも行くつもりだ。

 朝食を済ませ、外へ出ると、ちょうど西穂高の稜線が朝日に輝いていた。今日は絶好の登山日和になりそうだ。

 6時2分出発。
 テントサイトを過ぎ、ダケカンバの森林帯を15分も登ると、パッと開けた草原へ出た。夏なら高山植物が咲いているに違いない。

 涸れた沢沿いの石がゴロゴロした所を登って行く。

 途中から西穂の稜線が綺麗に見えた。今回の目的は涸沢の紅葉を見ることもあるが、前穂から西穂の並び立った岩稜を見ることも目的の一つである。こうして西穂が見えて来ると嬉しい。

 道は一層険しくなり、両手を使って岩場を登って行くと、長い連結梯子が現れた。

 後ろから追いかけられ、休もうと思っても、急峻な岩場が連続して休めない。

 やっと休めそうな所へ出た。そこが「カモシカの立場」だった。ここから見るロバノ耳とジャンダルムがいい。

 8時6分、やっと日差しを浴びた。

 途中で厚手のシャツを脱ぎ、ストックをしまい、両手両足の四駆で岩場を登って行く。

 小1時間も登ると展望が良くなって来た。奥穂から西穂まで丸見えだ! それに、眼下には岳沢小屋の赤い屋根が見える。ここまでいかに垂直に登って来たかが分かる。シンドイ訳だ!
 たぶん、ここが「岳沢パノラマ」だったに違いない。(岳沢パノラマの標識に気付かなかった)


 2、3分ほど登ると前方に前穂らしきピークが見えた(写真右奥のピーク)。しかし、まだまだ遠い。

 途中で道を間違えた。正規のコースへ戻るため、少々、ハイマツを漕ぐ。

 雷鳥広場へ9時35分着。もう、クタクタだ。

 ここから見る奥穂や、西穂もいいが、反対側(右手後方)の明神岳の岩峰群も素晴らしい(写真右)。

   あと少しで紀美子平だ!ガンバロウ!
 と気合を入れて歩き出すと、目の前に梯子が掛かった嫌らしい岩が現れた。ジャンダルムのウマノセのような感じだ。
 ここからも、嫌らしい岩場が続く。そして鎖も現れた。今まで鎖はほとんどなく、フリーハンドで登って来た。この辺が核心部なのだろう。
 途中で、中年の男性一人が下って来た。その方から、
「ほんまにまあ、こんな所登ってきはって!#&÷※煤@(中略)」 
 何を言っているのか分からない。

 分かったのは、「わしなら、絶対に登らへんで」という部分だけ!
 大阪弁は日本語か!
 そもそも、「こんな急登を登って凄いな!」と褒められているのか、それとも「こんな所を登るなんてアホだ!」と言われているのか、それさえも分からない。
 まあ、好きで登っているのだから、どっちでもいいんだが・・・。

 やっとの思いで紀美子平へ着いた。時に10時15分着。小屋から4時間13分。ちなみにコースタイムは3時間である。
 
 紀美子平には弁当を広げている人が大勢いた。また前穂をピストンするためデポしてあるザックも多い。やっと座る場所を見つけて一息ついた。

 昼食は前穂をピストンしてからにしよう。

 10時30分、水だけを持って前穂へ向かって出発。

 登って行くにしたがって、吊尾根の鞍部から涸沢岳や涸沢槍?が顔を出して来た。奥穂へ続く重太郎新道も見える。

 さらに登って行くと、北穂や槍まで見えて来た。バンザーイ!

 ここはクサリが少なく、ほとんどがフリーハンドで登って行く。

 まるで修行僧のように、ただひたすら登って行く。

 そして、やっと着いた。前穂の山頂へ11時30分。紀美子平からコースタイム30分のところを、1時間もかかってしまったが、前穂の山頂へ立てて本当に嬉しい。

 ここから見る西穂や奥穂の岩稜には思い入れがある。いわば私の青春だ。
 お〜い、穂高〜!また来たゾ!〜〜!


(工事現場のオジさん、前穂高山頂NOW!)

(奥穂高。大勢いるのが山頂だろうか?↓)

(奥穂の□の部分をズーム)

(人が見えますか?)

 山頂には北尾根を登って来たという3人のクライマーがいた。
 しばし展望を楽しんで、早々に下ることにする。

 ルートハンティングをしながら下って行く。
 やっと紀美子平へ着いた。下り20分のコースを小1時間もかかってしまった。ここで昼食。

 わずかながら平たんになったここは、重太郎さんがテントを張って野営をしながら、5歳の紀美子さんを遊ばせて仕事をした所だという。

 そして、25歳で死去された紀美子さんを偲んで、『紀美子平』と名付けたという。

 山小屋で生まれた子供は、5歳でこんな急峻なところで遊ぶのかと驚くばかりだ! ここが紀美子ちゃんの遊び場だったと思うと、胸が締め付けられる思いがする。

 予定より1時間以上も遅れて出発(12時55分)。ここからは吊尾根なので傾斜が楽になったが、ピッチは全く上がらない。
 いきなりこんな岩場をトラバースして行く。


 左のピークを登り切った所が奥穂のテッペンだろうか。(そんなに甘くはなかった)


 吊尾根の途中から、眼下に雪渓と岳沢小屋が見えた。反対側の涸沢カールを覗き込むと、期待した紅葉は全くない。北尾根の岩峰が不気味なほど大きく、迫って来るようだった。涸沢ヒュッテはマッチ箱のように小さく見えた。


(眼下に岳沢小屋が見える)

(涸沢を覗き込む)

 ガスが流れ出した。急がないといけないが、もうヘトヘトだ。ヘトヘト、ヘロヘロ、メロメロという言葉は、私のためにあるような気がする。

 ガスの中から尖ったピークが現れた。あれが奥穂だろうか?

 その尖ったピークを稜線近くから左へ巻いて行くと、さらに奥にピークが見えた。ガグッと力が抜けた。

 やがてクサリ場が現れる。クサリ場を越え、さらにフリーで登って行く。

 前にいた人に「ここを登れば奥穂の山頂ですかねぇ・・?」と訊くと、
「いや、途中に△△があるんですよ!」と言われる。 それが「南稜ノ頭」だった。

 南稜ノ頭には5、6人のクライマーが休んでいた。私はそのまま休まずに(よたよたと)歩いて行く。奥穂はもう目の前だ!

 ついに奥穂へ到着。奥穂はもう何十回も登っているので、特に感動はないが、アルプス屈指の急登といわれる重太郎新道を無事に登って来られたことに安堵した。

 穂高岳山荘へ16時35分着。予定では14時か、遅くても15時には着くはずだったのだが・・・。もうアルプスを卒業しなければならないのかなぁ・・・!

 穂高岳山荘は3000mの稜線上にあるため、メチャクチャ寒かった。ビールを飲んだら寒くて震えが止まらなかった。厚手の長袖シャツを2枚着て、その上からダウンジャケットを着込んでも震えが止まらなかった。幸い、ストーブがガンガン燃えていたので助かった。