(2,578m、 栃木県・群馬県)
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1995年10月6日(金)
相模原−川越IC−沼田IC−菅沼登山口〜弥陀ケ池〜日光白根山〜避難小屋〜五色沼〜菅沼登山口 |
まず最初に、この山を「日光白根山」と書いたが、深田久弥さんの日本百名山では「奥白根山」と書いてある。これは奥日光にある白根山ということで奥白根山とも言うが、地元では日光白根山と呼ぶのが一般的なので、あえて日光白根山としたことをお断りしておく。
私は日光へは何度も行っているが、実は日光白根山がどこにあるのか最近まで知らなかった。沼田から日光へ通じる金精道路も何度も車で通っていながら、まさかそれが日光白根山の山裾を走っていたとは知らず、何とも恥ずかしい限りである。
その白根山へ紅葉を見ながら登って来ようと思った。例年なら日光の紅葉は10月の第3週か4週ごろが見頃だが、今年は紅葉が早いというので、「まだ早すぎるかな?」と思いながらも、出かけて行くことにした。
最初は丸沼高原から登ろうと思ったが、登山口が分からずスキー場の中をウロウロしてしまった。結局、諦めて菅沼登山口から登ることにした。
菅沼登山口には大きな駐車場(写真左)があり売店もあった。近くにキャンプ場があるせいか駐車している車も多く、キャンパーの姿も見えた。
ここからのコースは菅沼新道と呼ばれ、登山口には立派な標識が立っていた。こんな立派な登山道があるなら、丸沼でウロウロせずに初めからここへ来れば良かったと思った。
ここからは、良く整備された登山道を登って行く。朝のさわやかな大気が心地よい。
昨日の天気予報では、今日は朝から快晴と報じていたので、休暇をとって出かけて来たのだが、空は黒い雲が覆っていた。しかし雨が降るようなことはないだろうと思った。
紅葉はすでに遅かった。どうも2、3日前に落ちてしまったようで、登山道には紅や黄色に色づいた葉が一面を覆っていた。足元がカラフルなジュウタンのようで美しかった。それにしても、こんなに早く散ってしまうなんて信じられなかった。
弥陀ケ池近くまで来た時、急に雪が降って来た。「ウソー……」と、思わず唸てしまった。たしかに先程から低い雲が立ちこめてはいたが、まさか雪が降って来るとは・・・。
しばらくは傘をさしながら歩いて行った。雪はますます本降りになった。
(写真右は新雪が舞う弥陀ケ池)
五色沼への分岐を過ぎ、いよいよ白根山への登りになった時、傘をたたんで雨具を着た。
途中で下って来た中年男性3人組みのパーティーに会った。彼らは、「上はまるで吹雪のようだ」と言い、「アイゼンも手袋もないから引き返して来た。上は岩場だから手袋がなければ登れない。お宅も行かない方が良いですよ……」と忠告された。
だが、私は「これしきの雪で下れるか!」という思いがあったので、彼らには、「行ける所まで行って、ダメなら直ぐ引き返します」と言って、そのまま登って行った。
尾根へ出ると、本当に吹雪のようだった。風が強く、雪粒が頬を打った。その尾根上に一人の若者が立っていた。彼は丸沼から登って来たと言った。急に吹雪かれて心細くなった時、私の姿が見えたのでここで待っていたという。
雪はすでに山肌を白く覆っていた。私は自分が登って来た道にケルンを積んだ。下る時にルートを見失ってはいけないからだ。
私は彼より先に登って行った。しばらくすると岩場になり、手を使わないと登れなくなった。その岩には、うっすらと雪が積もっていた。そこを素手で登るのはつらい。時々、立ち止まって手に息をかけ両手をもんだ。
それに、「こんな所を登ってしまい、ピッケルもアイゼンもなくて本当に下れるのだろうか」、という不安があった。
しかし、この季節に降る雪はそう長くは降るまい、と自分に言い聞かせながら登って行った。
すぐに岩だらけの山頂へ着いた。風に吹き飛ばされそうだった。しかし良く見ると、奧にもう一つのピークが見えた。しかも向こうの方が少し高そうだった。それに標識やケルンらしきモノが見える。やはり奧のピークが山頂らしい。ガスの切れ間から、一瞬、五色沼らしいものが見えた。
(奥のピークが山頂らしい) |
(一瞬、池が見えた) |
岩場を慎重に下って、隣のピークへ行った。ここも溶岩がそのまま固まったドームのような所だったが、山頂の標識が立っていた。誰もいない吹雪の山頂だった。北関東以北では一番高いといわれる2,578メートルの山頂で写真を1枚撮った。
カメラをザックにしまっている時、途中で一緒になった丸沼から来たという青年が、一つ手前のピークから手を振りながら何か叫んでいるのが見えた。私も「ここが山頂だゾー……!」と大きな声を張り上げながら手を振った。声は強風で届かなかったが、身振り手振りで分かったようだった。
その後すぐにザックを背負い、急いで下ることにした。せめて彼が来るまで待ってあげたかったが、寒くてとても待っていられなかった。こんな所でじっとしていては、それこそ凍死してしまう。
下りは、登って来た道を引き返すか、それとも避難小屋の方へ下るか一瞬迷ったが、反対斜面にある避難小屋の方が少しでも風が避けられるだろうと思って、避難小屋をめざして下った。
避難小屋までは砂礫が多い下りやすい道だった。風もはるかに弱く、さっきまでの吹雪がウソのようだった。
小さな避難小屋には先客が3人いた。ここで昼食を済ませている間に雪は止んだ。 五色沼(写真左)の池畔には雪が降った気配は全く無かった。降雪は局地的だったようだ。 五色沼から菅沼新道を通って帰って来た。 今回は紅葉登山のはずが、季節はずれの降雪にあって残念だったが、何んとか山頂に立てたのでラッキーだった。 |
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