丹沢山 (たんざわさん)    21座目

(1,673m、神奈川)


丹沢山塊の主峰・蛭ケ岳(右奥)

【登頂歴】
2002.7月 焼山登山口〜焼山〜平丸分岐往復
2002. 5月 表尾根・主脈縦走(ヤビツ峠〜搭ノ岳〜蛭ケ岳)
1993.10月 大倉尾根〜塔ノ岳〜丹沢山・往復

 ?      塔ノ岳のみ、水無川の沢登りは多数
丹沢の他の山は、「その他の山」に掲載しています。


表尾根・主脈縦走(ヤビツ峠〜搭ノ岳〜蛭ケ岳)

2002年5月25日(土)

秦野−簑毛1000〜1115ヤビツ峠〜富士見山荘1145〜1410烏尾山荘〜1650塔ノ岳・尊仏山荘(泊)

 大山(おおやま)と丹沢は、我が家から見える唯一の山で、朝起きて大山や丹沢が見えると嬉しくなり、何か得したような気分になる。
 我が家からは、大山と表尾根の一部しか見えないが、すぐ後ろの坂道を登ると大山から塔ノ岳、蛭(ひる)ケ岳、焼山など主稜線を一望することができる。

(写真は我が家近くから見た丹沢と大山。左のピークが大山、雪がある稜線が丹沢表尾根)

 私は朝な夕なに丹沢を眺めているが、その割には丹沢について詳しいとは言えない。

 それでも20代の頃は、表尾根や大倉尾根を歩いたり、水無川の本谷や新茅、源次郎など沢登りには何度も行った。

 その後、日本100名山を目指すようになってから、昭文社の「山と高原地図」に丹沢山に「日本百名山」と記されているのを見て、1993年の10月に丹沢山まで脚を延ばしてきた。そして、その日を「登頂日」としていたのだが、最近になって疑問が生じてきた。それは「山と渓谷社」の本には100名山が蛭ケ岳になっているからだ。

 確かに丹沢の最高峰は蛭ケ岳である。たとえ何回沢登りに行っても、何回塔ケ岳に立っても、最高峰である蛭ケ岳へ登らなければ丹沢を登ったことにはならないのだろうか。
 そんな疑問を払拭するため、今回、表尾根から蛭ケ岳までを縦走することにした。
       *
 朝7時40分に家を出た。今日は久しぶりの好天で絶好の登山日和である。駅へ向かう途中で日傘を差しているご婦人を見かけ、やはり家を出る時間が遅すぎたと思った。予定していたより30分以上も遅れてしまったのだ。

 小田急線の秦野駅バス停へ9時10分ごろ着いた。しかし、ヤビツ峠行のバスが出た後で、次は午後までない。仕方なく簑毛(みのげ)まで行って、ヤビツ峠まで歩くことになった。

 簑毛10時発。今日は陽差しが強く日陰は心地良い。急坂を20分も登ると「名水100選」の水場があり、同じバスで来た人達が休んでいた。私も名水を一口飲んでいく。

 雷がゴロゴロ鳴り出した。まだ昼前だというのに、ちょっとヤッカイである。
 一汗も二汗もかきながらヤビツ峠へ到着。11時15分着。1時間以上のアルバイト。これで今日一日の予定がすっかり狂ってしまった。これから塔ノ岳まで行くと思うとあせりが出た。

 林道を富士見山荘まで下り、自販機で缶コーヒーを買って一服。昼食もとらずにすぐに出発、11時45分発。

 登山口の駐車場には30台以上の車が止めてあった。この人達はどこまで行ったのだろう。塔ノ岳を往復しているのだろうか。
 ちょうど一汗かいた頃、道ばたにベンチがあったのでそこで昼食にした。

 二ノ塔の山頂近くなると背後に大山(写真左)がピラミッドのように見えた。
 今日は暑くてしんどい。それに雷の音が気になる。夕立がなければいいのだが……。すれ違う人も多くなって来た。しかし、この時間に登っているのは私だけだった。

 三ノ塔へ着くと、塔ノ岳方面が少しモヤっていた。写真を撮ろうと思ったがムリだった。

 ここで休憩していると、クワを持った20人ぐらいのパーティーが下ってきた。登山道を修復しているボランティアだった。
 私は大きな声で、「ご苦労さんで−す」と声をかけてやった。
 実は私も年1回ではあるが、大山のゴミ拾いをしている。ゴミ拾いも大変だが、重いクワを持って登山道を修復するのはもっと大変だろうと思った。
 (実は後で知ったことだが、この人達は登山道の修復ではなく、丹沢自然保護協会が主催する「ブナ林の再生 三ノ塔植樹」の人達だった)

 登山道には、ミツバツツジの花柄が落ちていた。ツツジとシロヤシオが見頃だと聞いていたが、少し遅かったようだ。

 鳥尾山荘まで一旦下り、再び登り返す。山荘へ14時10分着。
 頭上は晴れているが、前方の塔ノ岳あたりの上空に黒い雲が覆い出した。「早く行かないと夕立がくるかも知れない」とあせるが、足の方はいっこうに進まない。丹沢ってこんなにしんどい山だったかなあ……。年々衰える体力に我ながら情けなかった。

(写真右手前が鳥尾山、後方が三ノ塔)

 心配した空も、書策(かいさく)小屋の手前あたりから再び青空が広がってきた。しかし、雷はいぜん止まない。むしろ音が大きく、近くなったような気がする。

 途中で中年ばかり30人位の団体さんに追いついた。一人のオバさんが座り込み5,6人が取り巻いていた。どうも足がつったらしい。

 新大日茶屋は廃墟のようだった。この茶屋を過ぎて、やっとミツバツツジを見ることができた。

 木ノ又小屋には氷のノレンがなびいていた。氷も食べたかったが、外のベンチで2人連れが飲んでいた缶ビールに、思わず小屋の方へ引き込まれそうになった。

 この小屋を過ぎると、ミツバツツジがいっぱいあった。ミツバツツジの写真を撮り、早く山頂の小屋でビールを飲もうと頑張った。
 塔ノ岳16時50分着。やっと着いた。今日は簑毛からヤビツ峠まで思わぬアルバイトをしてしまったので、本当にシンドかった。

 早速、尊仏(そんぶつ)山荘で宿泊の手続きを済ませ、部屋へ荷物を置いてからビールを買い込み、山頂で本を読みながら飲んだ。時々、目線を上げると正面に富士山があった。6合目あたりから上は見えなかったが、山裾が恐ろしいほど広く、さすがは日本一の山だと思った。

 今日は心配していた夕立もなく、いつの間にか雷も止み、のどかなひとときだった。山頂で夕日を浴びながら飲むビールは最高だった。
 夜景もきれいだった。 


2002年5月26日(日)

尊仏山荘600〜710丹沢山720〜940蛭ケ岳1002〜1135姫次1225〜1440平丸−三ケ木−橋本

 朝4時前に早立ちの団体さんに起こされた。4時になるのを待って外へ出てみると、目の前に富士山が大きく見えた。6合目あたりから上は、まだ残雪がたっぷりあった。

 日の出を見てから、フリカケとおでんで朝食。おでんは小屋の名物だそうだが、朝食におでんとは・・・?
 朝食後、水を汲みに行った。会社の友達から「水場まで下り5分、登り10分ぐらい」と聞いていたが、往復30分近くかかってしまった。朝から思わぬアルバイト。

 塔ノ岳600発。
 ここからはシロヤシオとミツバツツジがいっぱい咲いていた。丹沢と言えば沢登りばかりやっていた私は、丹沢にもこんな風景があったのかと驚いた。


(シロヤシオ)

(ミツバツツジ)


 途中で蛭ケ岳だと思って撮った写真は、蛭ケ岳ではなく不動ノ峰だった。

 丹沢山へ7時10分着。みやま山荘も前に来た時よりきれいになっていた。先程すれ違った人が、「みやま山荘は昨夜は満パイだった」と言っていたが、こんな小屋なら泊まってもいいと思った。
 尊仏山荘を出発する頃は肌寒かったが、陽も高くなって、さわやかだった。

 丹沢山7時20分発。
 出発して1分もすると待望の蛭ケ岳が見えてきた。と言っても手前にあるあのボッテリした山が蛭ケ岳なのか、それともその奥にあるピークが蛭ケ岳なのかは分からない。

 丹沢は表尾根もそうだったが、アップダウンが多く、土止め用の丸太の階段が多くて歩きにくい。日本百名山の中でこれほど階段が多い山もめずらしい。つまり、それだけ人気があり、登山者が多いということなのだろう。

 先日、63歳の女性がエベレストを登り、女性で世界最高齢の記録をつくったと新聞に載っていたが、その方は、この丹沢でトレーニングをしていたという。ここで鍛えれば強くなる訳だ。

 途中に休憩所があった。ベンチで大の字になって寝ているご夫人がいた。ザックが2つあるところを見ると、連れは空身で蛭ケ岳を往復しているのかも知れないと思った。

 不動ノ峰の標識から30メートルほど進むと、パッと視界が開け、正面に蛭ケ岳、左手に富士山が見えた。蛭ケ岳をこんなに近くから見るのは初めてだった。さすがに丹沢の主峰だけのことはあると思った。

 そこからすぐに鬼ケ岩があった。蛭ケ岳方面から見ると2つの岩が鬼のように見えるらしい。そこから見る蛭ケ岳は最高だった。ピラミッドのような山容で堂々としている。左の尾根が眼下のユーシンへ落ち込んでいた。あまりにも急な斜面に、ユーシンからは絶対に登りたくないと思った。


(富士山がでかい)

(蛭ケ岳はもう目の前だ)

(蛭ケ岳への最後の登り)

 蛭ケ岳山荘は、きれいな小屋で自動販売機もあった。こんな小屋なら一度は泊まってみたいと思った。自販機の冷たいものがほしかったが、まずは今回の目的である蛭ケ岳山頂へ向かった。
 蛭ケ岳9時40分着。ついに蛭ケ岳の山頂に立った。いつも見ている丹沢の最高峰に立てて嬉しかった。

 山頂で写真を撮っていると、近くにいたオジさんがシャッターを押してくれた。このオジさんは、丹沢へ200回以上も来ているという。

 正面に檜洞(ひのきぼら)などの主稜線が見え、その左手後方に富士山が大きく、クッキリと見えた。さらに左手には尊仏山荘が建つ塔ノ岳が見えた。
 それらの山々を見ながら、せっかく担いでもってきた缶コーヒーを飲んだ。

 10時2分、蛭ケ岳山頂発。
 シロヤシオの花がいっぱい咲いていた。花はツツジに似ているが葉が少し違っていた(注:檜洞丸のシロヤシオの方が圧巻です)。しばらくは土止め用の階段を下って行く。ミツバツツジ(下の写真)も多くなった。

 やがて気持ち良い森林となり、木漏れ日の中を歩いていく。どこか秩父の山に似ていると思った。

 姫次へ11時35分着。広く見晴らしのよい大地にテーブルが3、4個あった。誰もいなかった。振り返ると富士山が見え、左手に塔ケ岳が見えた。ここで昼食にしよう。

 湯を沸かしていると蛭ケ岳の山頂でシャッターを押してくれたオジさんがやって来た。挨拶をしながら同じテーブルで湯を沸かし始める。このオジさんは茅ヶ崎から来たといい、丹沢の指導員もやっているという。
 ラーメンを食べコーヒー飲んで、オジさんより一足早く出発した。12時25分発。

 ここからはアップダウンがなく、歩きやすくなった。
 避難小屋を過ぎると天気が怪しくなり、すぐに雨粒が落ちてきた。しかし、雨具を着るほどではなかった。

 平丸分岐の手前まで来た時、ついに音をたてて降ってきた。分岐の所で若者7,8人が休んでいたので私も荷物を置いて雨具を着込む。そして、地図を出して思案した。このまま焼山へ行くと2時間はかかるだろう。平丸へ下れば1時間15分で着く。結局、平丸へ下ることにした。

 平丸をめざして10分も下ると雨は止み、再び青空が広がってきた。雨具を脱ぎながら、焼山を登らず主脈完全縦走にはならなかったが、これも仕方がないと思った。

 実はこの判断が大正解だった。平丸(14時40分着)からすぐにバスに乗り、三ケ木で橋本行きのバスに乗り換えようとした時、ものすごい雷雨になった。焼山を登っていたらこの雷雨に打たれていたかも知れない。平丸の分岐で私を追い越して行った単独のご婦人と、茅ヶ崎から来たというあのオジさんはどうしただろうか。この凄い雷雨に打たれてやしないかと心配だった。

焼山往復へ続く

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