十勝岳(とかちだけ)     59座目

(2,077m、 北海道/大雪山系)

十勝岳避難小屋から見た十勝岳(中央奥)


【登頂歴】

A2016年7月1日 十勝岳温泉〜富良野岳〜十勝岳〜美瑛岳〜美瑛富士・縦走

@1997年7月30日 十勝岳温泉〜上富良野岳〜十勝岳〜望岳台


@十勝岳温泉〜上富良野岳〜十勝岳〜望岳台

1997年7月30日(水)

十勝岳温泉445〜D尾根〜十勝岳〜望岳台〜白金温泉(泊)

 十勝岳温泉、4時45分発。どんよりした空。いつ雨が降って来るか分からないような空だった。雨具をザックの一番上に入れて、せめて今日一日だけは降らないでほしいと願いながら歩き始める。

 安政火口で一服。上の方はガスって見えない。ここから対岸の尾根に取り付くため、右側へ大きくカーブをきる。

 途中で富良野岳へ行く道を右手に見て、左のD尾根を登って行く。しばらくは沢すじの急登を行くが、やがてハイマツや高山植物が咲く尾根へ出た。稜線へ出る最後の登りは木の階段になっていた。土止め用の階段らしく段差があり過ぎるため、気合いを入れて一段一段登って行った。今日は昨日一日休養したせいか体調がいい。

 時々右手に富良野岳がガスの切れ間から顔を出した。


(安政火口を見下ろす)

(稜線を見上げる)

(富良野岳)

(稜線は近い)

 稜線へ着いた時は視界が悪く、どれが上ホロカメットク山なのか分からなかった。
 すぐに分岐があった。左の道の奥に「上富良野岳」と書いた大きな標識(看板)が立っていた。そういえば昨日、バスの運転手が「今まで無名だった山に上富良野岳という名が付いたんですよ」と言っていたのを思い出した。

 その看板が、こっちを向いて立っていたので「行き止まり」だと思って、右側の道を進んでしまった。これがミステイクだった。
 途中で5、6人の学生のパーティ−に会った。今日初めて登山者に会ってホッとした。学生は避難小屋へ泊まったという。

 我々はこの時点でも、まだこの道が上ホロ山頂の巻き道であることに気づいていなかった。道は下へ下へと下って行った。道幅がだんだん狭くなり、「おかしい?」と思いながらも進ん行くと途中で道が無くなっていた。すぐに今来た道を引き返す。5、6分登り返えした所に縦走路があった。

「それにしても上ホロの山頂へ行くのに、何でこんなに下るのだろう」と不安になったが、しばらく行くと「上ホロの巻き道」と書いた小さな標識が立っていたので安堵したものの、上ホロの山頂を登りそこねてしまった。

 ガスが一層濃くなった。視界は2、30メートルぐらいしか利かなくなった。大砲岩もどれなのか分からなかった。途中にそれらしい岩は二つあったが、いずれも濃い霧の中でボンヤリとしか見えず、標識もなかったので判別できなかった。

 十勝岳の登りも、それと気づかなかった。一つ手前あたりのピークを登っているのだろうと思っていたが、斜面があまりにも急なので、山頂が近いことを感じたほどだった。

 それにしてもこの登山道は、人間の安全性よりも高山植物の方が大切らしい。登山道のすぐ左は火口の絶壁で、右は瓦礫のなだらかな斜面である。そのなだらかな斜面の所々に高山植物が生えており、それを保護するため、登山道ぎりぎりにロープを張り巡らしている。登山者の安全を考えるなら、なだらかな斜面の方ではなく、反対側の火口の方にこそロープを張るべきであろう。杭がたおれている所では、登山者が火口の絶壁すれすれを歩かされている。自然保護も大切だが、もっと大切なものを忘れていないか。

 十勝岳の山頂には6、7人の先客がいた。ほとんどの人が望岳台から往復しているようだ。視界が全く利かない山頂でSさんが湯を沸かしてコーヒーを煎れてくれた。

 下りは望岳台へ下った。ここは富士山の須走りのような瓦礫の道だったが、粘土のように滑る場所があるので始末が悪い。それに道が何本もあった。晴れていれば問題ないのだろうが、視界が悪いと不安だった。長野県の飯田から来たという単独のオバさんと一緒に下った。


(ガスの切れ間から見えた火口壁)

 避難小屋の手前まで来た時、下から登ってきた単独のオバさんが、「キタキツネがずっと付いてくるのよ……」と、我々に救いを求めるように言ってきた。そのオバさんのすぐ後ろに、やせたキタキツネ(写真)がウロウロしていた。

 (写真右は十勝岳避難小屋)

 望岳台のレストランで缶ビールを買って、Sさんと今回の北海道シリーズ第一弾、旭岳、トムラウシ、十勝岳の完登を祝って乾杯した。
 そして、来年は羅臼、斜里、阿寒をやろうと話し合った。私の心は、もう来年に向かって走り出した。 (平成9年)