薬師岳〜雲ノ平〜槍ヶ岳縦走・・4日目

1日目:富山−有峰口−折立〜太郎平小屋
2日目:太郎平小屋〜薬師岳〜太郎平小屋
3日目:太郎平小屋〜雲ノ平〜双六小屋
4日目:双六小屋〜槍ヶ岳〜横尾山荘

【双六小屋〜槍ヶ岳〜横尾山荘】

1980年8月3日

双六山荘540〜(西鎌尾根)〜槍ヶ岳山荘〜槍往復〜横尾山荘

 昨夜は酔っぱらいが遅くまで騒いでいたので、ほとんど眠れなかった。寝不足の眠い目をこすりながら朝食をとった。

 食事後に、玄関にあったゲタを履いて庭先へ飛び出した。すると朝のさわやかな大気に全身が覆われて、眠気もすぐにふっ飛んだ。正面(北側)には鷲羽岳や水晶岳の秀峰と、白い雲海の下に昨日テクテクと歩いて来たのどかな光景が見えた。右手(南東側)には、ボッテリとした樅沢岳が見える。今、その樅沢岳の長々とした道を大勢の人達が登っていた。

 我々は小屋の庭先にあるベンチに腰を降ろし、アルプスのすばらしい朝をじっくりとかみしめながら、モーニングコーヒーと洒落込んだ。

 2年前に、ここで雨に打たれながら立ったままコーヒーを飲んだ時のことが思い出されて来た。雨の中を三俣山荘から歩いて来て、やっと着いたこの双六小屋は大混雑で小屋へも入れず、雨に打たれながら立ったままコーヒーを飲んだ。その時ここで茨城県のOさん達と知り合って一緒に新穂高温泉へ下ったが、あの時に比べると今日は何といい天気だろうか。このさわやかな大気とすばらしい景観。あの時一緒に下った4人にも、このすばらしい光景を見せてやりたいと思った。

 モーニングコーヒーを飲んでから、いよいよ槍ケ岳へ向かって出発した。5時40分発。
 樅沢岳のハイマツと石ころの急斜面を登って行く。登り出してすぐ右手後方(南西側)に頭が丸い笠ケ岳が、我々の目を釘付けにした。何んとすばらしい笠ケ岳だろうか。

 ここから見る笠は初めてだったが、実にすばらしい。双六小屋のすぐ裏手に双六池が見えるが、あの池に投影する笠ケ岳が一番魅力的だそうだ。笠の写真を何枚も撮った。

(写真右は笠ケ岳、拡大可)

 さらに樅沢岳の山頂に立った時、我々の目に今まで見たこともない豪快な光景が展開された。目の前に槍ケ岳の鋭い岩峰とノコギリの歯のような北鎌尾根の岩稜がそそり立っていた。思わず「ヤッター!」と、飛び上がってしまった。すごいのは槍だけではない。穂高連峰の針葉峰が、1,000メートルも垂直に切り立って並び立っていた。

 槍と穂高はもう何回も見て来たが、いずれも信州側からであって、この飛騨側から見るのは初めてだった。ここから見る槍、穂高は信州側から見るよりもはるかに迫力があった。信州側から見るあの壮大で気品のある山岳風景とは違い、まるで地獄の山でも見ているようだった。こうして見ているだけで、身体中の血液が逆流するほどの迫力と威圧感があった。


(槍ヶ岳、左が北鎌、拡大可)

(槍と穂高、拡大可)

 ここからは、槍ケ岳へ登る西鎌尾根となる。岩尾根だが、表銀座の東鎌尾根に比べるとはるかに距離が短く楽なはずだった。槍の根元になる千丈乗越までは比較的なだらかな岩稜で、誰でも登れるようなコースだった。

 しかし、千丈乗越からは実にしんどい登りとなった。槍の根元から一気の登りである。岩屑だらけの急斜面。肩の小屋まで1時間半のコースだが、ペースがグーンと落ちた。体調が悪いのだ!

 槍の穂先が頭上に見えるのだが、足がなかなか前へ進まない。ここは槍沢の殺生からの登りよりもきついような気がする。今日は体調が悪い。いくら気力で登ろうとしても、気力だけでは足が動かない。槍まで0.3キロと印された所でついにダウン。相棒に先に行くように伝え、私は道ばたに座り込んでしまった。とにかく身体が重く、足が動かない。昨日、太郎平から雲ノ平を通って双六まで頑張ってしまったこともあるが、やはり寝不足がこたえたようだ。

 昨夜はとにかくほとんど眠れなかった。私の枕元で、夜遅くまで酒を飲んでいたパーティーがうるさくて寝付けなかった。やっと静かになったら今度は私の目が冴えてしまい、暗闇の中で寝返りばかり打っていた。

 その寝不足が今になってこたえて来た。昨日までのあの元気は全くない。自分で「あと300メートルだ」と言い聞かせながら歩き始める。しかし、また「あと200メートル」と印された所で座り込んでしまった。頭上には肩の小屋の屋根が見え、庭先でさわいでいる人達の声が聞こえて来る。それに槍ケ岳(3,180m)の穂先に立っている人達が、アリのように見える。肩の小屋まであと200メートル。「あと200メートルでいいのだ、頑張れ!」と、自分で気合いを入れて再び歩き出した。気力だ。あとは気力で登るのだ!

 最後の力を振り絞って、やっと肩の小屋へ着いた。相棒が冷たい缶コーヒーを買って待っていてくれた。その缶コーヒーを受け取って、小屋の庭先へ座り込んでしまった。ここで2、30分もグッタリと身動きもせずに天を仰いでいた。

 相棒に「昼食にしよう」と言われ、まだ昼メシを食っていなかったことに気がついた。あまり食欲はないが、とにかく食べなくてはいけない。小屋の売店でお茶を買い、槍を見上げながら弁当を広げたが、食欲はなかった。お茶と一緒に流し込んだ。

(槍の穂先にいる登山者が見えますか?、拡大可)

 食後は多少元気が湧いて来た。天気がだいぶ怪しくなって来たので、雨が降る前に槍ケ岳を往復して来ることにした。ここからは登り40分、下り30分のコースである。今日はだいぶ混雑しているので、もっとかかるかも知れない。人がアリのように連なった登山道へ入って登り出した。

 槍の山頂へ13年ぶりに立った。人がいっぱいで座る場所もないほどだった。昨年の5月には、テルさんと肩の小屋まで来ていながら、季節はずれの吹雪にあって下山を余儀なくされた。山はやっぱり夏がいい。天気は少々怪しくなって来たが、夏山には何んといっても解放感がある。雪山のようなあの張りつめた緊張感は全くない。やはり夏山は気楽でいい。

 (写真右は槍ヶ岳山頂)
 (写真左は槍の穂先から見た穂高、拡大可)

 さすがに槍の穂先からの眺望は抜群だった。北アルプス全体が見渡せる。しかし、ここがあまりにも高すぎて、アルプス全体が小さく見え、迫力がなかった。

 初めて登った人達の感激や感動が伝わって来た。私のすぐ隣に腰を降ろした高校生らしい十数人のパーティーが、初めて槍に立ったらしく、かなり興奮している。
「すごがっぺェー」
「あれが穂高だんべェー」
 私は思わず吹き出してしまった。どこかで聞いたことがあるひどいナマリだった。学生に「どこから来たの」と尋ねると、栃木県の宇都宮から来たと言った。実は私の実家も宇都宮から1時間ほどの所だった。
 私は、彼らが興奮しながら話している栃木弁を聞きながら、故郷を想い出していた。

 今日は肩の小屋へ泊まるつもりでいたが、もう充分満喫したので、今日中に下れる所まで下ってしまおう、と荷物をまとめて槍沢を一気に駆け下った。
                    (昭和55年8月3日 横尾山荘にて)

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