薬師岳(やくしだけ)  19座目

(2,926m、 富山県)

赤牛岳から見た薬師岳。ここから見る薬師岳が一番見事だという。
(右がスゴ、左が太郎兵衛平へ続く尾根)

2006年の折立〜太郎平間はこちら

薬師岳〜雲ノ平〜槍ヶ岳縦走

1日目:富山−有峰口−折立〜太郎平小屋
2日目:太郎平小屋〜薬師岳〜太郎平小屋
3日目:太郎平小屋〜雲ノ平〜双六小屋
4日目:双六小屋〜槍ヶ岳〜横尾山荘

《1日目:富山〜折立〜太郎平小屋》


1980年7月31日
上野−(夜行)−富山−有峰口−折立〜太郎平小屋(泊)

 昨夜、アラキ君と上野から夜行列車に乗り、今朝、富山で立山線に乗り換えた。
 立山線からは「立山連峰が見える」と聞いていたが、あいにく雨模様で山らしいものは見えない。金沢気象台は「立山方面は大雨の恐れがある」と報じていたが、予報通り雨になってしまった。

 50分ほどで有峰口へ着いた。ここからバスに乗り換え、約1時間半ほどで薬師岳の登山口である折立へ着いた。
 折立へ着いた時はドシャ降りの雨だった。ここにはポッンと無料休憩所が建っており、それを目指してバス3台から降りた登山者が一斉にザックを担いで走り出した。
 我々は何とか小屋の中へ入ることが出来たが、小屋へ入れず外でズブ濡れになっている人達が大勢いた。

 食事も早々に外へ出て雨具を着込む。小屋から20メートルほど行くとすぐ登山道になった。
 視界の利かないブナの原生林の中を、傘をさしてモクモクと登って行った。30分も登ると、もう全身汗でびっしょりになった。額から出る汗がアゴから落ちた。気持ちがいいほど吹き出す汗に、まるで己の心が洗われているようだった。

 1時間も歩いてから、初めて休憩をとった。大きなブナの木の根元にザックを置いて、汗を拭きながら、
「久しぶりに健康な汗をかいたよ」
 と相棒に言うと、相棒も、
「本当にいい汗だね……。気持ちいいよ……」
 と満足そうに言った。

 今日は体調がいい。ひと汗かいたらさらに身体が軽くなったようでグングン登って行った。周りは相変わらず樹林と雨で視界は利かないが、周りの樹木もブナからダケカンバに変わり、少し明るくなったようだ。

 樹林帯から抜け出すと、緩傾斜の草原になった。コバイケソウやチングルマ、ニッコウキスゲなどが咲き競う牧歌的な高原だ。右手に池のようなものが見え、休憩している人達が大勢いた。

 我々は休むこともなく、草原帯をモクモクと歩いて行った。しばらくすると右手に太郎平の小屋が見えて来た。雨も止み、傘をたたんで小屋へ入って行った。今日は体調が良く休憩も少なかったので、コースタイム5時間の所を3時間と5分で来てしまった。余りにも早い到着に、受付のお姉さんに、「本当に下から登って来たんですか?」、と驚かれてしまった。

【晴れた日の登山道と展望】

(近年の折立休憩所)

(森林限界を過ぎると)

(薬師岳が見える)

(お花畑の奥に小屋が)

(小屋の前から薬師)

薬師岳〜雲ノ平〜槍ヶ岳縦走・・2日目

1日目:富山−有峰口−折立〜太郎平小屋
2日目:太郎平小屋〜薬師岳〜太郎平小屋
3日目:太郎平小屋〜雲ノ平〜双六小屋
4日目:双六小屋〜槍ヶ岳〜横尾山荘

《太郎平小屋〜薬師岳・往復》
8月1日

太郎平小屋700〜薬師岳〜太郎平小屋(泊)

 朝から濃いガスが一面を覆っていた。今日は薬師岳(2926m)を往復して来るだけなので急ぐこともない。ガスが晴れてからゆっくり行けばいいと思い、朝食後、再びフトンの中へ潜り込んだ。

 6時を少し回った頃、「晴れて来たぞ!」と相棒に起こされた。あわてて外を見ると、たしかにガスの切れ間から薄日が差していた。「よし、行こう!」と相棒に声をかけ、すぐに自炊室へ行って湯を沸かし、テルモスにコーヒーを詰め込んだ。

 ここから薬師岳までは登り3時間、下り2時間半、往復5時間半のコースなので、下って来てから昼食にすることにして、テルモスと予備食のお菓子とカメラだけをアタックザックに詰め込んで、7時ジャストに小屋を出発した。

 東の空にわずかに薄日が見えるが、まだガスが完全に消えた訳ではなく、これから目指す薬師岳も、右手の下に見えるはずの雲の平も見えなかった。やがて晴れて来ることを期待しながら歩き始める。

 なだらかな登り斜面に、背丈の低い草木が茂っていた。その中に道が長々と連なっている。草木の葉に溜まった雫が、まるで真珠のように美しかった。
 10分も登ると急に下りになった。そして、下の方から沢のせせらぎが聞こえて来た。そして、テントが幾つか目に飛び込んで来た。太郎平のテント場だった。そこには案内板が立っており、薬師峠と書いてあった。

 このテント場からは沢沿いに登ることになる。少々きつい登りだが、すぐに稜線へ出た。そしてここからは、山というよりは高原と言った方がふさわしいような、なだらかな丘陵になった。周りはキンポウゲやツガザクラ、ハクサンイチゲなどの花がいっぱい咲いていた。

 そして正面に小さなピークが見えて来た。時々、薄日も差して来た。
「ヨシ! 絶好調だ!」
 と、思わず声を張り上げた。

 足の方もピッチが上がった。1時間も歩いた時、『薬師まで60分』と書かれた標識があった。エッ!、一瞬ビックリした。ここは3時間のコースでまだ1時間しかたっていないのに、あと60分とは……。

 しばらく行くと、ザックを背負わずにカメラを肩にかけ、白いビニール袋だけを持った人に追いついた。どちらからともなく声がかかった。
 30才ぐらいの、やや小柄でやせ形の人だった。彼の話しによると、立山からこの薬師まで縦走して来たが雨に降られてばかりいた。昨夜は太郎平小屋へ泊まり、今日は下山の予定だが、晴れ間が見えて来たので下る前に薬師岳を往復して来るのだという。

 4日間も山に入っていながら毎日雨に降られ、下山の日になって晴れて来るなんて、本当に気の毒というか、悲劇の主人公みたいな人だと思った。
 この人は、我々と話しが終わると、まるで男の意地か執念で登るようにガツガツと登って行った。我々はその人の後を追うように登って行った。

 30分も登ると薬師山荘があった。その小屋の前でさっきの人がウロウロしていた。
「どうしたんですか?」
 と聞くと、
「晴れて来るまで待っているんですよ。上は寒いから。どうせここからなら30分ぐらいでしょうから……」
 と言う。
 なるほど今はガスがかかって何も見えない。晴れ間とガスが10分おき位に繰り返している。
 我々も小屋の前のベンチに座って、持って来たコーヒーを飲みながら時間をつぶす。悲劇の主人公が言うように、山頂へ着いた時にこんな天気ではつまらない。どうせ行くならお天道様が出ている時の方がいい。

 しばらく休んでいると肌寒くなって来た。のんびりしているのも楽ではない。ボチボチ出かけようかと思った時、さっきの人が「お先に!」と言って、一足先に出かけて行った。我々もノンビリと歩き出した。
 ここからは、砂岩の岩屑を敷きつめた急斜面になった。草木は一本もない。

 10分も登った頃、急にガスが切れて視界が利くようになった。目の前にピークが見え、そのピークの後ろに、さらに一段と高いピークが見えた。今、その手前のピークをさっきの人が乗り越えようとしている。
「ヤッホー」
 と、相棒と2人で大声を張り上げると、悲劇の主人公も我々に向かって手を振った。

 手前のピークを乗り越えると、次のピークに小さな祠が見えて来た。「オー、頂上だ!」と一気に駆け登った。しかし、それは頂上の祠ではなく、ケルンだった。

 ここは愛知大山岳部の13人が、吹雪の中で下山道を間違えて下ってしまい、全員遭難した東南稜の頭だった。その13人の冥福を祈り、二度と遭難が無いようにと建てられたコンクリート製のケルンだった。

 右手(東側)に、その東南稜が延びていた。尾根の先は黒部源流へ落ち込んでいるが、天気さえ良ければ間違うこともない普通の尾根だった。しかし、吹雪の中でここを下ってしまった彼らは、あの黒部源流一帯を死にもの狂いでさまよったのだろうと思うと、胸が締め付けられる思いがした。思わず目を閉じて、彼らの冥福を祈った。

 やっと頂上が見えて来た。頂上の奥には北薬師へ続く稜線までバッチリ見えた。「サァ、あと一息だ。頑張れ!」と、気合いを入れて歩き始める。

 しばらくすると、道ばたに中年の男性3人が座り込んでいた。
「ヨオ!」
「ヨオ!」
 昨日、小屋の自炊室で、コーヒーを飲みながら歓談した男性3人組だった。

「ここでバテてるんですよ……。もう動けんで……」
 もう40は越えている三人連れは、見るからにヘバっていた。
「頂上はそこですよ。そこ。あと10分ですよ」
 と言っても、グッタリしたまま動こうとしない。ここからなら這ってでも行ける距離なので心配することもない。
「お先に。頂上で待ってますから」
 と声をかけ、我々は頂上へ向かった。

 砂岩がゴロゴロしている道を一気に登ると、そこが頂上だった。三角点に避難小屋かと思ったほど大きな木造の社殿があった。その中に薬師如来と愛知大山岳部13人の遭難碑があった。さっそく両手を合わせてお参りをした。お参りを済ませて記念写真を撮っていると、さっきの悲劇の主人公が、どこからか姿を現した。

 我々はコーヒーを飲みながら持って来た菓子で腹ごしらえ。今日はこのまま小屋へ戻るだけなので急ぐこともない。
 天気は相変わらず晴れたり曇ったりの繰り返し。展望もあまり利かない。

 我々が菓子を食べていると、中年の3人衆がやっと辿り着いた。
「オー、いらっしゃい!」
 と、相棒と拍手で迎えてやった。
「やっと着きましたよ……」
 3人衆のリーダーらしい人が、ニコニコしながら言った。
「もう、死ぬかと思いましたよ、さっきは……。けっこうキツイですね……」
 と、別な人が言う。3人とも楽しそうな人達だ。
 3人衆は、カメラを持って来なかったというので、山頂の写真を撮ってやった。
 山頂でひと休みした後、すぐ下の雪渓の近くで昼寝タイムにした。雪渓からは、ずがすがしい風が吹き渡ってくる。お天道様もカッカッと照りつけている。

 20分も過ぎたころ、「ヤア、寒くなって来たなア」と、相棒がムックリと起き出した。いつの間にか、ガスが湧き出していた。もう充分満喫したのでボチボチ下ることにした。

 下りは、のんびりと写真を撮りながら下った。途中のお花畑から返り見る薬師岳が見事だった。このお花畑と薬師岳の景観を弟に見せてやりたいと思った。

 お花畑を過ぎて、さらに下って来ると、今まで見えなかった槍ケ岳が、突然雲の割れ目から姿を出した。しかし、よく見ると、槍にしては北鎌尾根がぎこちない。それに方角的にも東側に見えるはすがない。ガスで周りの山が見えないのでハッキリとは分からないが、鷲羽岳の隣にあるワリモ岳かも知れない。いずれにしても鋭く尖ったピークに目が釘付けになった。

 それに、ここから見る水晶岳も実に見事だった。こんなにすばらしい山を見て、山男達が心を震わさない訳がない。裏銀座縦走の時、すぐ近くまで行っていながら、天気が悪くて登れなかったことが無性に悔しい。あの時一緒だった弟に、ここからの水晶岳を見せてやろうと何枚も写真を撮った。

(写真は小屋の前から、薬師登頂ハンザーイ!)

 小屋へ戻ると、中年の3人衆はハンゴのメシを食っていた。彼らは我々が山頂で昼寝をしている間に下山したらしい。

 我々はラーメンでも作ろうと思っていたが、3人衆が「メシを炊いておいたから、ぜひ食ってくれ」と言う。
 そして、「明日から薬師沢で釣りをする」と言っていたが、「薬師岳を登ってもうコリゴリ。予定を変更してこれから下山するから食料をもらってくれ」と言う。インスタントのカレーや味噌汁、米、キューリ、ピーマンまで貰ってくれと言われたが、我々はインスタントの味噌汁だけを貰って味噌汁を作り、炊きたてのハンゴのメシをご馳走になった。

【おまけ・・太郎平小屋からの展望】

(左正面の双耳峰が水晶岳、右手の尖峰はワリモ岳だと思う)

(黒部五郎岳)