D残雪の阿弥陀岳・赤岳、登頂断念

柳川北沢から見た西岳(一番左側の岩峰が大同心。右燐が小同心)



地図は赤岳鉱泉様より借用
2008年4月27日(日)

自宅650−1025美濃戸〜赤岳鉱泉〜中山乗越〜行者小屋(幕営)

 阿弥陀岳は、もう30年以上も前の正月に、猛吹雪にあって断念したことがある。(この時の紀行文は→こちら) それ以来、未だに登ったことがない。

 その阿弥陀岳へ雪のある時に再チャレンジしようと、テントを担いで出かけて行った。行者小屋の前で幕営したが、今回は雪上キャンプも目的の一つだった。

 しかし、夜中から雪が降り出し、寒くてほとんど眠れなかった。夏用のテントに安物のシュラフでは、所詮、無理だったようだ。

 雪は朝の6時ごろになって止んだが、視界が全く利かず、「これじゃあ、登っても仕方がない。また花の咲く頃にでも来よう」と早々に撤退を決めた。ここから1時間ちょっとで山頂だというのに、まさに“敵前逃亡”である。

 その敵前逃亡記などを長々と書く気はないが、前日に見たすばらしい展望を、ぜひ皆様にお見せしたいので、“敵前逃亡記”兼“八ケ岳展望”として紹介することにする。

 朝、6時50分に家を出発。今日は行者小屋までなので急ぐこともない。
 諏訪南ICで降り、一路、美濃戸口を目指して行った。

 バス終点の美濃戸口には、大きな駐車場があり、出かける準備をしている人が5、6人いた。一瞬、「私もここへ車を止めるべきか?」と躊躇したが、そのままノロノロと細い林道を進んで行った。道はかなり荒れていたが、他にはもっとひどい所もある。難なく美濃戸へ着いた。

 美濃戸の一番手前にあった「やまのこ村」という山荘の駐車場へ車を止めた。(1日千円前払い)

 車の中で簡単な昼食を摂っていると、何と正面に雪をたっぷり抱いた阿弥陀岳が見えるではないか! 思わず歓声を上げた。

 

 駐車場から坂を上って行くと、左手に赤岳山荘があり、その先に広い駐車場があった。すでに20台以上止めてあった。どうせならここへ止めれば良かった、と思った。

 しかし、懐かしの「美濃戸小屋」がない。30数年前の年末に泊まった小屋である。美濃戸小屋の跡地がこの駐車場になったのだろうか。

 4、5分ほど歩いた所に美濃戸小屋があった。名前も美濃戸山荘に変わっていた。やはり30年という歳月は長い。何もかもが変わっていた。

 ここで山荘の写真を撮ってから、そのまま林道を登って行った。「美濃戸小屋からしばらく歩いた所に北沢と南沢の分岐がある」と昔の記憶があったからだ。

 今日は南沢を真っ直ぐ行者小屋へ行く予定だが、行けども行けども分岐がない。20分以上も歩いた頃下山者が来たので聞いてみると、
「南沢は美濃戸山荘の前から入るんですよ」
 と言われる。

「そうか・・・。美濃戸山荘が分岐の所へ引っ越して来た訳か・・・」と、ため息をつきながら、引き返す気にもなれず、このまま北沢経由で行くことにした。

 結果的に、この北沢コースを選んだことによって、すばらしい展望を見ることになった。

所々にあった残雪が、次第に一面を覆うようになった。いかにも雪山へ来たという実感が湧いて来た。

 沢へ出ると、「左北沢、右まき道」との標識があった。迷わず北沢を行く。

 しばらくすると、沢底が赤茶けた岩になり、なめ滝のようになった奥に、真っ白になった稜線が見えた。思わず目を見張る。あれは硫黄岳の稜線だろうか。

 早く赤岳と横岳が見たい。心はうずくが足はなかなか進まない。時々、雪を踏み抜いて股間まで潜ってしまうからだ。

 今日は特にザックが重い。股間まで埋まってしまうと足を引き抜いて立ち上がるのに苦労する。ストックがあれば立ち上がりやすいのだがなあ・・・。こういう腐った雪ではピッケルは余り役に立たない。

 エネルギーの消耗が激しい。そして時間ばかりが過ぎて行く。