残雪の北穂高/前穂高北尾根6峰

(涸沢〜北穂高〜涸沢〜前穂高北尾根6峰〜涸沢)


北穂高南稜を登る。背後は前穂高北尾根


1978年4月29日

 5月の連休に北アルプスへ行くのは始めてだった。槍や穂高あたりはどれほどの残雪があるのだろうか。

 一週間前になって、上高地で我々が常宿にしている「山のひだや」へ電話をすると、ご主人からこんな言葉が返ってきた。

「え、涸沢ですか……、それはすごい雪でしょうねえ………。何しろ今年は20数年ぶりとかの大雪でねえ……、この上高地でさえまだ1メートルも積もってるんですから……。とにかくすごい雪ですよ、今年は………。山の方は想像もつきませんねえ………。」

 これがご主人の話であった。今年は雪が多いとは聞いていたが、まさか上高地に1メートルもの雪があるとは思わなかった。上高地に1メートルもの雪があると言うことは、涸沢あたりはまだ5、6メートルも積もっているのだろうか。
 春山へ登る者にとって、残雪は多い方がいいのか、少ない方がいいのか良く分からないが、「とにかく今年は雪が多い」と聞くだけで、身震いする思いだった。

 その上高地は雨だった。小雨が降る中に降り立ったバスターミナル。しかも、雪など全くない。
「まったく、雪なんか有りゃあしねぇじゃねえか……。おまけに雨なんか降りやがって!」、1メートルもあると聞いていた雪は全くない。まるでだまされたような気がしてならなかった。

「まあ、仕方がねえ…、とにかく行くとしよう」
 ブツブツ言いながら、傘もささずに河童(かっぱ)橋へ向かって歩き出した。サッパリした砂利道を歩きながら、4月の雨がやたらと冷たく感じてならなかった。

 しかし、河童橋の手前まで来た時、我々のグチは一瞬にして吹っ飛んだ。吊り橋の向こうに穂高が真っ白に見えるではないか!
「オ−、岳沢(だけさわ)が真っ白だ!」
 思わず声を張り上げながら走り出す。すぐ目の前の麓まで真っ白に覆われた岳沢。その上は雨に煙って見えないが、あの白い雪の上には雪さえも寄せ付けない黒々とした穂高の岩稜があるはずだった。

「岳沢でさえあれだけの雪じゃあ、涸沢はもっとすごいだろうなあ!」
 山小屋の屋根よりも高く積もった涸沢の光景が浮かんで来ると、心の底から歓びと闘志が同時に湧いて来た。

「よし、明日は涸沢だ! そして雪の穂高をアタックだ。サア行こうぜ!」
 もう雨が降っていることなど全く気にならなかった。急ぎ足で歩き出す。
 小梨平のテント場を過ぎると残雪が現れ、道の両脇に積もった雪はいつの間にか膝よりも高くなって来た。上高地はやはり残雪だった。


4月30日

 朝から霧のような小雨が降っていたが、明神(みょうじん)の「山のひだや」を7時40分に出発。
 道の両側には、除雪をした雪が腰よりも高く盛り上がり、まるでスキー場でも歩いているような感じだった。

 横尾からはすべて沢沿いの道となった。沢いっぱいに埋められた残雪。夏道は一体どこへ消えてしまったのだろうか。とにかく夏の面影は全くない。深い谷間は今、一面雪の原。あまりにも雪が多すぎて地形さえも分かりにくい。とにかく屏風(びょうぶ)岩から南岳方面に向かって踏み固められた雪道を進んで行った。

 南岳の手前まで来ると道が二手に分かれ、真っ直ぐ南岳へ行く道を捨てて、左側に大きくカーブを切った。ここもすごい雪だ。ナナカマドなどが生い茂ったはずの谷間は一面雪の原。一体何メートル積もっているのだろうか。まるで白馬の大雪渓でも歩いているようだ。

 真直ぐにつけられた雪道の頂点に、ポツンと涸沢ヒュッテの赤い屋根が見えた。その後方に穂高がわずかに見えるのだが、さっきから降り出した雨のせいか頂きは見えない。

 涸沢小屋は雪が庇よりも高く積もっていた。その雪を切り崩して作った階段を下り、玄関へ着いたのが12時半。横尾から2時間半であった。

 涸沢小屋は空いていた。宿泊者は30人位だろうか。夏の最盛期にはとても考えられない。
 タ食までの間、ストーブにあたりながら濡れた衣類を千す。時々、戸外を眺めて見るが、相変わらず穂高は見えない。

 相棒のテルさんと明日の予定などを話し合っていると、隣にいた神戸から来たという鼻の下にチョビひげを生やした25、6の青年が、「3日ほど前に来たのだが、毎日雨ばかりでどこへも行けなかった」となげきながら、「明日は是非ご一緒させてくれ」と言った。

 しかし、我々も残雪の穂高を登るのは始めてなので、身知らぬ人と一緒にパーティーを組もうなどとは簡単に言えない。テルさんと「明日、晴れたら北穂高へ行こう!」と話し合った。


5月1日

 朝、目がさめると、昨夜の雨がウソのように暗闇の中にうっすらと前穂高の稜線が見えた。時に4時半。
 一人静かにフトンからぬけ出して、昨夜団らんしたコタツの中へ足を突っ込むと、わずかにレンタンのぬくもりがあった。窓越しに外を見ると、前穂高北尾根のピークが見えた。
 涸沢圏はまだ暗い闇に包まれているが、前穂高北尾根のピークが乳白色の空にシルエットになって見えた。そのピークを見ていると、もう心のうずきをどうすることも出来なかった。
 この半年間、いや数年間、雪の穂高に逢える日を今か今かと侍ちわびていたその穂高が、まさに目の前にあった。

 穂高の魅力にとりつかれ毎年毎年やって来るこの涸沢である。目をつぶっても周りの光景が鮮明に浮かび上がって来るほど見慣れた光景ではあるが、残雪10メートルという、いまだかつて見たことがない穂高。残雪と陽光が織りなす春という季節舞台は、この穂高をどれほどまでに美しく演出するのだろうか。

 いつまでもシルエットに描かれた穂高のピークを見ていると、夜明けがやけに遅く感じてならない。タバコの火を缶詰の空き缶にこすり付けて、静かに階段を降りていくと、すでに玄関ではヘッドランプを点けて出かける準備をしている人達がいた。我々は小屋の朝食を食べてからでないと出かけられない。

 はやる心を抑えながら、玄関の板の間に座り込んで湯を沸かし始める。だが心中は穏やかではない。しだいに薄らいでいく戸外へ次から次へと出掛けて行く。彼らを横目で睨みながら、熱いコーヒーをすすっていた。

 屏風岩(写真左)の上空が淡紫色に変わったのを見届けてから、カメラだけを持って外へ出た。外は凍てつくような寒さ。全身を何物かに締め付けられるような戦慄と快感。まさに春山の夜明けである。

 一面雪に覆われた涸沢の夜明け。正面に雪をたらふく抱いた奥穂高。そして、左手には雪さえも寄せ付けない前穂高の岩峰が、ノコギリの歯のように並び立っている。その岩峰と、だんだん明るんでくる東の空を見ていると、少しでも高い所へ行きたくなって、そのまま奥穂へ向かって登り出した。

 前穂高北尾根の岩峰を見上げるようにして、一歩一歩登っていると、さっきまでの淡紫色の空がオレンジ色に変わって来た。

 ご来光を見るなら少しでも高い所で、と思うのだが足の方はいっこうにはかどらない。足元の雪は昨日までのゆるんだ雪とは違い、表面が凍結したアイスバーン。靴が滑って歩きにくい。せめてピッケルだけでも持って来れば良かったと思ったが、もう小屋へは戻っていられない。あのモルゲンロートの夜明けを見逃してはならないからだ。

 一歩一歩慎重に登って行った。一面凍てついた雪の斜面。東の空は一刻一刻変化する。オレンジ色から淡紅色に。そして、淡紅色からバラ色に。そのバラ色の光線が、この凍った雪の斜面にまばゆく反射した。

 春山のすがすがしい朝。この凍った雪の斜面と澄みきった大気。なんとすばらしい朝だ。小屋の前で手を振っている人がいた。私もさかんに手を振った。

 朝食後、今日は「ぜひ残雪の槍ケ岳を見て来よう」ということで、北穂高を往復して来ることにした。
 最小限の荷物をアタック・ザックに詰め込んで、それを相棒が背負い、私はピッケルだけを片手に小屋を出発。

 しかし、すごい雪だ。本来なら北穂沢の左側に南稜があり、その南稜をジグザグに登るのだが、今はそんなものはない。雪の急斜面を山頂まで一気に突き上げる。人が点々と連なるその急斜面を見上げながら、「こんな所で滑落でもしたら、ひとたまりもねぇだろうなぁ」と、ゾクゾクするものを覚えたが、それを打ち消すように、「さあ、行こうぜ!」と大きな声を出して登り始める。

 陽はすっかり昇り、一面の雪がキラキラと光ってまぶしい。春の日差しは思ったよりも強い。ピッケルを杖がわりにして、急斜面を一歩一歩登って行った。

 朝の冷え込みはまだそうとうきつく、雪の表面は完全に凍結したアイスバーン。その凍った斜面にアイゼンの歯が小気味よく食い刺さる。


(南稜を登る)

(涸沢のキャンプ村、奥に涸沢ヒュッテの屋根が見える)

 登り出してから1時間ほど経つと、その凍った雪も次第にゆるみ、そのうち靴が潜るようになって来た。

「オイ、そんなに急ぐこたねえ。休んで行こうぜ、休んで!」
 数歩前を歩いていた相棒に声をかけ、額の汗を拭ってから、今まで杖がわりにしていたピッケルを雪の斜面に打ち込んで、それをまたいで座り込んだ。

 今にも滑り落ちそうな急斜面。その斜面のずっと下の方に、山小屋がマッチ箱のように小さく見える。空は一片の雲もないコバルトブルーの空だ。

 そして正面には、私の大好きな前穂高北尾根の岩峰が並び立っている。しかし、夏山のようなあの男性的なイメージではなく、白いベールに包まれた乙女のようだ。

 雪の上に座り込んで、タバコをふかしながらそれらの光景を眺めていると、やっと雪の穂高へやって来たという実感が湧いてきた。長い間待ちわびていた恋人にやっと逢えた時のような喜びが、ひしひしと伝わって来た。

 すっかりトリコになってしまった穂高である。その穂高の3,000メートルの頂きから、かすかに吹いてくる風にも春を感じる。
 ああ、春だ。春山のうただ。この雪に埋もれた穂高の岳々にも、ついに春がやって来た。

 ああ、春だ、春山のうた
 さんさんと降りそそぐ春の日差し キラメク残雪
 空は どこまでも染み込むような
 コバルトブルーの空だ

 ああ……もう歩くのをやめて
 のんびりとうたでも聞こう
 ほら……あの頂きから聞こえてくる
 春山のうた
 雪と光のハーモニー


(右が奥穂、左が前穂)

(奥穂へ行く人達)

 北穂の山頂直下は「大きく右へ回り込む」と聞いていたが、直接山頂へ突き上げた。それに、さっきまで完璧に晴れていたのに、山頂へたどり着く直前に、ガスがアッという間に湧き出してしまった。視界が利かない山頂へ、ガックリとうなだれるように座り込んだ。

 しかし、10分もするとガスの中から奥穂と前穂がシルエットになって浮かび上がってきた。だが、肝心な槍ケ岳は見えない。

 山頂でガスが切れるのを待っていると、背後の屏風岩の方からヘリコプターの爆音が聞こえて来た。ヘリは大きな荷物を山頂へ降ろすと、また大きく旋回して上高地方面へ去って行った。この山頂から数十メートルほど下った所に「北穂山荘」があり、今日は開業第1日目なので荷揚げに忙しいのだろうが、それにしても山頂へ荷物を置いていくとは驚いた。

 天気が回復するまで、北穂山荘で待機することにした。しかし小屋がない。小屋は屋根ごとすっぽりと雪の中に埋もれていた。よく見ると雪田の中に一人が通れる程のトンネルがあった。そのトンネルを潜って行くと小屋の玄関前へ出た。小屋の玄関前には1メートルもありそうなツララが何本もぶらさかっていた。

 槍ケ岳はいっこうに姿を見せず、結局下ることにした。再び山頂へ戻り、先ほど登って来た道を慎重に下り始める。

(写真左は北穂からの奥穂)
(写真右は別の日に撮った槍ケ岳)

 30分も下ると、ガスがすっかり消え、再び青空と春の陽が現れてきた。雪もすっかりゆるみ、足を運ぶたびに足元の雪が崩れてしまい歩きにくい。

 我々が苦労しながら下っていると、後ろから滑ってくる連中がいた。雪面に尻をついて、面白そうに滑って行く。我々も同じように尻セードをやりだした。

 途中で鈴木君に会った。彼は、「明日は北尾根をやろうと思っているんですよ……」と言った。北尾根の名前を聞いてじっとしていられなくなった。彼達はクライマーなのでザイルを持っているだろうが、我々はザイルどころかザイルワークも出来ない。ザイルワークが出来なければ、あの北尾根を登ることは出来ないのだろうか。
 しかし、途中まででもいいから行ってみたい。長年の夢だから……。

 北穂の下りを軽快な尻セードで滑り降り、予定より早く小屋へ着いた。小屋着11時。
 さっそく早お昼にする。玄関先で日向ぼっこをしながら昼食としゃれ込んだ。空は一片の雲もない吸い込まれそうな青空。そして、さんさんと降りそそぐ春の日差し。

 その晴れ渡った空に並び立った北尾根の岩峰を見上げながらラーメンをすすっていると、ヒゲが「今からあの北尾根に行こう」と何度も言ってきた。
 このヒゲは、昨夜「ぜひご一緒させてくれ」と言っていたあのヒゲである。今日一日我々の後ろを歩いていたらしい。そして、私が「5・6のコルをやろう」と相棒を誘っていたのが聞こえたらしい。
 相棒はもう行く気がないようだ。相棒が行かぬと言うなら、一人でもいいのだが……。

「オイ、ヒゲ、行こう! 五・六のコルから六峰だ!」名前も知らない道連れの若者と一緒に行くことにした。11時50分に小屋を出発。

いよいよ憧れの前穂高北尾根・六峰へ

 今から北尾根へ行くのだと思うと疲れなんか全く感じなかった。ハイピッチで雪道を進んで行く。何としても陽が沈む前にピークに立たなくてはならない。だが逸る心とは裏腹に、ペースはだんだんと落ちて来る。雪が膝まで潜るのだ。気は逸るが、なかなかはかどらない。でも距離は短いはずだ。

 池の平から奥穂へ向かって真っ直ぐ進んでいたが、途中で5・6のコルへ向かって左に大きくカーブを切った。
 斜面は一層きつくなった。北穂を往復してから、この登りはかなりこたえる。でも早く行きたい。長年の夢だから……。

 呼吸はかなり乱れて来たが、必死で雪をけちらして行く。気力で歯をくいしばる。そして、やっと5・6のコルへ到着。小屋を出てから1時間と7分。憧れの前穂高北尾根である。だが、まだピークではない。立ち止まったまま呼吸をととのえていると、眼下に上高地が見えた。わずかこの尾根一つを隔てて、残雪10メートルという涸沢と、春うららの上高地、こうも違うものかと驚いた。

 ここから見る6峰は不格好で、北穂や涸沢から眺めるあの急峻で男性的なイメージではなく、まるで飯盛山に雪が付いたような感じだった。
 しかし、斜面はかなりきつい。高さはせいぜい5、60メートルぐらいだろうが、まるでビルディングの壁をよじ登るような感じである。その急斜面を今、ザイルを結んだ2人のパーティーが下っている。
「オイ、ヒゲ、行こう! ザイルなんて無くたって行けるだろう」
 コルでは一服もせずにすぐに6峰を登り出した。


(5・6のコルから見た6峰)

(5・6のコルから見た5峰)

 登りきった所がピークかと思っていたが、実はその先20メートルほど奧にピークが見えた。そこまで中腰になって、慎重に進んで行った。
「オー、やったぞ!6峰のピークだ!」、と思わずヒゲと握手する。そして、真下に見える山小屋に向かって、「ヤッホー」と大きな声で怒鳴りながら手を振った。テルさんは我々が小屋を出発する時、「後で望遠鏡で眺める」と言っていたが、はたして気がついているだろうか。アイツのことだから、日向ボッコをしながら眠りこけているに違いない。
 ヒゲと更に大きな声で「ヤッホー」と怒鳴りながら手を振った。

(写真は6峰のピークから涸沢を見下ろす。眼下に涸沢ヒュッテとテント村、その左上に涸沢小屋が見える)

 ここはピークといっても、くつろげるような場所ではない。すぐ足元から数100メートルも垂直に切れ落ちているのだ。ピッケルで確保しながら、記念写真を1枚ずつ撮って早々に下山した。

 コルからはグリセードならぬ尻セードで下った。要は尻もちをついて滑るのだ。登り1時間かかった所をわずか10数分。

 小屋の前まで来ると、除雪作業をしていた小屋の人達が「お帰り、大きな声を出して元気だね」と迎えてくれた。
 うれしい。我々の声がここまで聞こえたなんて。それに、昼寝をしていると思ったテルさんも、2階の窓から顔を出した。そのテルさんに向かって、
「オイ、6峰を登って来たぞ!」
 と大きな声で言った時、北尾根の一部ではあるが、とにかく足を踏み入れたという実感が湧いてきた。あくまでも北尾根を全部登った訳じゃあないが、とにかく憧れの岩峰だ。いつだったか日記に「岩の貴婦人」と書いたことがあった。その貴婦人にやっと近づくことが出来た。それも白いベールをまとった最も美しい時に。うれしい。感激だ。この喜びを、この震えを、一体何んと言えばいいのだろう。

「おいヒゲ、祝杯だ、祝杯を挙げよう」
 ヒゲと缶ビールを買い込んで、庭先で乾杯した。たった今登って来たばかりの北尾根のピークを眺めながら、いつまでも、いつまでも喜びの美酒に浸っていた。(昭和53年5月1日、晴)


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