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 ロンドン大学名誉学友推薦祝賀会での講演    昭和12年(1937)78歳

《日本語訳》

 名誉学友に選出していただいた大学教授会、評議員会に感謝申し上げる。                 
この名誉は従来この上ない著名な人物に授与されてきており、外国人に与えられるのはこれが初めてである。                                                          
ドナルド教授が私の日本における業績を紹介したが、1876年から5年間の英国での教育のおかげである。
 当時、化学の教授であった世界的に有名なウイリアムソン博士には科学の授業を、またフオスター教授ロツジ博士には物理化学を教わった。                                         英国での5年間はビクトリア女王の治世の後半で、英国の歴吏の最も華やいだ時であった。政治家で雄弁家のビーコンスフイールド、元老のグラツドストーンが一等星のように輝いていた。詩人のテニソン、 薯述家のラスキン、小説家のエリオツトが崇拝され、議会ではロシアとの戦争に議論が白熱していた。   
 そうした輝いたときに英国にいたのもまれな運であったが、私は英国の歴吏や文学、芸術、演劇を学び、生涯の友人たちからは英国の社会や文化を知ることができた。それは後の私の人生に計り知れない影響を与えた。                                                         

 明治維新の数年前に5人の日本人が西洋文明を研究するため、船でロンドンに渡った。ケープタウンを廻り長い航海のすえロンドンに着いた彼らは、一人の老紳士を紹介された。その紳士こそウイリアムソン博士であった。彼はよく私に日本は東洋の英国であると言っていたのを覚えている。            
 5人の日本人のうちの2人が翌年帰国し、政治的混乱の火中に身を投じた。その一人が現代日本の祖である伊藤俊輔(後の博文)であり、もう一人は明治維新の大臣となった井上聞多(後の馨)であった。他の三人も新政府で重要な地位を占めた野村弥吉、山尾庸三(造)、遠藤謹助であった。 5人の写真 

 明治政府の一番の関心事は、西洋科学の輸入であった。政府は英国より知識と技能を有した教師を招くことを決めたが、不思議なことに、また、幸運なことにとりなしてくれたのがウイリアムソン博士であった。博士に推薦された若き科学者たちは、日本の学生に科学を教え、かつ彼ら自身すばらしい調査研究を残した。

 今晩、ほとんど知られていない歴吏の一端をお話しする機会を得られたことは大変な喜びであるが、いかに日本がウイリアムソン博士の恩恵を受けているかを示すものである。                 
 重ねて大学教授会、ドナルド教授、そして私のスピーチを忍耐強く聞いていただいた皆様方に感謝申し上げる。