年齢 数え年 |
和暦年 | 西暦 | 事 項 | リンク | |||
41 | 明治 | 31 | 1898 | 4月 東京学士院会員に推挙される | |||
43 | 33 | 1900 | 「化学語彙」を高松豊吉博士と共に出版する(東京化学会訳語委員一同辞退に伴い会の了解を得る後創立50年記念(1928・昭和3年)著作権を移譲会から再出版された) | ||||
44 | 34 | 1901 | 5月〜翌年3月 第一次渡航(留学以降)欧州へ グラスゴー大学創立450年祝賀式典に参列する グラスゴー大学名誉学位(法学博士)授与式に出席する |
ガウン姿 |
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東京帝国大学評議員となる(明治40年まで) | |||||||
理学文書目録委員会会長となる | |||||||
47 | 37 | 1904 | 4月 原子量基準を「酸素にすべき事」を池田菊苗博士と連名で提言する | ||||
50 | 40 | 1907 | 7月〜10月 第二次渡航ロンドンへ 万国理学文書目録国際会議に出席する |
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東京帝国大学理科大学長に就任する | |||||||
12月東京帝国大学就職25年式典を小石川植物園で開催されるその奉賀金を東京化学会に寄贈「櫻井褒賞」となる | |||||||
51 | 41 | 1908 | 「ローマ字ひろめ会」発表の「大日本標準式ローマ字綴り方」を推奨する(略称標準式) | ローマ字ひろめ会重鎮 | |||
52 | 42 | 1909 | 12月 教員検定委員会臨時委員となる | ||||
53 | 明治 | 43 | 1910 | 4月〜8月 第三次渡航 欧州へ 万国学士院協会第四回総会出席する |
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櫻井褒賞が設立される | 櫻井化学研究奨励資金規定 櫻井賞メダル 櫻井褒賞受賞者一覧 |
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55 | 大正 | 1 | 1912 | 9月 明治天皇大喪儀に参列する | 総長事務取扱としての哀悼文 | ||
9月 東京帝国大学総長 事務取扱を任命される | 総長事務取扱として署名のある卒業証書(医科大学生) | ||||||
56 | 2 | 1913 | 理学文書目録委員会会長に就任する | ||||
60 | 6 | 1917 | 財団法人理化学研究所設立 副所長に就任する 理事長は渋沢栄一子爵・所長は菊地大麓男爵 |
理化学研究所へリンク | |||
ストーブス女史の英訳に協力した謡曲本がロンドンで発売される | ストーブス博士の画像 英文謡曲本 |
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61 | 7 | 1918 | 7月から翌年3月 第四次渡航 欧州へ 国際化学学士院会議に出席する |
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62 | 8 | 1919 | 1月東京帝国大学を退官する 在職38年 名誉教授になる還暦祝いに書斎1棟を曙町の自宅に増築する | ||||
63 数え年 |
大正 | 9 | 1920 | 貴族院議院に勅撰される | 正装姿 | ||
日本学術研究会設立 副会長に就任する | |||||||
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