肖像写真で見る櫻井錠二の略歴 (年齢は数え年) |
☆安政5年(1858)8月18日 ・金沢馬場一番丁にて誕生。 ☆明治4年(1871)数え14歳 ・大学南校へ入学する ★明治9年(1876)19歳 留学直前に撮影 ・ロンドン大学へ国費留学する |
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★明治10年(1877)20歳 留学中のロンドンにて撮影 ・ウィリアムソン教授に化学を、物理をフォスター、ロッジ両教授に 師事する ・奨学金を二年間に千ポンド授与される |
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☆明治12年((1879)22歳 ・有機化合物に関する論文でロンドン科学会員に推挙される。 ★明治14年(1881)24歳 ・化学・物理合同試験で百数十人中第1位で金牌を授賞する。 ・ロンドン大学留学満了帰国、アトキンソンの後任として東京大学 理学部化学科講師となる。 |
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☆明治15年(1882)25歳 ・東京大学教授に就任する。当初「有機化学」に興味を持つが、 化学の基礎には「理論化学」が 肝要と考えていた。 ☆明治19年(1886)29歳 ・帝国大学令公布により東京大学と工部大学校が合併し、 帝国大学理科大学となり化学第一講座を受持つ。 当時ヨーロッパで急速に発達した「物理化学」を導入する。 ★撮影時期は明治20年頃 |
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☆明治21年(1888)31歳 ・理学博士の学位授与される ☆明治25年(1892)35歳 ・溶液沸騰点の新側定法を考案する ★写真は明治30年頃化学実験室にて |
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☆明治31年(1898)41歳 ・東京学士院会員に推挙される ★明治34年(1901)44歳 ロンドンにて撮影 ・グラスゴー大学創立450年祝賀式典に参列する ・グラスゴー大学名誉学位法学博士、授与式に出席する。 ☆明治37年(1904)47歳 ・原子量基準を「酸素にすべき事」を池田菊苗博士と連名で提言する |
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★明治40年(1907)50歳 ・東京帝国大学理科大学長に就任する ・万国理学文書目録国際会議に出席する(ロンドン) ☆明治43年(1910)53歳 ・万国学士院協会第四回総会に出席する(ロンドン・ベルリン) ・櫻井褒賞が設立される ☆大正元年(1912)55歳 ・明治天皇大喪儀に参列する ・東京帝国大学総長事務取扱を任命される。 |
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★大正5年(1916)5月撮影 ☆大正6年(1917)60歳 ・理化学研究所設立 副所長に就任する ☆大正7年(1918)61歳 ・第一次世界大戦中に国際化学学士院会議に出席する (ロンドン・パリ)滞在中の11月11日終戦となる。 ☆大正 8年(1919)62歳 ・東京帝国大学を退官する。在職38年、名誉教授となる。 ☆大正9年(1920)63歳 ・学術研究会設立 副会長に就任する ・貴族院議院に勅撰される |
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★大正11年(1922)65歳 曙町の自宅で撮影 ・万国理学文目録国際会議に出席する(ブリュッセル) ・万国学術研究会議第2回総会に出席する(同) ☆大正12年(1923)66歳 ・第2回汎太平洋学術会議に出席する(メルボルン) ・貴族院議員代表メンバーと共に豪州を視察する ☆大正15年(1926)69歳 ・枢密顧問官に任命される。 ・帝国学士院院長に就任する ・第3回汎太平洋学術会議(日本最初の国際会議)が安田講堂で開催。 議長を務める。 |
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☆昭和3年(1928)71歳 ・万国学術研究会議第4回総会(ブリュッセル)出席 ・万国化学協会第九回総会(ハーグ)出席 ☆昭和6年(1931)74歳 ・東京女学館第6代館長となる ☆昭和7年(1933)75歳 ・財団法人日本学術振興会設立・理事長に就任する ★昭和8年(1933)10月76歳 金婚式当日撮影 |
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☆昭和11年(1936)79歳 ・学術研究会議の会長に就任する ★昭和12年(1937)1月80歳 十国峠にて撮影 ・万国学術協会会議第三回総会に出席する(ロンドン) (最後の渡航) |
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★昭和12年(1937)12月撮影 自宅にて食後のひととき ☆昭和14年(1939)1月82歳 ・日本学術振興会第七回委員総会に出席(1月19日) 理事長としての挨拶が最後となる。 ☆昭和14年1月28日逝去 |