写真A-1 大船渡港
防潮堤脇の土砂が浸食を受けてえぐれている。
大船渡港沿岸には臨海型の多くの工場や事業所が立地していたが、全域が浸水した。
写真A-2 JR大船渡駅ホーム
大船渡駅の駅舎や線路が流出し、駅東側に形成されていた商店街が壊滅的な被害を受けた。
大船渡町では死者行方不明者145名(H23.5.27時点)を出し、大船渡市の地区では最大の被害であった。
資料 *8
市街地(人口密集地)が被災すると被害は一挙に拡大する。
写真A=3 津波避難場所案内板
大船渡市は盛川右岸およびその延長の大船渡湾に沿った帯状の低地~高台に市街地が発達しており、低地から高台への避難距離は短い。JR大船渡駅周辺には写真のように津波避難場所(台町高台)を示す案内板があるが、これには100mと表示されている。
写真A-4 JR大船渡駅周辺 スーパーマーケット マイヤの被災
マイヤは大船渡市と陸前高田市の6店のうち営業ができたのは津波被害を免れた大船渡インター店だけであった。
現地との連絡が取れない状況下で、12日未明から緊急生活必需品を積んだ3台の10トントラックが首都圏から大船渡に向けて相次いで出発した。送り出したのは全国の中堅・中小スーパーが加盟する協業組織のCGCグループだった。
資料*7
食料品や生活雑貨は被災地には不可欠の物資である。写真の大船渡駅前店は被災したが、大船渡インター店が被災しなかった意義は大きい。
写真A-5 大船渡商工会議所の被災状況
2階天井まで浸水したが、職員は全員避難して無事であった。
資料*9
室内の水跡から、浸水高=9.087mが得られている。
資料*4
写真B-1 護岸堤か防潮堤の崩壊状況
写真B-2低地の農地と高台の集落
昭和三陸地震の津波被害が契機となり、集落の高台移転が実施され、低地は農地、高台は住宅地と住み分けがなされている。
浸水域の大半は農地で、建物用地への浸水はほとんどなかった。人的被害は行方不明者1名だけであった。
資料*8
旧三陸町吉浜村(根白、本郷)では明治三陸地震津波で死者982人、昭和三陸沖地震では17人が死亡しているが、今回の津波では行方不明者1名だけであったのは高台移転によるものと思われる。高台移転が被害減少に直結した例である。
資料*5
写真B-3 低地と吉浜湾
高台から海岸を望む。
正面に1棟の人家があるが、それより下方の低地は農地として使用されており、人家はない。
写真C-1 海際に建つ越喜来小学校
津波は3階まで達している。右側の建物は体育館であろうか、津波により屋根が捲くり上がっている。
手前の水面は学校のプール。
越喜来小学校北北西の高台(浦浜川右岸)の浸水高=17.4m(家屋窓の浸水痕跡)
資料 *4
写真C-2 越喜来小学校 校庭(海)側正面
津波で校舎は被災したが、児童73人と職員13人は避難して全員無事であった。
命を救ったのは校舎2階から避難路の市道に通じる新設の避難階段と高い防災意識といわれる。
越喜来小学校は1896年6月15日(明治29年)三陸地震津波で全壊し、1933年3月3日(昭和8年)三陸沖地震で浸水するという歴史がある。
資料*7
写真C-3 越喜来小学校 坂道と避難階段
校庭(海側)と反対方向にある避難階段
地震後、写真の避難階段から市道に出て約100m西にある1次避難所の三陸鉄道三陸駅前広場に向かって駆けた。
駅前で点呼を終えた後、約300m西の高台にある公民館に移動した。
さらに全員で約300m西の山中まで避難した。
資料*7
写真C-4 低地と越喜来湾
三陸町中央公民館から低地と越喜来湾を望む。遠景の正面やや右の建物が越喜来小学校(体育館)。
三陸町越喜来では死者行方不明者96人。(H23/5/27時点)で、大船渡町に次ぐ人的被害を被った。
資料*8
越喜来村(現三陸町越喜来)では明治三陸地震津波で死者802人、昭和三陸沖地震では87人が死亡している。
資料*5
前述のように越喜来小学校の児童・職員の全員は無事に避難したが、地区としては多数の死亡者を出している。明治以来、繰り返して大きな被害が生じている地区である。
写真D-1 赤崎小学校
赤崎町は大船渡湾左岸に位置する。
赤崎小学校は2階まで浸水した。
写真D-2 同 上
大船渡市は大船渡町や越喜来地区のように大きな人的被害を受けたが、それでも北に隣接する釜石市や南に隣接する陸前高田市に比べて少ない。下の表のように3市の被害状況を比較してみると、家屋倒壊数はほとんど同じでありながら、大船渡市の人的被害の小ささが目を引く。
大船渡市の犠牲者率(%)は2.2であり、陸前高田市の約1/5である。
比較3市 (北から順) |
浸水範囲内人口 (人) |
浸水面積 (Km2) |
死者行方不明者数 (人) |
犠牲者率 (%) |
家屋(住家)倒壊数 (棟) |
釜石市 | 13,164 | 7 | 1,042 | 7.9 | 3,652 |
大船渡市 | 19,073 | 91 | 421 | 2.2 | 3,629 |
陸前高田市 | 16,640 | 13 | 1,780 | 10.7 | 3,341 |
左のグラフは岩手県の市や町における明治(明治三陸地震津波)、昭和(昭和三陸沖地震)、平成(東北地方太平洋沖地震)の死者行方不明者数の状況を示している。
明治と昭和の津波を通じて単発的ながら高台移転が行われ、防潮堤の建造などの津波対策も徐々に拡大してきた。その一方で、防潮堤の建造とともに都市が低地に拡大する傾向があり、大津波に対する安全度が必ずしも高まったとは言えない。
左のグラフで、3つの津波による被害の絶対数ではなく増減に注目すると、多くの市や町では昭和より平成の死者行方不明者数のほうが増加しており、特に陸前高田市や大槌町はそれが顕著であるが、宮古市や大船渡市では減少あるいは横ばいであることを示している。「宮古市と大船渡市」対「陸前高田市と大槌町」の間にどのような違いがあったのだろうか。防災上の有用な情報が含まれていると思われる。詳しい調査に期待したい。
人的被害を大きくする要因は複雑と言っても、基本的には土地利用にあるだろうと想像できる。陸前高田市も大槌町も被害が拡大するような土地利用がなされていた可能性が大きい。
参考資料
*1 浸水範囲内人口 「総務省統計局 統計調査部地理情報室
*2 東北地方太平洋沖地震に係る人的被害・建物被害状況一覧 岩手県総務部総合防災室 平成24年7月18日 17:00時点
*3 「平成23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震」により各地で観測された震度等について(第3報) 気象庁 平成23年6月23日
*4 東北太平洋沖地震津波合同調査グループ ttjt_survey_07_Aug_2012_tidecorrected.xls
*5 宇佐美龍夫 新編 日本被害地震総覧 東京大学出版会 1996
*6 田中館秀三他 三陸地方に於ける津浪に依る聚落移動 地理と経済1巻3号 302-311 1936
*7 再び、立ち上がる! 河北新報社、東日本大震災の記録 河北新報社編集局 2012
*8 地区別の被害状況について 岩手県大船渡市 平成23年6月2日
*9 あのひから・・・ 岩手県の商工会議所256日の軌跡 岩手県商工会議所連合会 http://iwatemirai.com/pdf/rt23/23-2-4.pdf