東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)

岩手県上閉伊郡大槌町(かみへいぐんおおつちちょう)

岩手県上閉伊郡大槌町位置図

大槌町の基本的データ

  • 人口15,276人(H22国勢調査)
  • 浸水範囲内人口11,915人 *1
  • 死者803人 *2
  • 行方不明者474人 *2
  • 家屋全壊+半壊3,717棟 *2
  • 役場付近の浸水高=7.5m(住宅の窓枠の部分破損) *3
  • 大槌町新港町における浸水高=12.9m(RC建物上のボート、電柱にゴミ) *3



(A) 大槌町市街地と町役場 (2012年7月撮影)

大槌町大町

写真A-1 大槌町役場付近を遠望する

住宅地は住宅の基礎だけが残っている。

大槌町の犠牲者率(%)は10.7で宮城県女川町に次いで大きい。浸水範囲内の100人中11人近くが死者行方不明者となった。ただし、犠牲者率(%)=死者行方不明者/浸水範囲内人口×100

大槌町役場周辺における浸水高=11.1m(役場周辺の建物 漂流物)

資料*3




大槌町役場

写真A-2 大槌町役場

大槌町役場では町長を含め33人が死者・行方不明者となった。津波の来襲時は役場にて町長以下約60人の職員が対策本部を設置すべく準備していた。津波接近の報を受け、屋上に駆け上がろうとしたが、全員が避難する前に津波に襲われた。津波は屋上までは達しなかった。
資料*4、*5より


玄関前には祭壇(献花台)が設けられている。




同 上

写真A-3 同 上

大槌町(浪板、吉里吉里、安渡、大槌、小槌、小枕)は明治三陸地震津波で900人、昭和三陸沖地震で61人の死者を出した。昭和のチリ地震津波では死者こそなかったが、流失全壊戸数80戸の被害が出た。大槌町は津波被害を繰り返し受けてきた町である。

資料*7 表316-1




大槌川沿いの大槌病院

写真A-4 大槌川沿いの大槌病院

2階の天井から1m下まで浸水して病院機能は失われたが、浸水前に入院患者(53名)を屋上へ避難させた。

津波が引いた後、周囲は瓦礫だらけで外に出ることもできなかった。電気・医薬品のない状況下で、3日間、病院で過ごした。

資料*6




(B) 大槌町赤浜 (2012年10月撮影)

赤浜の被災状況

写真B-1 赤浜の被災状況

正面の海は大槌湾で左側が湾口

津波溯上高=12.6m(住民の証言 大槌漁港民家)

資料*3

蓬莱島

大槌湾に浮かぶ蓬莱島

「ひょっこりひょうたん島」のモデルと言われる。蓬莱島の向かって右側に灯台があったが流された。




写真B-2

写真B-2 同 上

海は写真の右方向。

前方の白い2階建て建物(民宿)の屋上に津波により漂流した観光船が乗り上げ、そのままになる出来事が発生した。

乗り上げた船は、釜石市所属の観光船「はまゆり」(重量200トンで、モニュメントとして保存する意見もあったが、危険であることから平成23年5月10に撤去解体された。大槌町では軽量材で「はまゆり」を復元する事業が計画されている。




赤浜 破壊された防潮堤

写真B-3 赤浜 破壊された防潮堤

海側から防潮堤を望む。

背後の建物は東京大学大気海洋研究所(国際沿岸海洋研究センター)で、2階まで窓ガラスが破壊されている。




赤浜 防潮堤の昇降階段

写真B=4 赤浜 防潮堤の昇降階段

国際沿岸海洋研究センター前の防潮昇降階段。

水圧で手すりが大きく変形している。




(C) 大槌町安渡~新港町 (2012年10月撮影)

安渡 高台の残存集落

写真C-1 安渡 高台の残存集落

道路周辺の低地では宅地が被害を受け、建物の基礎しか残っていない。


安渡での津波溯上高=12.2m(山裾の市街地内の溯上痕)

資料*3




>新港町 防潮堤の破壊状況

写真C-2 新港町 防潮堤の破壊状況

防潮堤の外側から安渡方向を望む。


大槌湾では被災前の防潮堤の高さは6.4mであったが、14.5mの防潮堤が再建される計画が発表されている。

資料:8




転倒、破壊された防潮堤

写真C-3 転倒、破壊された防潮堤




コメント 犠牲者率について

犠牲者率は災害の激しさを示す指標であり、対象とする人数のうち何人が犠牲になったかで表される。例えば、航空機事故では乗員乗客全員が死亡する場合が多く、その場合は犠牲者率は1になる。一方、バス横転事故や列車脱線転覆事故の場合は全員が死亡する可能性は少なく、大事故であっても犠牲者率は0.1とか0.2程度以下ではないだろうか。このように、犠牲者率を指標とすれば、バス横転事故や列車脱線転覆事故より航空機事故の方が(事故の大小ではなく)激しい事故だと判断できる。なお、津波被害の場合は、市を対象とするか町村を対象とするかによって対象者が数万人から数十人程度の幅を持ち、対象範囲の広さも大きく異なる。対象人数が多くなればなるほど、また対象範囲が広くなるほど犠牲者率は平均的な値となる。このような問題はあるものの、死者行方不明者数のように規模の大きな市ほど多くなる傾向がキャンセルされ、市町村の規模に依らずに災害の激しさを相互に比較ができる。

本文および一連のページでは犠牲率(%)=(対象地域の死者行方不明者数/対象地域浸水内人口)×100と定義している。この犠牲者率(%)は100人当たりの犠牲者数であり、犠牲者数を%で表したものでもある。

犠牲者率(%)が10%を越える市町村としては、大きい順に宮城県女川町=11.2%、岩手県大槌町=10.7%、岩手県陸前高田市=10.7%、福島県浪江町=10.0%であり、ここ大槌町は宮城県女川町に次ぐ大きな犠牲者率(%)が発生している。犠牲者率(%)が大きくなる一般的な理由としては、予想してないような大きな津波が突然襲いかかり、逃げる暇なく津波に呑みこまれるような事態が想定される。大槌町では明治以来でも3度の津波*に遭遇しており、今回でも津波が来るだろうことは大方の人は予想できたと思われるが、新聞報道などによれば、町役場の対応は津波をあまり意識していなかったようにもみえる。防潮堤の高さは6.4mあり、過去の津波の経験から津波は防潮堤を越えないだろうという油断があったのだろうか。津波が防潮堤を越えても確認できないような街並みあるいは津波を確認してからでは避難が間に合わないような街並みであったのだろうか。大槌川を遡上する津波に対する対策に弱点はなかったのだろうか。防潮堤を越える津波の監視体制は十分だったのであろうか。避難場所は適した高台が指定されていたのだろうか。老人や身体的弱者を効率よく避難させるような体制とともに避難路や高台は整備されていたのだろうか。いろいろ対策を並べてみても対策だけでは十分ではなく、根本的には土地利用というところに行きつく。犠牲者率(%)の大きな市町村は土地利用にいくつもの問題があった可能性が大きい。

3度の津波* 大槌町大槌での明治以降の津波の波高は、明治三陸地震津波で2.7m、昭和三陸沖地震で3.9m、昭和のチリ地震津波で3.6mであり、いずれも高くない。

資料*7 表361-1

参考資料

*1 浸水範囲内人口 「総務省統計局 統計調査部地理情報室

*2 東北地方太平洋沖地震に係る人的被害・建物被害状況一覧 岩手県総務部総合防災室 平成24年7月18日 17:00時点

*3 東北太平洋沖地震津波合同調査グループ ttjt_survey_07_Aug_2012_tidecorrected.xls

*4 産経ニュース の大槌町町長、職員ら「津波の時は地震の対策会議中」 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110313/dst11031320580111-n1.htm

*5 YOMIURI ONLINE 大槌町にも12人…被災地、新たな一歩 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110401-OYT1T00530.htm

*6 わたしたちが災害時にできること 慶應義塾大学の医学部・薬学部・看護医療学部

岩手県立大槌病院~大震災を経験して~ http://keio-mss.com/sub/interview/article24.html

*7 宇佐美龍夫 新編 日本被害地震総覧 東京大学出版会 1996

*8 岩手日報・東日本大震災ニュース 新防潮堤は最大15.5M 県計画、震災の津波下回る http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/sh201109/sh1109271.html