写真A-1 陸前高田市中心部
4階以上の津波避難ビルとなるような高い建物がほとんどみられない。
津波は高田松原の松をなぎ倒して市街地に侵入した。
陸前高田市は犠牲者率が大きい。浸水範囲内では100人中11人近くが死者行方不明者となった。
写真A-2 高田市役所(3階一部4階建)
屋上には134人の市職員や市民が避難していた。3階の屋上も安全ではなくなり給水タンクや4階部分に移った。 津波により、市全職員の3分の1に近い113人が犠牲になった。
資料*6
写真A-3 市民会館
市役所向かいの市民会館は指定避難場所であった。70~80人の市民が避難したが、助かったのは十数人だけであったという。
資料*6
写真A-4 スーパーマーケット マイヤ高田店
地元スーパーマイヤは大船渡市と陸前高田市の6店舗のうち営業が可能な店舗は津波被害を免れた大船渡インター店だけであった。
大船渡インター店は全国の中堅・中小スーパーが加盟する協業組織のCGCグループから届く商品により、3月15日から本格的な店内販売を開始した。
資料*7
写真A-5 JAおおふなと高田支店
カーテンが風にたなびいているだけで人の気配はない。
写真A-6 4階まで被災した集合住宅
津波は最上階まで達している。高台に避難できたであろうか。あるいは、屋上さらには給水塔に避難できたであろうか。屋上へは容易に避難できるような構造であったのだろうか。
住宅内に留まっていれば、助からない状況には胸が痛む。
写真A-7 雇用促進住宅 陸前高田第二宿舎
写真の右側が海側で、海側の1号棟では5階建ての4階まで津波が押し寄せ、ベランダの目隠しパネルが4階まで全て損傷・脱落しているが、1号棟の影になる2号棟では多くが残っている。
屋上は利用できない形式のようであるが、屋上へは避難できただろうか。
高台への避難は津波の状況に応じてさらに高い場所へ2次避難できるが、建物ではそうはいかない。津波が屋上に迫っても逃げる場所がない。
写真A-8 JR陸前高田駅前
駅舎は基礎だけであり、ホームは大破している。
駅前は建物の基礎だけが残り、ガレキが山積みになっている。
写真B-1 高田松原
7万本のアカマツとクロマツよりなる砂防林があったが、奇跡の一本松あるいは希望の一本松と呼ばれる1本を除いて全てを津波で失った。
根元から1m少々の高さでへし折られたように破断している。
写真B-2 高田松原 散在する倒木
海岸には根がむき出しになり破断した木が散在している。
写真B-3 奇跡の一本松
遠目には生きているようにも見えても、実際には緑の松葉は付けておらず既に枯死していると言われている。
現在の一本松に人工的な処理を加え、モニュメントとして保存することが決まっている。
写真B-4 仮の防潮堤とホテル
キャピタルホテル1000
流されずに残った建物は放置されたままになっている。
写真B-5 高田松原 道の駅
道の駅(タピック45)
参考資料
*1 浸水範囲内人口 「総務省統計局 統計調査部地理情報室
*2 東北地方太平洋沖地震に係る人的被害・建物被害状況一覧 岩手県総務部総合防災室 平成24年7月18日 17:00時点
*3 「平成23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震」により各地で観測された震度等について(第3報) 気象庁 平成23年6月23日
*4 東北太平洋沖地震津波合同調査グループ ttjt_survey_07_Aug_2012_tidecorrected.xls
*5 宇佐美龍夫 新編 日本被害地震総覧 東京大学出版会 1996
*6 河北新報社 証言/市役所屋上、命のとりで/陸前高田・避難所で多数の犠牲者 http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20111123_01.htm より
*7 再び、立ち上がる! 河北新報社、東日本大震災の記録 河北新報社編集局 2012