東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)

岩手県下閉伊郡山田町

下閉伊郡山田町位置図

山田町の基本的データ

  • 人口18,617人(H22国勢調査)
  • 浸水範囲内人口11,418人 *1
  • 死者604人 (H24年7月18日時点)*2
  • 行方不明者152人 (同上)*2
  • 家屋全壊+半壊3,167棟 (同上)*2
  • 山田漁港における津波溯上高=9.8m(浸水痕と漂流物) *3
  • 震度5弱(山田町八幡町) *4



(A)  山田町中心部 JR山田駅周辺および山田港(2012年7月撮影)

駅前通りの状況

写真A-1 駅前通の状況

海岸方向からJR山田駅方向を望む。町の中心地であったが、現在は放棄されたような状態にある。復興計画が決まらないと何も進まない。

明治の三陸地震津波では3,746人中1,000人が死亡、782戸中660家屋が流出した。昭和の三陸沖地震では3,162人中8人が死亡、591戸中266家屋が流失倒潰した。

資料*5の表361-3




JR山田駅の駅舎跡とプラットホーム

写真A-2 JR山田駅の駅舎跡とプラットホーム

海岸沿いや低地を通過するJR山田線では駅舎だけでなく、プラットホームまで破壊された駅が多い。隣の織笠駅も同様である。




JR山田駅北側の市街地の状況

写真A-3 JR山田駅北側の市街地の状況

左の写真:遠景の高架橋は三陸自動車道で海岸と反対方向を望む。

下の写真:海岸方向を望む。

海岸方向を望む



写真A-4 破損・転覆船舶か

写真A-4 山田港内 破損・転覆船舶か




山田港より望む山田湾口

写真A-5 山田港岸壁より山田湾口方向を望む

昭和8年の三陸沖地震で266戸が流失した

護岸工事と防波堤で対応するものし、現地復興とした。ただし、10戸程度が山腹に分散移動している。

資料*6




(B) 山田町織笠地区 (2012年7月撮影)

JR織笠駅周辺

写真B-1 JR織笠駅周辺

JR山田線の盛土が一部を残して崩壊している。

山田町織笠における津波浸水高=9.0m、溯上高=13.6m(資料*3)などがある。




JR織笠駅

写真B-2 JR織笠駅

織笠地区の低地をJR山田線が盛土で通過している。

この低地にあったホーム、駅舎、線路、橋梁などの全ての構造物が壊滅している。




JR織笠駅のホーム

写真B-3 JR織笠駅のホーム

線路部の盛土が崩壊している。線路は写真の白線の左側にあった。

高架橋は三陸自動車道。




コメント 高台移転と住民の同意

三陸沿岸は明治三陸地震津波と昭和三陸沖地震で大被害を受け、その度に津波による破壊と再生が繰り返されている。この繰り返しを根本的に断ち切るには高台移転が有効であると考えられ、これまでも一部の集落で分散移動や集団移動が行われている。山田町でも同様であり、限定的には明治と昭和の津波後に高台移転が実施されているが、住民のほとんどは漁業関係者であることから、昭和の津波後も中心地区はその場所で復興し、防潮堤で対応することが選択されている。今回の災害でも山田町の基本的な考え方は似ており、明治三陸地震の津波に耐えられるような防潮堤に整備することに加え、地盤を嵩上げして被災前とほぼ同じ位置に中心街を配置する案あるいは市街地を山側に移転し丘陵部を造成して住宅地とする案が検討されている。

現在は大型土木機械が発達しており、地盤の嵩上げや造成も難しいことではないが、その規模が大ききなればなるほど、整備事業の長期化と低地の「非居住区域」の設定が広がることになり、一部の地域住民の反対によって全体の計画が難しくなる。非居住区域は、高台移転地から低地に戻り再び被災するようなことがないように津波の危険の著しい区域を条例で設定し、住宅などの建設を制限するものであるので、不平等にならないように対象地区の住民の全員が移転に同意することが望まれている。

高台移転は国の防災集団移転促進事業により、用地取得や造成などの経費の3/4が国から補助を受けられるが、今回の震災では特例で、全額国が負担することになっている。その前提として、市町村には移転先の用地確保とともに、移転促進区域内の住民の意向を尊重しつつ移転促進区域内にあるすべての住居が移転できるように配慮することが求められている。

「東日本大震災2年」の新聞報道(読売新聞の調査2013年3月12日付)によると、防災集団移転促進事業を活用して集団移転を計画しているのは25市町村であり、回答が得られた21市町村のうち、14市町新では予定の全面積を確保できる見通しが立ったが、残りの7市町では意見が集約できないという。被災した小中学校の再建も同様であり、被災3県で津波で全壊した学校が立て直された例は被災から2年が経過してもまだないという。造成が始まるまでには移転先の用地取得や対象区域の住民の合意など、多くの問題を乗り越えなければならない。合意の難しさの一端は老朽化したマンションの建て替えの難しさからも想像できる。

明治22年に地方行政組織の再編成を始めとし、今日に至るまで市町村合併による行政組織の大型・広域化の一途を辿ってきた。これに伴い、集落、地区に対する執着や「わが街」という意識も薄らぎ、集落や地区の総意をもとに意見をまとめ上げていく行政としての力は極端に弱くなってきていると思われる。防災も復興もその時代の社会のありようと大きく関係している。

参考資料

*1 浸水範囲内人口 「総務省統計局 統計調査部地理情報室

*2 東北地方太平洋沖地震に係る人的被害・建物被害状況一覧 岩手県総務部総合防災室 平成24年7月18日 17:00時点

*3 東北太平洋沖地震津波合同調査グループ ttjt_survey_07_Aug_2012_tidecorrected.xls

*4 「平成23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震」により各地で観測された震度等について(第3報) 気象庁 平成23年6月23日

*5 宇佐美龍夫 新編 日本被害地震総覧 東京大学出版会 1996

*6 田中館秀三他 三陸地方に於ける津浪に依る聚落移動 地理と経済1巻3号 302-311 1936