東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)

宮城県気仙沼市

宮城県気仙沼市の位置図

気仙沼市の基本的データ

  • 人口73,489人(H22国勢調査)
  • 浸水範囲内人口40,331人 *1
  • 死者1,105人 (H24年7月18日時点)*2
  • 行方不明者260人 (同上)*2
  • 家屋全壊+半壊11,051棟 (同上)*2
  • 震度6弱(気仙沼市赤岩) *3



(A)  気仙沼市 市街地 (2012年6~7月撮影)

水路対岸の被災状況

写真A-1 水路対岸の被災状況

赤岩地区より水路(松川)対岸の川口町を望む。

鉄骨造の水産加工工場と思われる建物が被災当時のままに残っている。




朝日町、川口町付近

写真A-2 朝日町、川口町付近

遠景に県の合同庁舎(左)と国の合同庁舎(修理中?)が見える。両建物とも5階建てである。




宮城県気仙沼合同庁舎遠景

写真A-3 宮城県気仙沼合同庁舎遠景

地震直後、県庁舎には職員や近くの住民など約290人が、国の庁舎には約90人が避難した。 国の合同庁舎には海上保安庁と海事事務所が入っていたため、無線が使用でき非常食もあり、波を被った人には海難者用の着替えもあった。一方、県の合同庁舎では備蓄などはほとんどないため、12日午後から13日朝にかけて約200人が脱出した。膝元まで水に漬かりながらがれきの中を歩き続けたという。高齢者などは両庁舎に留まり、自衛隊などのヘリコプターによる救出を待った。住民が救助されたのは地震から2日後の13日だった。

資料*6




宮城県気仙沼合同庁舎

写真A-4 宮城県気仙沼合同庁舎

津波避難ビルの表示がある。2階と3階の間の壁には「津波浸水深ここまで」の表示が見える。




写真 汐見町、辨天町付近

写真A-5 潮見町、弁天町付近

地盤沈下により、排水が十分でなく水溜りが多い。

仮設道路は盛土で嵩上げされている。




写真 同上

写真A-6 同 上

鉄筋コンクリート造の建物の解体作業が進められている。


写真 コンクリート建物の解体作業



写真 同上

写真A-7 同 上

正面のビルはホテル一景閣で、平成24年5月より営業を再開している。

気仙沼市内においてもホテル・旅館は長期滞在の工事関係者で占められており、空室は珍しい。一関市など、内陸部の旅館から通う場合が多い。

都市部のホテルや旅館は需要が後押しするため、他の業種に先駆けて再建されるものと思われる。ここ数年間は復興に伴う工事関係者の需要が続く。




コメント 避難ビル

津波避難ビルに指定されている宮城県気仙沼合同庁舎には職員や近くの住民など約290人が避難した。食料などの備蓄がないため、翌日から200人が脱出することになったが、津波避難ビルとしての役目は十分果たした。

津波避難ビルは、避難困難地域内の一時避難・退避といった避難行動を行うための人工構造物施設であり、先ずは津波から逃れるための施設である。海沿いにある集合住宅、ホテル、公共施設などの既存の建物が対象となるが、市町村が建物の管理者と協定を結ぶことによって指定される。

鉄筋コンクリート建物は津波に抵抗して残存することが確かめられているが、津波で4階まで被災した例や津波が3階建ての建物を越えた例も多い。過去の津波高より高い津波が襲来すれば、高さの余裕のない建物に避難すると命は保障されない。津波避難場所が被災した例のごとくであり、津波避難ビルの余裕高のような情報も重要になる。避難場所は高台が基本であり、高台であれば、津波の状況によってさらに高所に2次避難することができるし、孤立を免れる利点がある。

避難は高台が基本であるといっても、風雪や降雨の激しい夜間のような苛刻な条件の場合には厳しい。高さのある既存のコンクリート建物を積極的に活用してほしい。

(B) 気仙沼港周辺  (2012年7月撮影)

写真 魚(さかな)町・南町海岸周辺

写真B-1 魚(さかな)町・南町海岸周辺

エースポート

コンクリートの支柱は大型船の桟橋であろうか。




写真 大島汽船「ドリーム大島」

写真B-2 同 上

大島汽船「ドリーム大島」

気仙沼港と気仙沼湾の大島の間に就航している。


写真 浮き桟橋

被災した浮桟橋




写真 海岸に近い魚町周辺

写真B-3 海岸に近い魚町周辺

一段高い場所に建つ建物は気仙沼女子高等学校。




写真 第十八共徳丸

写真B-4 第十八共徳丸

中みなと町

第十八共徳丸は津波に押し流されてJR鹿折唐桑(ししおりからくわ)駅前に漂着した。

全長約60m、総トン数約330トンの巻き網漁船。

震災時は定期検査のため気仙沼港に寄港していた。

資料*7




写真 同上

写真B-5 同 上

JR鹿折唐桑駅ホームより第十八共徳丸を望む。




気仙沼市浜町

写真B-6 気仙沼市浜町

海岸側から第十八共徳丸を遠望する。

気仙沼市浜町の津波浸水高=6.9m(家屋WM,ヤヨイ食品気仙沼工場第三棟北壁における壁面の泥の痕跡)

資料*4




写真 介護老人保健施設

写真B-7 錦町の介護老人保健施設「リバーサイド春圃」

震災当日、入所者100人、通いの利用者33人がいた。平均年齢は83歳程度で、大半は車いすを利用していた。

津波は避難していた2階に押し寄せ、間もなく一帯は大火災に見舞われた。

リバーサイド春圃は延焼を免れ、翌朝鹿折(ししおり)中の体育館に避難した。

津波で47人が死亡し、体育館に避難後も寒さなどによる体力の消耗で相次いで12人が死亡した。最終的には計59人の犠牲者を出した。

資料*8




(C) 岩井崎 (2012年7月撮影)

写真 海岸の道路に沿って立つ建物

写真C-1 海岸の道路に沿って立つ建物

丸屋根の3階部の窓ガラスは破壊されていない。




写真 気仙沼向洋高等学校

写真C-2 気仙沼向洋高等学校

地震発生時には170人の学生が学校に残り、50人が帰宅していた。

一部の職員と学生は避難先である高台のお寺に一旦移動し、さらに高台を目指して2次避難した。

校舎に残った教職員は重要書類などを3階に運搬したが、さらに4階まで移動させた。最後には屋上へ避難した。津波は4階の1m程度上まで達した。
資料*9




(D) 本吉町 (2012年7月撮影)

写真 本吉町泉付近

写真D-1 本吉町泉付近

遠景はJR気仙沼線の高架橋。




写真D-2 JR気仙沼線の被災状況

写真D-2 同 上

JR気仙沼線の被災状況

高架橋の下をくぐるのが国道45号線。




写真 JR小泉駅 駅前

写真D-3 JR小泉駅 駅前

駅もホームも原形をとどめていない。

写真の左側を通過する道路は国道45号線で、前方が気仙沼方向。




参考資料

*1 浸水範囲内人口 「総務省統計局 統計調査部地理情報室

*2 宮城県 「東日本大震災における被害等状況」平成24年6月30日現在 宮城県

*3 「平成23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震」により各地で観測された震度等について(第3報) 気象庁 平成23年6月23日

*4 東北太平洋沖地震津波合同調査グループ ttjt_survey_07_Aug_2012_tidecorrected.xls

*5 宇佐美龍夫 新編 日本被害地震総覧 東京大学出版会 1996

*6 河北新報社 証言/避難者孤立 気仙沼の2合庁/乏しい備蓄 避難者困窮 http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110829_01.htm

*7 国土交通省 震災の教訓として活用できる構造物等調査

*8 再び、立ち上がる! 河北新報社、東日本大震災の記録 河北新報社編集局 2012

*9 3.11の震災直後の動向(気仙沼向洋高等学校 小野寺文男教諭)http://www.pref.miyagi.jp/kyouiku/new/kenritu/school/kouyou.pdf