東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)

宮城県牡鹿郡女川町(おしかぐんおながわちょう)

宮城県牡鹿郡女川町の位置図

女川町の基本的データ

  • 人口10,051人(H22国勢調査)
  • 浸水範囲内人口8,048人 *1
  • 死者577人 (H24年6月30日現在)*2
  • 行方不明者327人 (同上)*2
  • 家屋全壊+半壊2,923棟 (同上)*2
  • 犠牲者率(%)=死者行方不明者/浸水範囲内人口×100=11.5



女川港、女川町中心部 (2012年8月および9月撮影)

写真1 女川漁港

写真1 女川漁港

高台の女川町立病院駐車場より女川漁港、女川湾を望む。

病院およびその駐車場は港に突き出た形状の造成地にある。この高台が背丈を越える高さまで浸水したことを想像することはたやすいことではない。

女川町は犠牲者率が最大であった。浸水範囲内では100人中の約11人が死者行方不明者となった。


平成24年12月10日には災害危険区域が指定され、住宅が建てられないなどの土地利用に制限が設けられた。復興計画では高台移転が計画されている。

資料*8




写真 旧市街地の状況

写真2 旧市街地の状況

市街地のあった場所であるが、敷地境界を示すもの以外は全て撤去されている。港湾施設の復旧のため、ダンプなどの工事関係車両が行き交う。




写真2 倒壊した女川交番

写真3 倒壊した女川交番

建物が横倒しになり、基礎が剥き出しになっている。 鉄筋コンクリート建物のほとんどは津波の圧力に耐えたが、女川町では倒壊した建物が目立った。 津波の衝撃的な圧力や洗掘の他に地震動による地盤の液状化が影響しているともいわれている。




写真4 倒壊した建物 女川サプリメント

写真4 倒壊した建物 健康食品販売会社の女川サプリメント

女川町では 津波で倒壊した「女川サプリメント」、「 女川交番」、「 江島共済会館」の3棟のビルを災害遺構の候補としていたが、住民の声や一帯を嵩上げする計画のためにそのままは残しにくいとされている。

資料*9,*10




写真 倒壊した江島共済会館

写真5 倒壊した江島共済会館

写真 同 上

写真6 同 上




写真 女川町立病院

写真7 女川町立病院

特定利用斜面保全事業として崖崩れ・地すべり危険箇所を削り造成された高台に女川町立病院がある。津波避難場所に指定されていたが、病院1階の天井付近まで浸水した。

資料*6

病院の浸水高=18.8m(浸水痕と避難者の目撃証言)

資料*4




写真 女川町地域医療センター(旧女川町立病院)

写真8 女川町地域医療センター(旧女川町立病院)

救急入口と表示されている。

女川町立病院は災害後に介護施設と一体化して「女川町地域医療センター」と改称された。


災害時の避難所に指定されていたため、病院職員約70人も含めて約700人が病院に避難していた。

1階が津波で破壊され、4名が死亡し、医療機器やカルテ、薬品等が流された。医療活動は継続された。

資料*7




コメント 津波に強い鉄筋コンクリート(RC)造の建物

市街地を離れ、国道を海岸に沿って移動すると、鉄筋コンクリート(RC)造の建物が目に入る。これらは小学校の校舎である場合が多い。一般に、RC造の建物は津波の後も残存しており、建物内部や窓枠などは破壊されていても躯体部は無被害である場合がほとんどである。破壊された木造建築物が撤去されて基礎だけになっている中ではRC造りの小学校の校舎が数が多いがゆえに必然的に目立つことになる。

女川町ではRC造の建物が複数棟転倒しているが、珍しいケースといえる。国土交通省などの調査(資料*11)によると、転倒した建物は4階までの建物で最大浸水深が建物の高さを上回っているという。多くのRC造の建物を調査した結果、4階以上の建物は津波に抵抗して残存することが確かめられており、津波の浸水高より高いビルに避難すれば命だけは助かることになる。今回の津波では4階まで破壊されるケースが多々あり、5階以上のより高いビルに避難することが望ましい。一方、RC造の建物が残存することは確かめられたが、その後も多くのRC造の建物は放置されたままであり、順次解体の運命にある。建物の躯体は無被害でも、上下水道、動力・照明、通信などの配管や配線が障害あるいは破損して、建物としての機能を復旧することが困難なためと思われる。また、小学校の校舎の解体は津波に対する安全性や精神的影響への危惧、あるいは人口と児童減少による統廃合の流れなどと関係しているのであろう。

RC造の建物の解体と再建は、多大な労力(資金)と時間が必要であり、復旧・復興の大きな障害になる。解体せざるを得ないRC造建物がこれで津波に強かったといえるであろうか。復旧と復興初期は使用できる建物が少ない時期である。このような重要な時期に小規模の工事で津波を免れた階以上が使用できるようにならないものであろうか。設計段階から階ごとに外部と接続できるような配管や配電方式が取れないものであろうか。

復興の過程で取り壊されるにしても、被災後に業務が継続できるかできないかの違いは大きい。特に病院などのような施設では1階だけが被災しても全施設が使用できなくなるような災害に弱い使用方法は避けてもらいたい。(女川町の町立病院は津波で1階が被災したが業務が継続された。災害時における病院の果たす役割は大きい。)

災害とは関係なくともマンションなどの寿命は水回りの耐用年数に規制されるという。耐用性のある密閉部と交換可能な解放部とを分けるような方法はないものだろうか。

参考資料

*1 浸水範囲内人口 「総務省統計局 統計調査部地理情報室

*2 宮城県 「東日本大震災における被害等状況」平成24年6月30日現在 宮城県

*3 「平成23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震」により各地で観測された震度等について(第3報) 気象庁 平成23年6月23日

*4 東北太平洋沖地震津波合同調査グループ ttjt_survey_07_Aug_2012_tidecorrected.xls

*5 宇佐美龍夫 新編 日本被害地震総覧 東京大学出版会 1996

*6 中野晋 教育機関の被災と防災管理のあり方 2012年6月 東日本大震災被害調査報告会資料

*7 わたしたちが災害時にできること 慶應義塾大学の医学部・薬学部・看護医療学部 女川町地域医療センター(旧女川町立病院) 齋藤充先生 http://keio-mss.com/sub/interview/article15.html

*8 危険区域の指定 女川町HP復興計画ページ http://www.town.onagawa.miyagi.jp/hukkou/kikenkuiki.html

*9 復興方針修正版 ■復興方針の基本的な考え方  女川町 http://www.town.onagawa.miyagi.jp/hukkou/pdf/iinkai/04_meeting/04_meeting_appendix2.pdf

*10 焦点/震災遺構 残すか否か/自治体板挟みに 河北新報ニュース 2012年05月18日 http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20120518_01.htm

*11 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震被害調査報告 「第6章 建築物の津波被害を踏まえた検討」 国土技術政策総合研究所・建築研究所 2012