写真1 山下第二小学校
写真2 同 上
児童全員は無事に避難することができたが、ここでも危ういような避難状況になった。
地震後、児童202人の内、135人を保護者に引き渡した。児童の引き渡しとその確認などに避難前の貴重な時間をとられていたが、このようなことはやっていられない状況にあることに気づいて避難を始めたという。
周辺に避難できるような高台や高い建物はなく、避難先は約3キロ先の町役場である。
残りの67人の児童と教職員17名は徒歩および教職員の車を利用して避難を開始した。避難途中、保護者の車やタクシーなどの協力を得ながら、学校を出発した徒歩組を順次拾うというピストン輸送方式でもって町役場まで送り届けた。
資料*6,*7
車の手配や依頼などに手間取っていれば避難が遅れただろうに、徒歩で避難を開始したことが幸いしている。
地震の揺れによるのか、屋根瓦が剥離している。
1階が浸水し、所々1階の窓ガラスが破損しているが、津波によると思われる大きな被害は明瞭ではない。津波の波高や勢いは一様ではない。偶然、津波の勢いが弱かったのかも知れない。
写真3 同 上
校門の一部が転倒している。写真の左が校舎で後方約300mが海。
前方が避難先の役場方向。平坦地が続き、高台までは遠い。
海に近い山下第二小学校では無事に避難したのに対して、JR山下駅に近い位置にある市立ふじ幼稚園では、園庭に止まっていたバス2台が津波に襲われ、園児8人と職員1人が死亡している。
資料*8
写真4 山元町笠野付近
直線的な海岸線に沿って低地が広がっている。道路は宮城県道38号(相馬亘理線)で道路の左側が海岸方向。道路右側にはJR常磐線が走る。
山元町では国道6号線(陸前浜街道)の東側の低地が浸水した。
付近に高台や避難できるような高い建物はない。
写真の位置に近い山元町高瀬笠野41では建物の浸水痕跡から、浸水高さ=6.656mという数値が得られている。
資料*4
写真5 JR常磐線山下駅
山下駅は閉鎖されている。常磐線は山元町の全範囲で浸水した。
JR常磐線を陸側に移動させることが計画されており、山下駅は新山下駅として復興することになる。
参考資料
*1 浸水範囲内人口 「総務省統計局 統計調査部地理情報室
*2 宮城県 「東日本大震災における被害等状況」平成24年6月30日現在 宮城県
*3 「平成23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震」により各地で観測された震度等について(第3報) 気象庁 平成23年6月23日
*4 東北太平洋沖地震津波合同調査グループ ttjt_survey_07_Aug_2012_tidecorrected.xls
*5 宇佐美龍夫 新編 日本被害地震総覧 東京大学出版会 1996
*6 中野晋 教育機関の被災と防災管理のあり方 2012年6月 東日本大震災被害調査報告会資料
*7 証言3・11:東日本大震災 宮城・山元の2小学校、素早い判断児童救う 毎日新聞 2011年04月26日 東京朝刊 http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20110426ddm041040099000c.html他
*8 再び、立ち上がる! 河北新報社、東日本大震災の記録 河北新報社編集局 2012