被害状況

死者・行方不明者数比率

図1 府県別人的被害の割合
東京府の人的被害が全体の75%を占める。

100人当りの死亡者・行方不明者数

図2 100人当りの被害者数(人口比率)の比較

(死者・行方不明者数は「新編日本被害地震総覧 1987」、震災時の人口は「関東大震災誌・神奈川編 1988」の人数を使用しています。)

関東大地震では、図1の円グラフに示すように、死者・行方不明者の75%が東京府で、23%が神奈川県であり、残りの2%が千葉県、静岡県、埼玉県、山梨県、茨城県です。当時、東京府と神奈川県で市であったのは、東京府の東京市と八王子市、神奈川県の横浜市と横須賀市の4市だけであり、その内、東京市、横浜市、横須賀市の各市が猛火に襲われ、大都市の火災がこの震災の大きな特徴です。

関東大震災の被害の大半が東京府であったこと(図 1参照)、被服廠跡の惨事ような関東大震災を象徴するような出来事が東京市(本所)で発生していることから、関東大震災の被害は東京と思われていますが、図 2の棒グラフに示すように100人当りの被害者数(人口比率)では、東京府と神奈川県は同程度であり、被害は東京だけでなく周辺の都市を中心として広範囲に及びました。また、小田原、平塚など相模湾沿岸、および房総半島南部の方が東京よりはるかに激しい地震動を被っており、方々で壊滅的な被害(小田原市、伊勢原市、厚木市、平塚市などの一部では倒潰率が80%以上)が発生しました。

小田原の南西、根府川では山津波が発生し、根府川の部落123戸の内埋没戸数64戸、死者406名を出し、更に、地すべりでは根府川駅(現東海道本線)に停車していた列車や鉄道官舎もろとも海中に押し流し、約200名の犠牲者を出しています*1,*2,*3。関東沿岸は津波に襲われ、波高は静岡県の熱海で12m、房総半島の相浜で9.3mでした。これらの土砂災害や津波災害は都市部での火災による被害があまりにも大きかったために、あまり注目を集めることはありませんでした。

*1 西坂勝人 神奈川県下の大震火災と警察 1926

*2 井上公夫 「関東大地震と土砂災害」 砂防と治水 28巻2号 1995

*3 高村直助他 「神奈川県の百年」 山川出版社 1984