火災の拡大

関東大地震は火災によって、未曾有の震災に発展したという特徴があり、死者・行方不明者10万5千人余りの中で、建物の倒壊だけいによる圧死者は7,500人程度あるいは火災がなかったら1万3千人程度(武村雅之 関東大震災 鹿島出版会 2003)ともいわれています。

表1は各警察署で検死した焼死者の100名以上であった場所を示しています(中村清二 大地震ニヨル東京火災調査報告 震災予防調査会報告)。焼死者の多い場所は広場や橋の袂であり、より安全な場所として避難した避難先や火に追われた人々が集まった場所が火災旋風に襲われたり火に囲まれて脱出できなかったりした場所であることを示しています。

表1 関東大地震のとき東京下町の各警察署で検死した焼死者数
(中村清二「震災予防調査会報告」1925)
番号 場所 焼死者数 所轄警察署
本所区被服廠跡 44,030 相生署
浅草区田中小学校敷地内 1,081 日本堤署
本所区太平町1丁目46番地先横川橋北詰 773 太平署
本所区錦糸町駅 630 太平署
浅草区吉原公園 490 日本堤署
深川区東森下町109番地先 237 西平野署
深川区伊予橋際 209 扇橋署
本所区枕橋際 157 向島署
本所区緑町3丁目1番地竪川河岸 125 相生署
10 深川区東大工町566番地丈六原 113 扇橋署
11 神田区神田駅 108 錦町署
東京都慰霊堂

横網公園の東京都慰霊堂(東京都墨田区、旧被服廠跡)

表1の1番目

関東大震災の遭難死者に加え東京大空襲(昭和20年3月10日)などによる殉難者の身元不明の遺骨も併せて、162,600体の遺骨が安置されています。

関東大震災追悼碑

追悼碑(東京都墨田区横川1丁目、横川橋の袂)

表1の3番目

横川橋付近でも3,600人余りの人々が焼死しました。(建碑趣旨文より)

新吉原花園池追悼記念碑

新吉原花園池(弁天池)跡 追悼記念碑(東京都台東区千束、吉原弁財天)

表1の5番目

弁天祠附近の築山に建つ大きな観音像は、溺死した人々の供養のために大正15年に造立されたものです。

中村清二 大地震ニヨル東京火災調査報告

関東大震災の東京での火災に関する調査結果は 「大地震ニヨル東京火災調査報告」として震災予防調査会報告にまとめられています。この報告書によると、火災の延焼状況を火陣・火流という概念で捉え、ある時間ごとの火災動態地図を作図することによって旧東京市の延焼拡大状況が再現されています。このページの最初に示した旧東京市の焼失地域図(アニメイション)は火災動態地図を基にしています。

火元別比率(円グラフ)

火元別比率(円グラフ)

東京市内で火が延焼・拡大した火元(起災火元)は76箇所であるのに対し、消し止められた火元(消止火元)は53箇所が挙げられています。全体の火元の約60%が合流併合しながら延焼したことになり、その延焼した火系は58系に分けられることが示されています。表1に示すような箇所は、上記のような延焼過程で、火に包囲される現象が生じたものであり、脱出できずに多数の人が焼死しました。

本所被服廠跡(現在の墨田区横網町公園)には約4万人の市民が避難しましたが、火災旋風が発生し、約3万8千人の人が焼死または窒息死しました。この惨事は関東大地震を象徴する出来事であり、この地には慰霊堂と納骨堂が建立され、東京都の公園になっています。

また、火に追われた人々は橋梁の焼失や破損によってますます逃げ場を失い、多くの人が水の中で溺死しました。江東区史(中巻 平成九年)によると、油堀河岸で溺死417人、永代橋下で溺死334人、伊予橋下で溺死140人、小名木川大富橋附近溺死132人と続きます。

火災の調査を担当した中村清二は、大地震ニヨル東京火災調査報告(震災予防調査会報告)の中で、防火に対して次のような感想を述べています。

『東京市ノ大部分ヲ焦土ニシタ彼猛火ノ中ニ、尚上記*1ノ如キ焼残リガ点々存在スルノヲ見、又一方消防ニ勤メタ所デハ多ク其効ヲ奏シテ居ルノヲ見ルト、吾人ハ人ノ力ノ偉大ナルニ驚カザルヲ得無イ。之カラ考エルト今度ノ大火ハ多数ノ人達ガ自己ノ安全ヲ先ニシテ市民トシテ共同一致シテ働作スルコトヲ怠リ人力ノ偉大ナ効果十分ニ発揮シ得無カッタカラデアルト断ジテモ過言デハ有ルマイ。子孫ニ対シテ恥ズベキ一大恨事デアル。江戸ノ先代ノ住民ハ明暦ノ大火*2ニ鑑ミテ京橋、日本橋ノ中程ニ中橋広小路ト云ウ防火用ノ広場ヲ新設シタ。愚ナル子孫ハ之ヲ無益ナル土地ノ使用法ト盲断シテ之ヲ廃シ、民家ヲ以テ之ヲ充タシ、今ハ唯其地名ヲ存ズル計リデ其実ガ無イ。』


そして、調査から導き出された結論として、次のような項目が列挙されています。(編者による現代語訳)
  1. 地震より火災のほうが恐ろしい。地震そのものを小さくすることはできないが、地震が襲ってきたときの災害を小さくするように準備することはできる。
  2. 火災が災害にならないようにすることができる。もし、火災が災害となってもその災害を小さくする方法がある。
  3. 生命財産の損失は地震の方がはるかに小さい。
  4. 地震はまれに発生し、火災は頻繁に起こる。
  5. 地震による火災を防止するためには、
    1. 発火しやすい薬品の取り締まり、
    2. 地盤の悪い地点での建築方法の取り締まり
    が必要である。
  6. 耐震で耐火建築物であることが望ましい。
  7. 建物が高くかつ大きくなるほど耐火耐震に関するレベルを高める必要がある。
  8. 地震を恐れて消火活動を放棄することのないような訓練が必要であろう。
  9. 消火方法は一種類に限ることなく、数多くの方法を準備しておく。甲の方法が失敗すれば乙の方法、乙の方法が無効であれば、丙の方法というように複数の方法を準備しておくことが必要である。
  10. 道路の舗装や橋梁は必ず不燃質であることが必要である。
  11. 広場を設ける場合は十分な消火設備を備えるべきである。
  12. 広場よりも幅の広く延長の長い道路の方が有効と思われる。
  13. 避難者が道路や橋梁上に荷物を置いて交通を妨害することは許されないことであり、法律として取り締まるべきである。
  14. 以上の項目が有効になるためには教育をおろそかにしてはいけない。区画整理などの公共事業に理解がないのはこの種の教育がないためである。

*1 神田和泉町佐久間町を始めとする140箇所の焼け残りを指す。

*2 天下大変 -資料に見る江戸時代の災害- 国立公文書館 2003 明暦の大火:明暦三年(1657年)の江戸の大火で、死者10万人以上といわれています。