2004/8作成

関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 鎌倉市 KK-04

鎌倉市 --- 和田塚の大震災殃死者供養碑 ---

  • 所在地:鎌倉市由比ガ浜二丁目
  • 碑銘:大震災殃死者供養碑
  • 交通:江ノ島電鉄「和田塚」より徒歩約1分(行程80m)
  • 「和田一族戦没地」の碑および「和田義盛一族」の墓がある。
和田塚

写真1

大震災殃死者供養碑(左手前)と和田一族戦没地の碑(右奥)

大震災殃死者供養碑

写真2 大震災殃死者供養碑

撮影:2004/7

当時の鎌倉町では412人が死亡しました。13の字のうちで死亡者が最も多かったのは長谷の92人で、次いで由比ヶ浜の74人でした。

戸数662戸、内全潰176戸半潰192戸全焼105戸で、死亡者は74名重傷者は153名の多きに達した。

当区は本町の中でも比較的新しく発展した土地であるから、建物も従って新しく、且つ近代的粗造の建物が多く、広大にして華偖(華奢または華侈?)なるいわゆる別荘建築も少なくなかった。加うるに地質が砂層かあるいは埋立地であったために、一層震動が強く感じたので、その被害も極めて激甚であった。すなわち六地蔵以西長谷境までの県道沿いおよび笹目通りの一部を除いては、ことごとく全潰全焼の惨状を呈したのである。

(中略)

老婆と子供一人建物中の下敷きとなり救助を求める声明瞭にききとることができたが、いかんせん火元に接していることゆえ救い出すこと能わず、まのあたりに人生最後の悲鳴を聞きつつ焼死のやむなきに至ったということであるが、実に悲惨極まる一場面であった。

(鎌倉震災誌 鎌倉町役場編 1930年 由比ヶ浜の項より
旧字体や旧かな使いを変更し、一部の漢字をひらかなあるいはアラビア数字に直しています。カッコ内は追記)




碑文表

供養碑 正面

碑文裏

供養碑 背面