関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 厚木市 AK-01
写真1 「あゝ九月一日」の碑
写真2
「震災倒潰記念」の碑と石鳥居
撮影:2003/2
写真正面の石碑が「あゝ九月一日」の碑で、左側奥に見える石碑が厚木市指定史跡の烏山藩厚木役所跡の碑です。
「あゝ九月一日」碑の裏面には次のような碑文が刻まれています。
大正十二年九月一日午前十一時五十八分激震あり 火各処に起こり余震間断なし 千八戸のうち全潰五百四十九戸 半潰二百八戸 焼失二百五十一戸に上がり 殃死二十八名 負傷六十四名を数ふ 茲に一周年に方り死者の霊を弔ひ碑を建て 其災害を記念す
大正十三年九月 厚木町有志
「あゝ九月一日」の碑の由来
この記念碑の題文は町内より募集したものの内より選ばれたもので、厚木町天王町清水弘之の作、碑ははじめ厚木町役場の東側に建立されて居たが、現在地*1にその後、移されたものである。又この碑の側に厚木神社の倒潰した石鳥居が保存され、「震災倒潰記念」と刻まれている。
(厚木市文化財調査報告書第拾弐集(昭和四十五年)
*1 石碑の現在の位置は上記文献中の”現在地”から15m程度移動しています。)
写真2は「震災倒潰記念」と刻まれた石柱と石鳥居です。上記資料の調査時点においては、「あゝ九月一日」の碑もこの場所に隣接してあったようです。
厚木町の状況
・・・ 厚木町は戸数一千十九戸の内、全潰五百五、半潰二百七十を出したのに加へて、猛火のため目貫の場所二百四十余戸を焼き、死者二十七、傷者百七十を生じ、同町はほとんど全滅の惨状を呈した。・・・中略・・・全長百三十五間の相模橋は、高座郡海老名村寄りの南端三十五間(木造)墜落し、更に九月十五日の豪雨に依る増水で、厚木町寄りの北端四十間(木造)も墜落し、中央の一部(鉄製)残存して河中に兀立(ごつりつ)するの奇観を呈した。・・・
(西坂勝人 神奈川県下の大震災と警察 1926)