作成:2016/5

関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 秦野市 HN-08

秦野市今泉 --- 太岳院の本堂再建寄付単(名簿)碑 ---

  • 所在地:神奈川県秦野市今泉391 太岳院(たいがくいん)境内
  • 震災当時は中郡南秦野村
  • 対象物:太岳院の本堂再建寄付単(名簿)碑
  • 碑銘:本堂再建寄附単
  • 形態:石板
  • 建立年月日:昭和4年12月吉日
  • 交通:小田急小田原線「秦野」駅より徒歩5~6分(行程360m)
写真1 太岳院 太岳院山門と太岳院の本堂再建寄付単(名簿)碑

写真1

太岳院 太岳院山門と太岳院の本堂再建寄付単(名簿)碑


写真2 太岳院の本堂再建寄付単(名簿)碑 山門の左側にある

写真2 本堂再建寄付単(名簿)碑

題字は篆書で「本堂再建寄附単」とある

碑は山門手前の左脇にある


写真3 山門より安藤忠雄氏の設計による本堂を望む

写真3

山門より安藤忠雄氏の設計による本堂を望む


写真4 今泉名水桜公園と太岳院

写真4 今泉名水桜公園と太岳院

正面の木陰の背後に見える建物が太岳院の本堂と庫裏


写真5 太岳院から西方向の今泉湧水池を望む

写真5 太岳院から西方向の今泉湧水池を望む

正面の人家の屋根を掠めて富士山が見えるが、この写真では確認が困難

撮影:2016/5

太岳院

太岳院(たいがくいん)

資料1、資料2によると、次のような説明があります。

太岳院は、薬師堂であったものを、1541年(天文10年)に今泉村の土豪であった小林氏が、蔵林寺3世を招いて開いたお寺です。

明治初期に廃寺となった今泉村千手院(せんじゅいん)の千手観音菩薩(かんのんぼさつ)像と同村観音堂の十一面観音像が当寺に納められています。十一面観音像は平安後期の作といわれ、秦野市の重要文化財に指定されています。

関東大震災後に再建された本堂は2006年に解体され、新たな本堂が2007年(平成19年)に完成しました。本堂の設計は著名な建築家である安藤忠雄氏によるものです。

太岳院に隣接する「今泉湧水池」すぐ隣には地元の人々に「太岳院池」といわれる「今泉湧水池」があります。この池は平成18年2月1日に今泉名水桜公園として整備されました。

本堂再建寄付単(名簿)碑

碑の正面の題字は、「本堂再建芳名単」であり、その下一面に寄付金額と寄付者の氏名(名簿)が刻まれています。

碑の背面には、由来が刻まれており、

  • 関東大震災で、本堂・庫裏・物置が全壊し、山門が半壊したこと、
  • 檀家の人々や有縁者の浄財により、本堂が昭和4年10月落成したこと、
  • 永く記念として残すため、これを刻んだこと、

等が記されています。

 ⇒ 本堂再建芳名単の碑文を見る

今泉湧水池

今泉名水桜公園として整備されている今泉湧水池は太岳院に隣接しており、太岳院の境内には「秦野盆地湧水群」と記された柱(丸太に似せたコンクリート製)とともに次のような案内板があります。なお、案内板は縦書き。

今泉湧水池

秦野は丹沢山地と、渋沢丘陵にはさまれた断層盆地で、丹沢山地から流出した土砂は盆地内を埋めて、厚い砂礫層を堆積し、大きな扇状地を形成している。そのため山地から流出する河水は砂礫層にしみこんで、地下水になり、水無川や、葛葉川のように水は涸れて大雨の時に水を流す川となった。地下水は砂礫層をたどって盆地周辺の扇状地の先端に湧出している。従って盆地周辺の湧水には古くらら集落が営まれ、中央は渇水地のため開発が遅れている。

市内で水量の最も豊富な場所は、今泉湧水池であり、平沢の東端から尾尻の一部にかけて、数多くの水源があって室川水流のほとんどの水を湧出し、附近には大昔から集落が発達した。また今泉の地名も湧水にちなんだものである。この太岳院池は古代からの水汲み場所であって、この池の底から石器時代より、奈良、平安時代の土器破片等を大量に発見している。現在の行けは昭和初年に造られたもので、それ以前は荒地に囲まれた湧水池であった。




参考資料

資料1 秦野観光協会ホームページ http://www.kankou-hadano.org/hadano_point/point_taigakuin.html

資料2 太岳院 太岳院―新築資料集―,30p

資料3 秦野市(1987)秦野の記念碑,193p

武村雅之(2011)[資料] 神奈川県秦野市での関東大震災の跡-さまざまな被害の記録,歴史地震,26号,p.1-13