作成:2016/5

関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 秦野市 HN-07

秦野市堀山下 --- 堀之郷正八幡宮の震災復舊記念碑 ---

  • 所在地:神奈川県秦野市堀山下998
  • 震災当時は中郡西秦野村
  • 碑銘:震災復舊記念
  • 形態:石板
  • 建立年月日:大正15年2月吉祥日
  • 交通:小田急小田原線「渋沢」駅よりバス「大倉」行 八幡神社前下車直ぐ(行程「渋沢」駅から約3.4km)
写真1 堀之郷正八幡宮 全景

写真1 堀之郷正八幡宮 全景


写真2 震災復舊記念碑は社殿への石段の手前左側にある

写真2

震災復舊記念碑は社殿への石段を上る手前左側にある

写真の左端に「八幡神社前」のバス停が見える


写真3 震災復舊記念碑

写真3 震災復舊記念碑

神社改築工事中であった


写真4 題字に「震災復舊記念」とある

写真4

題字に「震災復舊記念」とある

撮影:2016/4

堀之郷正八幡宮

堀之郷正八幡宮の説明板によると次のように記されています。

御祭神

誉田別尊(ほんだわけのみこと) (応神天皇)

息長足姫尊(おきなたらしひめのみこと) (神功皇后)

高良玉多礼命(こうらたまだれのみめい) (竹内宿祢)

由緒

天安二年(西暦858年)九州宇佐八幡宮から分霊を勧請してこの地に祀り当初は金光山正八幡宮と号し武門では立身出世・氏族繁栄・行路安全・災難消除の神様として、他に民間では安産・子育ての神様として信仰された。何れも御祭神の歴史的事蹟によるものである。

天正年間には小田原北條氏が堀田四ヶ村(堀山下村・堀西村・堀川村・沼代村)の神官として祭禮奉串の儀を行い、その後徳川の時代には社領五石の朱印状を受けている。また堀山下村の領主米倉氏からは守護神として手厚い保護を受けた。明治維新後は郷社に列せられ堀四ヶ村の鎮守として崇敬護持とされ今日に至っている。

震災復舊記念碑

刻字内容

碑の正面には、「震災復舊記念」の題字の下に、字名別に寄付金額と氏名が刻まれており、その数は全部で389名です。背面には、大正十五年二月吉祥日に続いて、社司、総代、大世話人、世話人、復興委員などの氏名が刻まれています。

この復舊記念碑は表裏ともに氏名を中心としており、具体的な復旧内容は記載されていません。寄付者の属する字名や背面は社司・総代と続くことから考えて、氏子による堀之郷正八幡宮の復旧であると思われます。

字名について

復旧碑には、字名として堀山下・堀川・堀西森戸・堀西波多川・堀西黒木欠畑等が刻まれています。

明治22年の町村制に際し、堀西村・堀川村・堀山下村・千村・渋沢村が合併して西秦野村が生まれました。なお、その前の明治20年には堀斎藤村と堀沼代村が合併して堀西村になっています。

復旧碑にある字名は、現在の堀山下・堀川・堀西に相当し、さらに細かい小字も含まれているようです。これらの字名には頭に「堀」が付き、いわゆる「堀之郷」の鎮守が堀之郷正八幡宮に当たります。

堀之郷正八幡宮の案内板にある「堀四ヶ村(堀山下村・堀西村・堀川村・沼代村)」とは、西秦野村が生まれる以前の堀山下村・堀斎藤村・堀川村・堀沼代村を指すものと思われます。




参考資料

秦野市役所(1977)秦野 郷土のあゆみ,215p

武村雅之(2011)[資料] 神奈川県秦野市での関東大震災の跡-さまざまな被害の記録,歴史地震,26号,p.1-13