関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 東京 T-25
写真1 復興地蔵尊と天神男坂
写真2 天神男坂と湯島天神の鳥居
写真3 明神男坂の上から東方(下町)を望む
写真1に写っている立て札には次のように記されています。
復興地蔵尊 由来 佐久間達夫氏遺稿より
一九ニ三年(大正十二年)九月一日の関東大震災は東都に未曾有の惨禍をもたらした。
当時の町会長を中心として有志は罹災者の安寧と早期復興を願い三百年来火伏寺として伝統を持つ心城院の協力を得て災害復興地蔵尊(向って右側)を当地に建立し震災で亡くなった方々の冥福と地元の平和発展を祈った
その後一九四五年(昭和二十年)三月十日の東京大空襲には隣接町会がほとんど焼土と化した中で当町会は一軒の損失もなくその難を免れた これは「お地蔵さん」の御加護によるものと往時の人々の心に深く刻まれた
左に奉安の尊像は戦後復興の兆しがみえてきた頃のある朝出現された 由緒こそ定かでないが、お心安らかなそのお顔はいつしか「幸せ」を呼ぶ地蔵尊としてしたしまれている
この二体の地蔵尊は地元天ニ町会をはじめ近隣地域の大切な守護尊としてその繁栄を見守っています 毎年九月一日には宝前で供養会が営まれます天ニ町会 天ニ町会リサイクル推進委員一同
写真1および写真2の石段(天神男坂)を上り切ったところが湯島天神です。その石段の脇には坂についての案内板があります。
天神石坂(天神男坂)
三十八段の石段坂である。別名は天神男坂。すぐわきにある、ゆるやかな坂・女坂に対して男坂という。
江戸時代の書物”御府内備考”によると、湯島神社(天神)参拝のための坂であるが、その後、本郷から上野広小路に抜ける通り道になったという。
文京区教育委員会 平成3年3月