作成:2015/4

関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 東京 T-01_4

墨田区の横網町公園(旧陸軍被服廠跡地その4)内
--- 「焼けて直ぐ」の句碑 ---

  • 所在地:東京都墨田区横網二丁目 横網町公園
  • 対象:句碑
  • 建立年月日:昭和27年9月1日
  • 交通:JR総武線「両国」より徒歩約14分(行程900m)
  • 地下鉄都営大江戸線「両国」徒歩約4分(行程250m)
  • 都営地下鉄「蔵前」より徒歩約15分(行程1000m)
写真1 「焼けて直ぐ」の句碑

写真1

「焼けて直ぐ」の句碑 慰霊堂正面に向かって右側にある

写真2 同上

写真2 同上

撮影:2015/3

「焼けて直ぐ」の句碑

句碑正面に当時の東京市長永田秀次郎の「焼けて直ぐ……」の句が刻まれ、背面にはその由来が記されており、「焦土のさ中にあって再建に奮いたつ市民の意気に感激し、復興と題してよんだ」とあります。

「焼けて直ぐ芽ぐむちからや棕梠(しゅろ)の露」と同様な状況を寺田寅彦は随筆「柿の種」で次のように述べています。

三四日たつと、焼けた芝生はもう青くなり、しゅろ竹や蘇鉄が芽を吹き、銀杏も細い若葉を吹き出した。藤や桜は返り花をつけて、九月の末に春が帰ってきた。焦土の中に萌え出づる緑は嬉しかった。崩れ落ちた工場の廃墟に咲き出た、名も知らぬ雑草の花を見た時には思わず涙が出た。




句碑正面

句碑正面

句碑背面

句碑背面




東京市長永田秀次郎の「市民諸君に告ぐ」*

復興事業全体は国の復興局が一元的に管理することになりましたが、幹線道路の事業主体は国とし、区画整理の事業主体は東京市(一部が国)でした。東京市長の永田秀次郎は「区画整理について市民諸君に告ぐ」として、復興事業の意義と区画整理の目的や方法および断行の必要性を説いています。

市民諸君

我々東京市民は今やいよいよ区画整理の実行に取りかからなければならぬ時となりました。

第一に我々が考えなければならぬことは、この事業は実に我々市民自身がなさなければならぬ事業であります。けして他人の仕事でもなく、また政府に打ち任せて知らぬふりをしているべき仕事ではない。それ故にこの事業ばかりは我々はこれを他人の仕事として、苦情をいったり批評をしたりしてはいられませぬ。

我々は何としても昨年九月の大震火災によって受けた苦痛を忘れることは出来ない。父母兄弟妻子を喪(うしな)い、家屋財産を焼き尽くし、川を渡らむとすれば橋は焼け落ち、道を歩まむとすれば道幅が狭くて身動きもならぬ混雑で、実にあらゆる困難に出遭(であ)ったのである。我々はいかなる努力をしても、再びかような苦しい目に遭いたくはない。また我々の子孫をしていかにしても、我々と同じような苦しみを受けさせたくはない。これがためには我々は少なくともこの際において道路橋梁(きょうりょう)を拡築し、防火地帯を作り、街路区画を整理せなけらばならぬ。

もし万一にも我々が今日目前の些細(ささい)な面倒を厭(いと)って、街並みや道路をこのままに打ち棄てて置くならば、我々十万の同胞はまったく犬死したことになります。我々は何としてもこの際、禍(わざわい)を転じて福となし、再びこの災厄を受けない工夫をせなければならぬ、これが今回生き残った我々市民の当然の責任であります。後世子孫に対する我々の当然の義務であります。

街路その他の公設物を整理するには、買収による方法と区画整理による方法とがあります。しかしながら今回のごとく主として焼跡を処理する場合は、区画整理による方法が最も公平であり、また最も苦痛の少ない比較的我慢しやすい方法であります。区画整理によりまして、道路敷地となった面積は皆その所有者に按分(あんぶん)して平等に負担し、これが全面積の一割までならば無償で提供し、一割以上であればその超過分に対して相当の補償を受ける。そして誰一人として自分の所有地を全部取られてしまう人がなく、皆換地処分によって譲り合って自分の土地が残る。苦痛も平等に受け利益も平等に受ける。かような都合の好い方法であるが、ほとんど全部の者が皆動くのであるから、この場合において初めて実行の出来る方法であります。この機会をはずしては到底行われない相談である。それ故にいかにしても是非ともこの際に断行せなければならないのである。

顧みますると、我々は震災後既に半箇年を経過しました。土地の値段も震災直後は二分の一か三分の一に下落したと思われたものが、今日では震災前と同一になりました。こうなって来ると段々に震災当時の苦痛を忘れて来て、一日送りに安逸を望み、土地の買収価格が安いとか、バラックの移転料が少ないとか、区画整理も面倒臭いとかいう気分の出て来るのも人情の弱点で、無理もありませぬ。しかし、我々はこの際、かような因循姑息(いんじゅんこそく)なことを考えてよろしいでしょうか。実に今日における我々東京市民の敵は我々の心中の賊である。我々はまずこの心中の賊に打ち勝たなければならぬ。

世界各国が我々のために表したる甚大なる厚誼(こうぎ)に対しても、我々は断じてこの際喉元(のどもと)過ぐれば熱さを忘れる者であるという誹(そし)りを受けたくはない。

区画整理の実行は今や既定の事実であります。ただ我々はどこまでもこれを国家の命令としてやりたくはない。法律の制裁があるから止むを得ないとしてやりたくはない。まったく我々市民の自覚により我々市民の諒解によってこれを実行したい。

我々東京市民は今や全世界の檜舞台(ひのきぶたい)に立って復興の劇を演じておるのである。我々の一挙一動は実に我々が日本国民の名誉を代表するものである。

参考資料

* 「市民諸君に告ぐ」 越澤明 復興計画 幕末・明治の大火から阪神・淡路大震災まで 中公新書 p64-66 2005

墨田区文化財調査報告書Ⅶ 仮名まじり文の石碑(3) p42-43 墨田区教育委員会 昭和62年