地震・防災関連用語集

カテゴリ:地震

関東地震

関東地震といえば、1923(大正12)年の「関東大震災」をもたらした地震を指す場合が普通ですが、広い意味では、ヒィリピン海プレートが日本列島へ沈み込むことによって発生する地震のうち、相模湾トラフ沿いで歴史的に繰り返して発生している海溝型地震を総称して関東地震と呼びます。

1923年の関東地震と1703年の元禄地震は同じ関東地震であることから、大正関東地震、元禄関東地震と呼んで区別することがあります。関東地震には大正型と元禄型の地震があり、大正型が1つの断層が動くのに対して元禄型では1つ以上の断層が連動して動くものと理解されています。

房総半島の海岸段丘や潮間帯に生息する生物の化石および浜堤列の研究によると関東地震は過去数千年間に亘って繰り返して発生(縄文海進の最高海水準期以降、元禄型地震が4回、大正型地震が少なくとも11回)しており、元禄型地震の再来間隔の間に3~4回の大正型地震を挟むという発生パターンを示しています。

一方、史料調査によると、関東地震は大正関東地震と元禄関東地震が特定されているだけです。元禄関東地震から大正関東地震の間の経過年数は220年であることからその発生周期は200~300年程度と推定されますが、元禄関東地震より1つ前の関東地震は候補には挙がっていても特定されるまでには至っていません。 南関東は関西(京都、大阪)の史料の多さや過去にさかのぼる長さは劣るにしても鎌倉幕府が置かれた地であるのでそれなりに史料は充実していると思われます。地震が特定できないことは断層の動き方に多様性があることを示しているのかも知れません。

1923(大正12)年の「関東大震災」は日本史上最大の震災でした。死者行方不明者が増大したのは火災が原因であり、当時の東京市内で約130ヶ所から発生した火事は延焼によって隅田川を横断する飛び火や火災旋風を伴うような大火となり、3日2夜燃え続けて東京全市街の3分の2が焼失しました。死者行方不明者の多くは地震そのものではなく地震によって発生した火災によるものでした。

陸軍の被服廠跡には約4万人の市民が避難しましたが、火災旋風が発生し、約3万8千人の人が焼死または窒息死しました。関東大震災を象徴するようなできごとが発生したこの地は死者を慰霊するための慰霊堂が建立され、春と秋に大法要が営まれています。

元禄関東地震 大正関東地震
発生日時 1703年12月31日(元禄16)
赤穂浪士討ち入りの翌年
1923(大正12)年9月1日
マグニチュード 8.1 7.9
死者行方不明者 1万人 10万5千余人

* 宍倉正展 変動地形からみた相模トラフにおけるプレート間地震サイクル 地震研究所彙報 Vol.78,2003