石の森 第 122 号  詩(1〜9) エッセイ(11 13 14)ページ   /2004.5

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奥野 祐子


 仕事の切れ目で、しばらくは毎日がお休みの日々だ。旅行に行こうか、遠方の友人に会いに行こうか、選択肢は山ほどあるのに、結局体調を崩してしまい、こ のところ毎日、ボーッと本を読みふけっている。外に出るのは買い物とイヌの散歩だけ。でも、毎日仕事に通っていた時には気付かなかった、日常の裂け目が いっぱい見えてくる。仕事で社会に役立ち、有意義にすごしていると思い込んでいる日々は幻覚で、真実の自分は、こんな暇いっぱいな時にこそたち現れて来る のかもしれない。というわけで、目下のところ、真実の私は、所在なげにボーッとしている。 でも、目を光らせて、日常の裂け目に落ちないように、神経をい つも以上にとがらせながら生きている。
 ボーッとしている私が、一人で見に行った映画がある。押井 守監督の「イノセンス」というアニメだ。サイボーグの人形が横行する近未来世界。コンピュー タでプログラミングされた人形たちが、反乱を起こし、殺人を犯し始め、バトーという刑事がそれを追う。彼が唯一愛した同僚であり、捜査中に行方不明になっ た女少佐 素子の影が至る所につきまとう。でも、この映画ちっとも楽しくない。ほのぼのしない。腹をかかえて笑うほど、面白くなんかない。しかし、私は十 分満たされた。その映像の美しさ!!大好きなハンス・ベルメール似の人形の首や手足が、ゴロゴロする映像に身震いした。子育てすら、プログラムされ、仕掛 けられた行為かもしれない、という徹底して貫かれた人間機械論。「自分とはどんな存在か?」悩み続ける登場人物。セリフに散りばめられた哲学書の言葉。親 子の愛も、師弟の絆も、友情すらも信じられない自分自身に、疑問と罪悪感を持って生きている私にとっては、この映画は、不思議な郷愁と共感を誘うせつない 作品だった。帰宅して、思わず愛犬を抱きしめ、泣いた。


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