石の森 第 122 号  詩(1〜9) エッセイ(11 13 14)ページ   /2004.5

 交野の少将

金堀 則夫


 物語といえば交野であげられるのは、「交野の少将」の物語である。これは現存していないため、残念ながらどんなものかわからない。古典として生き抜いて こなかった弱さがあったのかも知れない。しかし、当時、かなりの人々が読んだのであろう。
 まず清少納言の『枕草子』に、
「物語は住吉。・・・・」と、いくつか列挙したあとに、「・・・。ものうらやみの中将、宰相に子生ませて、かたみの衣など乞ひたるぞにくき。交野の少 将。」と、紹介している。
 また、『落窪物語』にも、
「まこと、此の世の中に恥づかしき物とおぼえ給へる辨の少将の君、世の人は交野の少将と申すめるを、」と、ある。
 「恥づかしき物」として「交野の少将」をひきあいにだされたのであるから、かなり自由奔放な生活態度であったのかも知れない。
 「交野の少将」という人物を教えてくれるものに、紫式部の『源氏物語』がある。「帚木」の巻の冒頭、〈光る源氏恋愛談序説〉といわれるところに、
「光る源氏、名のみことごとしう、言ひ消たれ給ふ咎おほかンなるに、いとど、かかるすきごとどもを末の世にも聞き傳へて輕びたる名をや流さむと、しのび給 ひけるかくろへ事をさへ語り傳へけむ人のもの言ひさがなさよ。さるは、いといたく世を憚り、まめだち給ひける程に、なよびかにをかしき事はなくて、交野の 少将には笑はれ給ひけむかし。」
と、ある。「交野の少将」が「すきごとども」として「光源氏」と比べられたとなると、かなりの好男子で、都の女性で愛さないものはなかったぐらいの人物で あったのではないか。数々の恋愛事件がひき起こされ、その名は、いたるところに伝え聞かされているのであろう。しかし、紫式部は、「光源氏」と比べるとこ ろにおいて、「交野の少将」とは違うのだと断言している。「交野の少将」に笑われると書きながら、「光源氏」が笑われる理由をこう述べている。「なよびか にをかしき事はなくて」と、要するに、つやっぽい話ではないということである。また、「いといたく世を憚り、まめだち給ひける」である。世間を考え、まじ めであったという。うらをかえせば、「交野の少将」は、ただのつやっぽい話ばかりで、世間も考えず、ふまじめな軽薄な男だということになる。「交野の少 将」の話は、たんなる恋愛事件を扱ったものにすぎない。それに比べて「光源氏」の話は、たんなる恋愛事件を扱ったものではない。少し性質が違うのだと自負 しているわけである。いずれにしても、『源氏物語』成立前に、恋愛三昧の話であろうが、「交野の少将」の話が、『源氏物語』の「光源氏」と比べられたのだ ということは、なんだかの影響を与え、世界的な名作『源氏物語』が存在しているのだと思いたい。
 最後に、「交野の少将」らしき逸話をもとに書いた私の古い詩を付記しておきたい。


 石の波

 村里に続いているこの川は、石ころがいっ
 ぱいだった。岩場を登りつめると、そこに
 は池があった。池には白波が一面にたって
 いた。
 白波に問うておくれ。袴の腰をひき裂き、
 篝火の炭でうたをかいた女は、男に届けて
 ほしいと鵜飼する男に手渡し、池に飛び込
 んだ。
 都の男は、女に何の息を吹き込んだ。
 息を孕んだ女は、池水となって、声にもな
 らない篝火のうたを、待ち焦れているうた
 を、岸のはてまで届かせている。白波に問
 うておくれと、池水は波立ち、遠方の男に
 届けている。村里へ流れゆく沫は、石ころ
 になり、ひき裂くだけ裂いた布切れのうた
 は、うたいきれない怨念をかきならし、石
 ころの川になった。布引きの川にもなった。
 

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