「日記・書簡」の散歩者
作家の個人全集の末巻近くは、たいがいその作家の書簡や日記であるが、 私は全集の中でそういった部分を読むのが一番好きだ。あまり興味のない作 家でも、全集の後ろから二番目だけを読んだりすることもある。もちろん、 有名作家であればあるほど全集の組み方は様々だ。例えば、発表順に作品配 列された芥川龍之介全集。芥川が生前、ゲーテ全集について「発表順、とい うのはその人の精神発達史だね。」と論及しているのと考え合わせると感慨 深い。また、作品の舞台となった土地別に構成した泉鏡花全集。井原西鶴 「西鶴諸国ばなし」を思い起こすような諸国物語集となっている。とは言っ ても、全集は小説、戯曲、そして書簡や日記等々ジャンル別にくまれたもの がやはり多い。
それにしても、人の日記や手紙を読むのは面白い。例えば、芥川龍之介の 手紙の出だし。「冠省 原稿用紙で失礼します。」芥川は原稿用紙を便箋代 わりに使う癖があったらしい。そんな個人の癖も、手紙だからこそ分かる。 それから、芥川から堀辰雄への手紙での呼び名の変遷を見てみる。
大正十二 堀辰雄様 → 大正十四 堀君 → 大正十五 堀辰ちゃんこ様
堀辰雄のニックネームは「堀辰ちゃんこ」だったのか。その由来は分から ないが、大正十二年の二人があったばかりの頃から、だんだんと親しみのこ もっていくのが見られる。ちなみに、芥川は自分のことを「龍」と書いてい る。龍之介の略であろうが、龍之介と辰雄、二つの名前に「たつ」が見える が、二人とも辰年で、歳がちょうど一回り分違っていた。
日記・書簡が孤立してそれ自体が作品になっているものもある。岩波文庫 本を眺めてみると、夏目漱石「漱石日記」「漱石書簡集」「漱石・子規往復 書簡集」がそれにあたる。
永井荷風「断腸亭日乗」。荷風の生活を覗き見しているようで、まるで江 戸川乱歩「屋根裏の散歩者」のような好奇心をいだいてしまう。大正八年、 正月元旦「九時頃目覚めて床の内にて一碗のショコラを啜り、一片のクロワ サンを食し、昨夜読残の「疑雨集」を読む。余帰朝後焼麵麭と珈琲とを朝食 の代わりにせしが、去蔵家を売旅亭にありし時、珈琲を以て、銀座の三浦屋 より仏蘭西製のショコラムニエーを取り寄せ、蓐中にてこれを啜りしに、そ の味何となく仏蘭西にありし時のことを思い出さしめたり。仏蘭西人は起出 でざる中、寝床にてショコラとクロワッサンを食す。」なんと洒落た朝食だ ろうと思うが、荷風らしい。
こういう日記類を見ると、どうしても読んでおきたい日付けがある。昭和 二年七月二十四日、芥川龍之介が自殺した日だ。芥川の自殺については各文 芸雑誌がこぞって追悼号を出し、芥川の追悼合戦のような状況となっていた が、当時の作家たちが日記にこの出来事をどう記したのか興味がある。また、 この日付けは数字に弱い私が唯一覚えている文学史的に重要な数字でもある。
断腸亭日乗・昭和二年七月二十四日
「帰途電車の中にてたまたま隣席の乗客の「東京日日新聞」の夕刊紙を携へ 読めるを窺ひ見るに、小説家芥川龍之介自殺の記事あり。神経衰弱症に罹り 毒薬を服せしといふ。行年三十六歳なりといふ。余芥川とは交なし。かつて 震災前新富座の桟敷にて偶然席を同じくせしことあるのみ。さればその為人 は言ふに及ばず自殺の因縁も知ること能はざるなり。余は唯心ひそかに余が 三十六、七歳の比のこと追想しよ追想しよとも今日まで無事に生きのびしも のよと不思議なる心地せざるを得ざるなり。」
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