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  田原は、山ふところに抱かれた静かな山里です。平成 2年(1990年)5月に 住宅・都市整備公団が進めていたニュータウン(1万人都市計画)が 街開きをしました。「緑と石と水」の融合した、創造的な街づくりをめざしています。 そのため街通りや 公園などに石の彫刻がいたるところにあります。 かつては、 石切場もあったようです。 また、 水の流れも街のなかに生かしています。 田原の井戸水はおいしく、ふんだんに湧き出ています。 生駒山東斜面のしたり水を集め、水系を整える天の川の上流でもあります。 田原の理想的な街づくりに「緑」 「石」 「水」をテーマにし、この街の特色をあらわしています。 また、この街の名所・旧跡、歴史、伝説、風俗、習慣などを詠んだカルタも活用してほしいものです。

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  照涌大井戸については、こんな由来があります。
「 昔、修業の旅で、この地を通られた弘法大師に村の人が 気持ちよくお茶をさしあげました。 そのお礼に
 『ここを掘れば きれいな水がわく』と 大師さまに教えられて、村の人は、 ここに井戸をつくったといわれています。それから千年以上もたちますが、いくら日照りでもきれいな清水が湧きつづけています。「照れば照るほどよく涌く井戸」ということで、「照涌井戸」と名付けられ、また、この井戸を中心に、 このあたりを照涌(てるわき)と称せられています。」照涌大井戸保存会・「5月年の歩み」より。毎年 8月の下旬に地域の人たちが集まって
「水供養」が行われています。

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 『延書式』(920年)に「讃良郡氷室一処」とあり、室池は、 江戸期まで氷室池(ひむろいけ)と 呼ばれていました。 氷室とは、 氷を貯えるところをいいます。この地名は、枚方、交野にもあります。山深く夏でもひんやりとしており、 冬の間に池の氷を切り出し、”室(むろ)”に貯蔵しておきます。それを夏になって取出し、 宮廷に献上したのです。 標高約270mにある室池は、 砂溜池、中池、古池、新池 からなっています。面積は、17ヘクトルあります。 四條畷の上水源の大部分を賄っていましたが、 平成10年4月からは淀川の水に切り換えたので、室池の水は使わなくなりました。 現在、国定公園で、関西文化学術研究都市の指定をうけ、「緑の文化圏」として市民の憩いの場になっています。

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 昭和54年(1979)ごろまで、田原の遺物は鎌倉期のものが一番古いと言われていました。 また、 文献では、 平安末期の小松寺縁起帳にありますが、 それ以前のものがありませんでした。 ところが、 田原の西部の山系から縄文、弥生、古墳期から鎌倉、室町期に至る土器、石器、羽釜などが出土しました。 出土品は、 市立歴史民俗資料館等に陳列されています。

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  饒速日命(にぎはやひこのみこと)が天照大神(あまてらすおおみかみ)の命をうけて、天(あめ)の磐船に乗って河内哮(たける)が峰に天降ったという話があります。近くに磐船神社があって、巨大な船型の岩があります。 饒速日命は、生駒東方鳥見(とみ)の地方に勢力をのばしていました。その子孫が物部(もののべ)氏で、田原一帯から磐船の渓谷、天の川をくだって交野・枚方地方へ稲作文化をひろげていきます。物部氏の伝承として、その祖先が渡来の使った天の磐樟船を思い出させるような巨岩を見たとき、当時の巨岩崇拝の思想から祖先が乗ってきた船だと信じてきました。 そして、ここが一族の聖地と崇められるようになった。 したがって、 その後磐船神社は農耕文化によって開けていく天の川周辺の村々の総社であり、村々の氏神の祭神は、いずれも饒速です。

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